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適応障害の再発に怯える22卒の話

「経験則から変化を恐れる自分」と「新しいことに挑戦したいと思う自分」

私は就職という新たなライフステージを前に、私は今葛藤している。

正しくは「新しいことに挑戦したいと思う自分」を「経験則から変化を恐れる自分」が引き留めようとしているが近いかもしれない。

背景には4年前と5年前に、環境の変化を一因に適応障害を患ったことが尾を引いていると考える。その診断の数か月後に回復しその後再発していないたにも関わらずだ。

今の自分は変化に耐えられるのか

今の自分は適応障害から回復している。

普段の生活において、大学に行けないなど社会的機能は阻害されていない。

回復してから約4年弱はすでに経過している。

だけど、その何もなかった期間は自分で努力することで、作り出した期間であることを自覚している。

例えば、私は大学院生だが2年程前に大学院に進学するにあたって、地理的な変化・移動は最低限にするよう強く意識した。

適応障害から回復しているにも関わらず、周りの地理的環境・人間関係などの環境の変化に自分が耐えられないかもしれないと思ったからだ。

適応障害から回復したにも関わらず、私は過去の患っていた時期の経験に怯え、自分を過剰に守っているのではないかと思っている。

いつまで自分を守り続けるか

確かに、ここ数年間は変化と言う外敵から自分の努力を通して自分を守れたのかもしれない。

だけど、それをいつまで続けるのか。

続けることで、今挑戦したいと思っていることが押さえ込まれているのではないかと思っている。

私は来年の4月からは社会人として働き始める予定だ。

ご縁のあった企業からは働く場所を選ぶ権利を与えられており、今の場所から大きく移動しない選択肢も存在する。

でも、私が挑戦したいことは大きな変化を必要としている。

私は挑戦をしたいと思っている。

そうなると私はこれまで避けてきた大きな変化に向き合う必要がある。

何が正しいのかはわからない

そもそも医学的な視点から見ると、私が怯えていることは全くの無意味なのかもしれない。

そして、私がこれまで努めてきた「自分を変化から守る」ということも無駄だったのかもしれない。


私はずっと次の二択で悩んでいる。
きっと大きな決断になることはわかっているからだ。

・挑戦したい気持ちを抑え、変わらず変化から自分を守り続けること
・挑戦したいことの実現のために変化を望むこと

このどちらが正解なのかは1年後にならないとわからない。

だけど、少なくとも今の自分が変化に耐えられるのかは、大きな変化に挑戦をしないとわからないと思う。


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