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おかみ様の遣わすもの (フルバージョン) #パルプアドベントカレンダー2023

 朝起きたらスマホが充電できていなかった。ケーブルを差し直しても再起動してもダメだった。残りのバッテリーは三十三パーセント。結構ヤバい。

「お母さん、スマホ充電できないんだけど」「ウソ、あんた今日リモート授業あるでしょ。越島まで修理に行かんとあかんじゃん」「えー、ダル……」

 愚痴っても仕方がない。先生に欠席を連絡し、出かける支度をした。

「行ってきまーす」

 いってらっしゃーい、という母の返事を背に受けて私は自転車のペダルを漕ぎ、軽快に走り出す。幸い天気は良い。これなら一時間ほどで越島町まで着きそうだ——という私の予想は、道中で立ち塞がった白装束の二人組に阻まれた。

「君、何処から来た」「どこからって、あっちからですけど」「文化保護区レベルDの方角だ」「あそこは半世紀も前に遺棄されている」

 二人はヘルメットを被っていて顔は見えない。教科書に載っていた大昔の宇宙飛行士みたいだ。

「身分証は?」「えーと、スマホなら壊れちゃってて……」

 私はドギマギしながら言葉を選んだ。『白装束に出会った時にやっちゃいけないこと』を必死に思い出そうとする。会話はまだセーフだったはずだ。

「この場合処理ってどうなる」「マニュアル十四-Aだ。古い規程だがおそらく有効だ」「あの、急いでるんですけど」「我々と来てもらおう。集落に案内しなさい」「や、私越島へ行く予定で」「つべこべ言うな、この——へぶっ」

 白装束が突然仰向けに倒れた。胸の真ん中に矢が刺さっている。

「警戒レベル四、発砲の許可を——」

 もう一人の白装束のヘルメットに立て続けに矢が三本突き刺さり、ぐんにゃりと崩れ落ちる。

「おうい、無事だったか」

 茂みから顔を出したのは、昨晩から猟に出かけていたお隣の中村さんだった。

「昨日はシシもシカも捕れんでな、かーちゃんに怒られるの覚悟してっとよ。でもシロ二匹狩れたんは良きじゃった」

 中村さんは疲れた顔をしていたが、弾むような声で言った。



 中村さんは慣れた手つきで白装束を解体していく。頸動脈を切って血抜きし、鮮やかなピンク色の内臓を取り出す。流れ出た液体からツンとした刺激臭が漂ってきた。

「久々に生きの良いシロだあ。こりゃあ絶品だべ」

 ピヨピヨ、チチチという平和そうな鳥のさえずりが聞こえるが、目の前で繰り広げられてるのはスプラッタ解体処理である。

「うえ、グロ……」

 生き生きと部位を切り分けていくおじさんとは対象的に、私は臭いにむせそうになって思わず口を覆う。

 助けてもらった手前、サッサと去ることもできず、私は道路のど真ん中で、解体作業を見物する羽目になった。正直、この人とは近所ですれ違ったら挨拶をする程度の接点しかないので気まずい。

「えと、あの、これ、保護会の人に知られたら怒られるんじゃないんですか?」「あいつらはなーんも分かっとらん。下りてきたシロは危険だべ、町に近づきすぎたもんはこうして狩ってやらんといかん」

 おかみ様保護委員会、通称保護会は山から下りてきた”白装束”の殺傷には反対している。とはいうものの、「白装束」の仕業と言われる神隠しの被害にあった人間は少なくないし、町内では駆除すべきという声の方が大きい。

 私はそういう生命倫理とか、そういう話はよく分からないので、白装束だからシロ、と呼ぶのは田舎臭い言葉回しだなあ、とどうでもいいことを思ったりしていた。

「そういえば白装束ってさ、どうして人を攫ってくのかな」「知らね。上層院の連中は『お迎え』ゆうとるけど、こっちからすりゃただの誘拐じゃて」「そうだね」

 私は上の空で返事を返した。そろそろ出発しないと帰りが日が暮れてしまう。

 ここに私がいてもやれることないし……。

「中村さんありがとう。じゃあ私行くね」「おう、どこ行くんか?」「越島へ。スマホ壊れちゃって」「つーと、牧野んとこの坊主っとこ行くんか?」「うん」「そーかそーか、あの子にゃあこいつも世話になったけん」

