元ラグビー嫌いがにわかになり、試合を見に行くに至った北九州市とウェールズの美しい関係。
日本開催のラグビーW杯が終わった。
この祭りが終わった後の喪失感といったらどうだ。
おそらく多くの方が同じ思いを共有しているのだろう。
まさか自分がここまでラグビーW杯に熱中するなんて。
タイトルの通り、若い頃の私はラグビーが嫌いであった。
厳密にいうと、ラグビーという競技が嫌いなのではなく、一部のラグビー出身者に見られる
ラガーマンな俺たちは上級国民
とでも言いたげな鼻持ちならない態度というか、まあそういう独特の空気が嫌だった。
今大会中も同様な意見がネット上でも飛び交っており、実際かつての自分もそう思っていだけに気持ちはよく分かった。
ただ、もう充分に年を重ねたいい大人が感情的になってSNSでラグビーを貶しているのを見ると、
それ若い頃に抱いたラグビー部員に対する劣等感ひきずっとるだけやろ
という風にしか見えず、
せめてそういうのは居酒屋トークに留めて、全世界に向けて発信するのはやめた方がいいのではなかろうかという事を、自戒も含めて書き留めておこうかと思います。
そんな私も年をとり、世の中の仕組みなども分かるようになり、
ラグビーが嫌だとか言うより、スポーツで街を元気に!と言った方が生産性が高いと気づき。
せっかく日本でラグビーW杯が開催され、更に我が街北九州市がウェールズ代表の事前キャンプ地に決まったのだから、ここはひとつ、盛り上げに乗っかっていく方が街のためというより、自分も楽しいハズだと思うに至ったところでそのウェールズ代表が北九州にやって来た。
そして私の、いや多くの北九州市民の想像をはるかに超えたムーブメントが巻き起こったのだった。
ウェールズの公開練習に15000超の人が訪れた事を皮切りに、メディア、ネットを通じて北九州市のウェールズ全力応援ぶりと、それに対するウェールズからの感動と感謝のやりとりがスタート。
元々浪花節的人情話に滅法弱い私としては、ウェールズ代表のアレンウィン・ジョーンズの言葉を知った時点で既に
「ウェールズの試合に行きたい!」
という思いを抑えきれなくなり、パソコンに向かって大分で開催のウェールズ対フィジーのチケットを入手したのだった。
10月9日JR小倉駅。改札を抜けると、そこは異国だった。
いつもの小倉駅の構内。
そこは多くのウェールズ代表の赤いジャージやTシャツを着た人々でごった返していた。
その殆どがウェールズから来日したと思しき人達。
皆が乗り込む大分行きの特急の中では英語が飛び交い、他の車両からは歌声が聞こえてくる。
車窓から見える景色がまごうことなく日豊本線沿線のそれである事以外は完全に英国の列車状態。
大分のスタジアムに着くはるか前から既に非日常は始まっていたのだった。
大分駅で下車し、まずはファンゾーンに向かう。
と、この日の観戦記録を書き出すと、それだけで記事一つ分に相当しそうなんで割愛。
(分かってる。先に観戦記を書いとけば良かったのではないかというのは自分でもよく分かってる。)
ライヴで試合を観戦したことで、更にウェールズへの愛着が増したのは言うまでもなく、
その後もウェールズが勝利を重ねるたびに歓喜した。
そしてやってきた決勝トーナメント、ウェールズ対南アフリカ戦。
ウェールズ敗れる。
その時私は悟った。
私は日本代表以上にウェールズ代表に愛着を持っていたことを。
日本の敗戦以上にウェールズの敗戦の方がショックだったのだ。
大方の日本人は日本を破った相手、南アフリカを応援していたが、私は心の底からウェールズの勝利を願っていた。
3位決定戦はニュージーランド対ウェールズ。
全世界に多くのファンを抱えるオールブラックスは想像以上にカッコよく、
私も毎試合楽しみに見ていたチーム。
正直、このカードは決勝戦で見たかった。
しかし、11月1日のこの時間、あいにく私は仕事の最中で、
北九州市が主催していたパブリックビューイングどころかテレビで観戦することも出来なかった。
私だけじゃない。
日本代表以上にウェールズ代表に親しみを持っていた人は北九州に沢山いたのだ。
11月1日。ウェールズ代表のラグビーW杯2019日本大会は終わった。
そして一夜明けて11/2土曜日。
毎日新聞にはウェールズラグビー協会から北九州市民に宛てたこのような全面広告が。
なんということでしょう。
新聞紙面を(電子版で)見ながら朝から涙が止まらない。
更に北九州市国際スポーツ大会推進室ツイートのアンサー。
大会前には全く思いもよらぬ感動的なストーリー。
これも北九州市とウェールズが3年という年月をかけて準備をしてきた成果であろうし、
そのおかげで予想もしなかったほど魂を揺さぶられる1か月余りの時間を過ごすことが出来た。
本当に感謝という言葉以外を見つけるのが難しい。
今回のラグビーW杯を通じて築かれた北九州市とウェールズの美しい関係。
間違いなくこの街の偉大なる遺産となるであろうし、
この先もずっと、未来に繋がっていくだろう。
北九州市で育ち、今も北九州市民である私も、今回のW杯での北九州市とウェールズのストーリーを誇りに思う。
関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
かつてのラグビー嫌いがここまでに至りましたよ。