(雑記)「推しの魅力」の言語化について

結論(PREP法)

あなたが感じている「推しの魅力」は、世界であなただけが感じているもの。
あなたと全く同じように感じる人はまずいない。
あなたの感性を信じよう。推しは尊い。

理由1:言葉の面

例えば「赤」という色名に含まれる色は「真紅」「朱色」「ピンク味の赤」「紫味の赤」など幅広い。

それと同様に、「かっこいい」「かわいい」「綺麗」「素敵」「尊い」等についてもその言葉によって表される幅がある。

のみならず、言葉について個々人が持っているイメージやニュアンスの違いがある。

理由2:感性の面

推しのどこにどんな魅力を感じるか(オタク側の感性)という側面。

同じ推しの同じ場面を見て「推しが素敵!」と思ったとしても、感じている内容はそれぞれ微妙に異なる。

Aさん「推しのaなところがかっこいい!」
Bさん「推しのbなところが可愛い!」
Cさん「推しのcなところがかっこいい!」

Zさん「推しのaなところが可愛い!」

「推しの魅力」の共有

各人が見ている「推しの魅力」は千差万別で十人十色だが、そこまで突き詰める必要は基本的にはない。
細かいことは省いて「推しかっこいい(可愛い・素敵・尊いetc)よねー」「ほんとだよねー」と共感し合うこともできる。

また、お互いに「自分が見つけた推しのかっこいい(可愛い・素敵・尊いetc)ところ!」をプレゼンしあって共有することもできる。
「気づかなかったけど言われてみれば素敵だー!」「自分も思ってたー!」とここでまた共感が発生する。

一方で、「推しの推せるポイント」の全てを共有したとしても、「そのポイントに対してどう(かっこいい・可愛い・素敵・尊いetc)感じるか」「各『推せるポイント』のどれにどの程度強い魅力を感じるか」は個々人の感性による。

どれだけ感性の合う同担が集まったとしても、厳密に全く同じように「推しの魅力」を感じている人は二人といないと思っていい。
いたらもはやミラクルロマンス。

結論(2回目)

あなたが見ている「推しの魅力」は世界であなただけが感じているものであり、全く同じように感じている人はまずいない(万一居たら奇跡。大切にしよう)
あなたの感性を信じよう。推しは尊い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?