 そう言うと、中村さんは背中に背負った電動連弩を揺すって見せた。最大六十発の矢を連続射出できる優れものらしい。

「ほんだら、これ持ってき」

 中村さんはそう言うと、血濡れの小さな部品を差し出してきた。シロの体から切り出されたばかりのそれは、銀色に輝いている。

「えーっと、素手で触らなきゃダメなやつ……?」「おおう、すまんの」

 中村さんは首から下げたタオルで手と部品を丁寧にぬぐうと、ジップロックに入れてくれた。

「スマホ直す駄賃すっとええ。機械弄るの好っきゃつには喜ばれっから」

 私は中村さんに会釈をして、自転車を漕ぎ出す。ふと上を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。



「ええっ、中村さんまたやっちゃったの!?」「はい……」

 なんか今日は色んな人に会う日だな、と、他人事のように思う。日は既に頭上近くまで上がっていて、容赦ない日光がじりじりと肌を焦がしていた。

 中村さんと別れて一時間もしないうちに出会ったのは深山さんだ。深山さんは地域生活課の若い男の人で、越島町と、私が住む明朝町を含む桑藤郡全域をいつも忙しそうに駆けずり回っている。今日は黄色いベスト姿で「地域パトロール中」と書かれた腕章を付けていた。

「うーん、困るんだよなあ、あの人。こっちも仕事だから、話聞いちゃったら対応しないといけなくなるし。上層院の坊さんにはなんて説明しよう。絶対抗議してくるだろうなあ……」

 今日は路面調査の立ち合いだったらしい。わだちとかひび割れとかで傷んだ舗装を直す大切な仕事で、道がガタガタだと商品が傷むって商隊の人たちがうるさいんだ、とこぼしていた。

「とか言って、深山さんもこの前の例大祭のとき食べてたじゃん」「いやだってね、立場上出席しないわけにはいかないし、それに、あのお肉、お酒にすごく合ってね……」

 とかなんとかゴニョゴニョ言っている深山さんを見ると、なんというか、やりこめられやすい人だなあ、と思う。

 深山さんは子どもに対しても腰が低い。お祭りの時とかも、ふざけてお尻を蹴られても声を荒げたりとかはせず、一生懸命「暴力をふるっちゃダメだよ」とか諭していたが、悪ガキは全然聞き入れた様子がなかった。ちょっと不憫だ。

「あ、そうだ。中村さんから何か受け取ってないよね、白装束の所有物とか。あれ違反になっちゃうから」

 え、と一瞬硬直する。深山さんはそんな私の些細な変化に目ざとく反応した。鋭いというか、気の弱さからくる神経過敏っぽい。私は、渋々ポーチからジップロックを取り出した。

「あー、これ白装束の中から出たやつか。うーん、どうかな……」

 深山さんは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。まあ、最悪、取り上げられちゃってもいいかな。気持ち悪いし。

「危険物じゃなさそうだし、うん、大丈夫だね」

 と思ってたらセーフ判定が出た。

「そんなんでいいの?」「銃とか薬品とか、あからさまな危険物だったらアウトだけど、この部品単体じゃ無害そうだからね」

 いいんだ。まあ、それならこのまま持っていくか。気を付けてね、なるべく暗くならないうちに家に帰ること、とか、お母さんみたいなことを言う深山さんに別れを告げて、再びペダルに足をかける。

 越島まではもう少しだ。



 越島町はうちの町よりもデカいし人が多くてお店もたくさんある。廃アーケード街の通り沿いには、パッチワークまみれの古着屋や、謎めいた肉をフライにした軽食店、「ご利益がある」「珍しい石」という旗を掲げたいかがわしい露店などが軒を連ねている。

 そんなアーケード街の一角に私は立っている。目の前のシャッターは降りており、剥げかけたペンキでデカデカと「牧野ジャンク店」と書いてあった。

「おーい、マッキー起きろー!もう朝通り過ぎて昼だぞー!」

 私は、閉まったままのシャッターをガンガンと殴りつける。シャッターの向こう側からガサゴソと物音が聞こえ、横の勝手口から気だるそうに少年がのそりと出てきた。

 橙色のツナギにヨレた黒いシャツ。足には海賊版クロックスを引っ掛けて、眠そうに目を擦っている。ガラの悪そうな装いだが、前髪を上げている女児用の髪留めがヤンキーみたいなコーデを台無しにしている。

