修士号を修めて専門外の道に就職した理由
24卒の採用活動が始まった。
23卒の受け入れ準備も本格化している。
という情報を社内報通して知った。
会社の動きに自分の背中が押された気がした。
IT企業としての弊社の事業領域の需要は聞いていたが、採用活動の注力ぶりに驚いた。
そんな社内報だった。
1年前の私
そして私は1年前の自分を思い出した。
まだ大学院生で研究活動に追われていた日々を。
私は国際系・社会学系の修士号を持っている。
だけど、IT業界に分類される企業の一社員として働いている。
つまるところ、自身が培ってきた学問的な専門性は投げ捨てたような就職をした。
それについて、内定を承諾したのちたくさんの指摘を受けた。
「何で関係ない職に就いたの?」と。
大学院生として取り組んだ内容が嫌いだったとかそういうことは全くない。
むしろ自分が専攻している領域に対して、能動的に取り組んだ。
興味があったし、自分が修士に進んででも研究を続けたいと思った。
そしてちゃんと進学してよかったと今でも思っている。
博士号を目指さなかったことや専門分野に関係する職を目指さなかったのは、2つ理由がある。
仕事にしたいと思わなかった
自分の信念と照らし合わせて、その領域と密接な関係を持つことを仕事にしたいと思えなかったから。
趣味を仕事にできるか問題みたいなやつ。
専門領域を仕事にしたら、その分野が嫌いになりそうと感覚的に思った。
それを感覚を支えたのは、周りにいた自分が優秀と感じた同期の存在や、自分自身専門分野より他者の専門分野の話を聞く方が面白かったことにある。
専門分野と義務感の薄い形で関われる距離感が自分にはあっていた。
仕事にしたらきっとうまく付き合えなかっただろう。
仕事としてしたいことではなかった
話は変わって私の価値観の話をする。
私は利他主義的思想を持っている。
仕事のモチベーションが自身の中になく、
顧客のため上司のため、お世話になった人のため…と自分の中にはない。
出世欲なるものはないが、裁量権を持つことで他者への貢献が大きくすることができることから出世は手段の1つになるかなと思っている。
そんな利他主義的思想を持っているが、
見えない不特定多数に対して貢献したいとは思っていない。
自分と接点がある、相手の顔が思い浮かぶことが大切だった。
その点、私が専門としていた領域に近い仕事は貢献する相手が大きく抽象的過ぎた。
「社会のため〜」とか「国と国の〜」と言われても自分が望む将来の自分の姿に近づけないと感じた。
その仕事は確かに、「社会のため」に必要だし一人前になれた時は1人の人としてもとても魅力的に成長できるだろう。
だけど、格好よく言うと自分は今までお世話になった人や自分の周りの人に貢献することが1番自分に合っていると思ってしまった。
さいごに
ここに書いたことはどうしてもあくまで一辺倒。
この専門領域を活かせる仕事にも、1つ目の感情さえ妥協すれば自分の希望を叶えてくれる仕事はあっただろう。
ただ2つとも譲ることができなかった。
その上で、個人的に国際系の社会学と色が似ていると感じたIT業界を選んだのは間違いなかったと今は考えている。
専門性こそ活かせる場面はないが、マインドや取り組み方で活かせる点は多いと感じるから。
「大学院まで進んで専門性を活かさないの?」
という指摘はわからないでもない。
もったいないよね。
という便利な言葉でそう思う。
ただ、生き方とか働き方とかそういった価値観で自分は自分の専門領域を仕事に選ばなかった。
じゃあ、学びが無駄だったのかと言われるとそれは否定する。
今の価値観であったり、どんな仕事でも通用しそうなスキルは大学院で形成され鍛えられたと感じている。
あれから1年経った今、この選択が間違っていたとは思わない。
大学院時代の専門分野と今も良好な距離感を保てて、自分のなりたい姿に仕事を通して実現することを目指す。
客観的に見て遠回りで無駄の多いこの選択が
自分にとって1番いい選択だった。
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