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特別な人には言葉の呪いをかけない

私は期待をさせることを言わない。

仲良くなればなるほどに。

私は相手が求めている言葉をかけない。

例え喉元までその言葉が出ていて、それを本心から思っていても。


言葉は呪いだ。

人から受け取った相手に期待してしまう言葉によって、
心は一喜一憂し行動は縛られる。

誰かの脳裏にその出来事を刻みつけ、
悩ませ縛りつけるなんて呪いそのものだ。


私がそれを痛感するに至った出来事は1つ。

叔父が亡くなる前に最後に会った日のこと。

私が遠くからお見舞いに来ていたこと。
余命もわずかと言われていたこと。

そういったことをわかっていたはずなのに、
叔父はお見舞いに行った別れ際に「またね」と私に言った。
次はないはずだとわかっていたはずなのに。

私は叔父のことが大好きだった。今も好き。

それでもあの時の言葉だけは許していない。

私はあの日からまたねという言葉が嫌いになった。
よほど心から思った時にしか言わなくなった。

「またね」と言われた時の自分を思い出すから。


その出来事が一つのきっかけとなって私は適当なことは言わなくなった。

特に大切にしたいと思っている人たちの前では。

会えるかわからないのに、また会おうねと言ったり

例え自分が感情的にはそれを願っていたとしても、
実現する可能性が高くないと言葉に出さないようになった。

思わせぶりをしなくなったとも言うのだろうか。
相手が欲しい言葉だとわかっていたとしても、
適当なことを言ってその言葉に縛りつけたくないと思うようになった。

大切にしたいと思っているからこそ。


それらは回り回って、
自分に対して高いハードルを求めるようになったと思う。

その願いを手にしたいのなら、力を身につけろと。
言えるようになるくらいの自信を身につけろと。

私が言葉の呪いをかけていいのは、
相手にかかった呪いを解くことができるようになってからだろう。

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