「いちいち大声出すなし……近所迷惑で恥ずかしいわ」

 くまさんクリップ付けてるあんたのが恥ずかしいでしょ、と言い返したくなったが、それが妙に似合っていたので心の中に留めておくことにする。

「スマホ、直してくんない?充電できんくて」「どれ」

 シャッターをガラガラと上げたマッキーに続いて、私は店の中へ足を入る。少し見ないうちに背が伸びた気がするな、こいつ。

「ひとり?お父さんは?」「ん、また出張。一か月は帰ってこんかな」「へー、今度はどこ?」「横浜」「すごーい。めっちゃ都会じゃん」「おかげでこっちはうちの仕事にかかりきりで、ろくにベンキョーできんわ」

 スマホ見して、とマッキーが手を出す。起動して画面を見るとバッテリー残量は九パーセントしかなかった。危ない危ない。スマホを手渡されると、マッキーは店のカウンターの方へ引っ込んでいく。

「牧野ジャンク店」は越島町随一の何でも屋だ。店の中にゴチャゴチャと並んでいるのは旧世紀の機械製品。それらジャンク品をバラして、壊れた機械の修理するのが本職だが、今では自転車のパンク修理からスマホのバッテリー交換、アンテナ工事、狩猟道具の点検、その他私が想像もつかない雑事エトセトラエトセトラ、何でも請け負っている。

 マッキーは私の身辺で唯一の同級生で、鉄道整備士の父親がいる。このご時世なのでお父さんは全国各地に引っ張りだこで、ほとんど家にいない。そんな父を持ったせいか彼は機械いじりが得意で、今では一人で店を切り盛りしている。曰く、「なんか機械で困ったことあったら牧野さんとこ行け」だとか。

 そして、私がフランクに接することができる数少ない男友達でもあった。

「別におかしくなってないぞー。ほれ、充電できるし」「あ、え?」

 間の伸びた声が聞こえてきて、私はガラクタ見本市から目を離し、カウンター側へ移動する。マッキーは屈み込んで発電機にケーブル接続されているスマホをチェックしていて、黒シャツと黒い髪の間から浅黒い地肌のうなじを覗かせていた。

「ほんとだ充電出来てるじゃん」「だろ」

 促されて画面をのぞき込むと、充電中を示す電池メーターは正常に充電中を表していた。あー、ひょっとして、と念のため持ってきた充電ケーブルを取り出し、マッキーに見せてみる。

「あー、原因こっちだわ。中で断線してるっぽい」

 そっちだったか~と、私はゲンナリしてその場にへたり込んだ。ケーブルのスペアならまだ家にもう一本はあったはずだ。半日近くかけて自転車をこいできた意味とは……。スマホの故障じゃなくて安心半分、ケーブルだけならわざわざここまで来た意味なかったじゃんの徒労半分だ。

「新しいの出しとくから、はいお大事に」「ありがとーございます、テンチョー」「そういうのいいって」

 新しい充電ケーブルをマッキーから恭しく受け取ってポーチに仕舞い込む。すると、固い質感が指に当たった。

「あっそうだ。はいこれ、お土産」「なんこれ」「こっち来る途中で白装束に会ったんだけど――」

 さあっ、と擬音語が見えるくらい、マッキーの顔から血の気が引いた。あ、別に全然何ともなくて、と慌てて付け加える。

「近所の猟師さんが助けてくれて、もらったの」「そ、そうなんか、よ、良かったな」

 マッキーは急にそわそわし出した。じっとしてられないのか、しきりに顔を掻いたり足をぶらつかせたりして、目も泳ぎまくってる。視線を合わせようとしてくれない。

「どうしたの、急に」「や、別に何も、うん」「……なんか隠し事してない?」「な、何も隠してなんかねぇしっ」

 そう言いつつも、さっきから視線がチラチラと、店の奥の方へ注がれている。マッキーは嘘をつくような子じゃない。客を騙すのは商売人失格、という厳格な家庭で育っているのもあるし、単純に純朴すぎて嘘をつくのが絶望的に下手だからだ。

