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他者に感謝を強要したくない私が感謝を強要する話

ある学部生から大学院生である私に宛てて質問メールがきた。

それに返信するのだが、それ以降返信がなかった。

後日本人以外のルートで確認すると、解決したことがわかった。

「うーん」と唸ってしまう。

「今回も私が答えっぱなしでメールが終わったな」と思った。

価値観の多様性って認めるのではなくて認められるもの

価値観の多様性を認めています!

といった私のスタンスが嘘なんじゃないかと思ってしまう。

相手の価値観に対して、私の価値観を押し付けているのではないかと感じるからだ。

感謝を強要しているわけではないけど

私は学部生の講義を支援・補助している立場であることから、たまに受講生から講義に関するメールがくる。

大学職員のように、そういう立場を公式にしているわけでもなければ、報酬もない。ただ連絡先を知っていたから聞いた。そういう人からメールがくる。

内容によっては大学職員や教授に引き継ぐものなど、時間的労力を要した上で返答する。

しかし、どんなに労力をかけたとしても、客観的に「あれ?あなた私の返信がなかったら落単してましたよね」という内容であっても相手からの返信率は2割ほどだ。

相手からの質問に答えて終わる。

まあまあモヤモヤするのが本音だ。

私はそれを生業にしているわけでも、率先してそれをしているわけでもないからだ。

「じゃあ、お前は対価が欲しいのか!」
と聞かれると、

「そうだよ」とニッコニコして答える。

せめて一言「助かりました」とか「無事解決しました」くらいの返信は欲しい。

これが私の価値観だ。

感謝を強要していないのであれば何が問題?

上までに述べたのは、あくまでも私個人の価値観だ。

「個人の」とは言いつつ、内心「返信するのは社会のマナーじゃないのか」という盾も振りかざしている卑怯なやつだ。

客観的に見てこの事例はどうなんだろう。

今社会人として勤めていらっしゃる方から

「そんなことは社会のマナーじゃないから気にしすぎだよ」

と言われるのかもしれない。

それならそれで、自分の主観が更新されるのでそう言った声を聞きたい。

自分の普通と社会の普通を擦り合わせたい

こういうモヤモヤって私の場合だと簡単に解決しうる。

私の普通と社会の普通がズレているとわかった時がその典型例だ。

それがわかったところで、「なんで私はモヤモヤしているのに、相手は違うんだろう」みたいな一種の理不尽感がなくなる。

「私の持っている普通とは違うものに則っているかもしれない」という推測ではなく、別視点の普通を知ることを通して「私の持っている普通とは違うものに則っているのだろう」という多少根拠の伴ったものになるからだ。

ちなみに、その過程を経て私の普通を無条件に相手に寄せることはありません。

違う視点を知っていたらいろいろ楽だよねって話です。


今回の「メール返信するのって普通じゃないの?」という点に関して、社会に限らず他の視点の普通を知ることでモヤモヤを減らしたい。

私はそういうことを思っているんだな。

って書いていく中でわかって私は半分満足しました。

半分なのは、結局根本から解決した気がしないからですね。

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