 隠し事本当にヘタクソだな、こいつ。私は挙動不審な同級生にこれ以上取り合わず、店の奥に足先を向ける。

「あ、ちょ、待っ――へぶっ」

 間の抜けた声にチラッと振り返ると、マッキーは配線に足を取られて盛大にずっこけていた。こういうどんくさいところも彼の可愛げといえば可愛げなのだが、それはそれ、今は今だ。

 すりガラス戸の向こうはぼんやりと明るい。明かりが付いているのだ。

 私はこちらに手を伸ばすマッキーを無視し、立て付けの悪いガラス戸を力任せに引き、。

 ――そこには。一人の白装束がくつろいだ姿勢で雑誌のページをめくっていた。



「あーっ!」「おわ、ちょ、なになに?」

 雑誌を放り出し、白装束が及び腰で両手を挙げた。

 朝見た二人組とそっくりな見た目だ。相変わらずごつくてぶかぶかしてそうな宇宙服のような格好。体のあちこちに小さなメーターや計器が貼り付いていて、いろんな色のランプが点滅している。

「あーあ、バレちまったか……」

 マッキーが体をさすりながら後ろから追い付いてくる。

「あんた、こいつどうしたのよ!?」「家の裏で倒れてたのを拾った」「ヤバくない!?保護会とかに連絡しないとダメじゃないの?」「うーん、まあ、それはそうなんだけど……ちょっと、ね」

 ちょっと、ねじゃないだろ。こっちは、つい数時間前に”神隠し”に逢いかけたんだぞ。

「だってよお、このまま山にほっぽり出すのはかわいそうじゃん」「野良猫感覚かよ」「それに明朝町の人は白装束食っちまうし」「そりゃ、否定はしないけど……」「え、なに、俺食われんの?」

 白装束はビクビクしながら聞き返してきた。そこでようやく、私は目の前の宇宙服人間をまじまじと見た。相変わらずヘルメットの真っ黒なバイザーに阻まれていて表情は分からない。

 しかし、なんか、こう、雰囲気がまた違うというか。朝に出会った二人組は高圧的だったけど、この白装束は……すごく間抜けっぽい。

「この白装束、なんかヘン」「人に向かってヘンとは失礼な!」

 胸に引っ付いているスピーカーから、怒気をはらんだ声が聞こえてくる。あ、一応人自認なんだ。ちゃんと会話が成立してるおかしさと不気味さに、軽くパニック状態になっていた頭に冷静さが戻ってきた。

「……あんた、いったい何者?」「俺か?俺はな――」

 白装束は片膝を立てて座り直した。ごくりと、唾を飲み込む。

「すまん、自分でもよく分からん」

 ――膝からすとんと、ガックリきた。

「ふざけてんの!?」「わーっ!待て待て、食うなって、美味しくねえぞ、俺は!」「食わんわ!シロの肉食べれるのは成人してからって決まってんの!」「将来的には食べるじゃん!」

 へっぴり腰で私から距離を取ろうとする白装束と追う私、私を引き止めようとするマッキー。決して広いとは言えない客間に、バタバタと三人分の足音が響く。

「ちがう、ちがう!記憶が!記憶がないんだって!」「え、記憶喪失?」

 うつ伏せの白装束に馬乗りになってそのフルフェイスヘルメットを脱がそうとしていた私は力を緩める。這う這うの体で拘束から脱した素性不詳の宇宙服は、幾ばくか声のトーンを落として、ぽつぽつと喋り始めた。

 気が付いたら森の中にいたこと、自分が何者か思い出せないこと、当てもなく山中を彷徨ったこと、こっそり町に忍び込んだはいいものの、自分と姿かたちが違う人間にビビったこと、疲れ果てて「牧野ジャンク屋」の裏でぶっ倒れていたところを、マッキーに発見されたこと、そして何故か二人が意気投合したこと。

「……なんか、怪しい」「なあ、頼むから、皆には黙っててくれよう」

 マッキーが手を合わせて頼み込んでくる。まるで捨て猫を拾ってきた子どものようだ。

「……私は知らないからね」

 やったあ、と少年は無邪気に飛び跳ねて喜び、拾ってきたぶかぶか着ぐるみ人間とハイタッチを決める。頭痛が痛い、という馬鹿みたいな言葉が脳裏に浮かんだ。

 いつから私はこいつのお母さんになったんだ……。



「そういや、名前くらいあった方がいいよね。なんて名前がいい?」

 私の自己紹介もそこそこに、マッキーが次の話題を持ち出した。

「名前も思い出せないの?」「思い出せないっつーか、そもそも名前があったかどうかすらわからないっつーか……」

 いずれにしろ、呼び名がないと私たちも困る。ということで、さっそく命名ディスカッションが始まった。提案者は私とマッキー。挙げられた名前にジャッジを下すのはこの名無しの白装束だ。

「シロ」「ペットの名前かよ」「オーバーロード」「大げさすぎる」「宇宙さん」「ざっくりしすぎだしちょっと胡乱」「ユニチャイルド」「だからもっとスケールを落とせ」「オシラサマ」「因習村の化け物かよ」「三体ザ・スリー・ボディー」「……さすがに冗談だよな?」「ええーっカッコいいじゃん!」「や、フツーに呼びにくいから」「そっちこそもっと真面目に考えてよ」

 ちゃんと考えてるじゃないの、と私は畳に身体を投げ出した。ふと目に留まったのは、逆さまになった部屋の壁のある一点だった。

 ずっと昔に打ち上げられたロケットが描かれたレトロポスターが貼ってある。白煙を上げて天高く飛翔するシルエットの下には大きく「APOLLO 13」という文字が描かれていた。

「……アポロ」「え?」「ほら、あのポスターに書かれてる文字。あれはどう?」

 半ば投げやりな提案だったが、思ったよりマッキーの琴線に触れたようだった。

「……いいかも」「あんたの名前はアポロ。いいでしょ、これで」

 私たちはジャッジを振り返る。光を吸い込むような真っ黒なバイザーの奥は何を考えているのか分からない。短い沈黙の後、謎めいたジャッジマンは大きく頷いた。

「いいんじゃねえか、アポロ。いい響きだ」

 白装束はアポロ、アポロと何度も小さく呟きながら、座椅子にもたれかかってギシギシいわせている。思ったよりも気に入ったらしい。

「えへへ……よろしくな、アポロ」

 少年は、邪気のない顔でアポロににっこりと微笑みかけた。その顔は心の底から善良に満ち溢れていたが、悪いやつに付け込まれていいようにされる危うさも同居しているように見える。

 私はアポロにひっそりと耳打ちする。

「あんた、マッキー泣かしたらタダじゃ置かないからね」「何言ってんだ命の恩人だぞ、そんなことするわけねえだろ」「……どうだか」「なーなー、アポロはどっか行きたいとこある?」

 私の心配をよそに、マッキーは人懐こい調子でアポロに問いかけてきた。

「行きたいところ?」「そうそう、せっかく友達になったんだから、どっか遊びに行こうよ」「あー、そうだなー」

 アポロは生返事をしながらしばらく宙を向いていた。そのまましばらく微動だにしない。こうして見ると着ぐるみのようだった。ジャンク屋の店先においてあっても違和感がないだろう。

「じゃあ海はどうだ」「ダメよ。子どもたちだけで海行くのは禁止されてるの」「子どもだけじゃないよー。アポロもいるんだから」

 マッキーはアポロを「保護者」扱いして決まりをすり抜けるつもりらしい。そんな屁理屈通じるわけないでしょ、となんとかマッキーを説得しようとするが、当人は「うっみー、うっみー」とルンルン気分で舞い上がっている。私は仕方なしに矛先をアポロに向けた。

「第一、あんた本当に海に行きたいなんて思ってるの?」「マジマジ。本気と書いてマジで言ってる」

 そう言いつつ、アポロは背後に何かを隠した。私はその素振りを見逃さず、さっと手を伸ばし隠したものを取り上げる。

 私が来るまでアポロが読んでいた雑誌だった。開かれたページには水着のおねーちゃんが海岸で寝そべるピンナップが写っている。

「……マジで言ってんの?」「いや、ホントに本気マジで言ってるから」



 本気マジなのだった。

 6時間後、私たちは夜のハイウェイを原付で爆走していた。

「絶っっっ対にヤバい!バレたらオカンに殺される!!」「じゃあうちで待ってれば良かったじゃん!」「あんたたち二人だけで行かせるわけにいかないでしょうが!」「いだだだだ!ちょ、腕、締めすぎ!」「おう、おう、お熱いこって」

 やいのやいの言い合う私たちを、原付で牽引された荷車に収まっているアポロが囃し立ててきたので、せめて刺し殺すような視線だけ投げることにする。

 私が母親から固く禁じられていることが二つある。一つ目は、越島町から先には行かないこと。二つ目は、日が暮れてから外出をしないこと。

 そして今現在、私は両方ともブチ破って海へと至る道をひた走っている。それも原付でマッキーと二ケツで、しかもノーヘルでだ。すごい、禁則役満だ。

 荒れ狂う夜風が、頬を叩く。

 夜の旧高速道路は無人で、明かりもなく、路面は酷くひび割れ、道の端っこはフェンスごと落下した箇所もある。子どもだけの立ち入りは絶対に許可が下りない場所の一つだ。私たちが風を切って走る音以外、何も聞こえてこない。暗闇の中、頼りになるのは原付のライトだけだ。

 それでもマッキーには「海の見える場所」に心当たりがあるらしい。

「昔なー、親父の出張についてった時に見たんよ、海。こうして高速を走ってて、左手側にブワーッて海面がキラキラ輝いてて――」

 熱っぽく語るマッキーに半ば押し切られる形で、私たちは越島町を後にした。夜の出発にしたのはせめてもの私の抵抗だ。真昼間だとアポロは目立ちすぎる。

「そういやさぁ、これって結局何だったの?」「ああ、どれ?」「これ」

 私はジップロックの袋を、荷台のアポロに投げ渡す。あっぶねえ、と言いつつぶかぶかの指でキャッチしたアポロは、袋の中身を掌の上に転がした。部品は真ん丸の球体で、黒目のような小さなディスプレイが付いている。

「それねえ、あんたたちの身体の中のあったやつ」「は?冗談だろ」「マジマジ。猟師さんに分けてもらったの。今日とれたてホヤホヤの」「嘘だろ……」

 私の発言にドン引きしつつ、アポロは球体を弄りまわしている。

「これは……多分バックアップメモリだな」「なにそれ」「外付けの脳みそみたいなもん」「へー。それ使えば、記憶喪失も直ったりするの?」「いや、他人のだからそれはないと思うぞ」「でもでも!思い出すきっかけになるかもよ!」

 マッキーが突風に負けじと大声を張り上げて会話に割り込んできた。

「そりゃあ、そうかもしれんが……」

 そう言うと、アポロは胸の計器の一つを取り外し、球体の黒目に近づける。すると黒目が瞬きするように点滅し、光が計器に吸い込まれてゆく。

「こりゃあ……」「どう?何かわかったー?」

「あー、なんだ、こいつの持ち主も、アレだ、俺と大して変わんないやつっつーか」「記憶喪失だったってこと?」「あいや、そういうわけでもないけど、そう、空っぽ!空っぽなんだよ!中に何も入ってない!」

 歯切れが悪そうな言い方だったので私は訝しんだが、そんなもやもや感は「海だー!」という、マッキーの歓声にかき消された。

「おう、もう着いたのか!」「ううん、まだここは湾岸エリアだから、海岸まではもうちょいある。でも近くにサービスエリアがあるからそこで休憩していくよー。ずっと走りっぱなしで疲れた!」

 そういうことになった。



 サービスエリア跡地に到着すると、廃遊園地と廃ショッピングモールの巨大な影が私たちを迎え入れた。巨大な建造物はずっとずっと昔に稼働を止めて久しいらしく、遠目に見える観覧車のゴンドラはいくつも欠け、施設の窓という窓は全て割れている。

 しかし、サービスエリアには先客がいた。ドラム缶を燃やして暖をとっているその集団は私たちを指差すと、口々に何かしら言い合いながら、ゾロゾロと近寄ってくる。ざっと見て、十人程度。背筋に汗が伝う。

「うわ……サイアク」「なんだ、あいつら。めちゃくちゃ感じ悪いな」「スカベンジャーだよ。なんかね、空き家とか建物とかに勝手に住み着いて好き勝手してる連中。物騒だから近づいちゃだめって言われてるんだけど、どうしよう、向かってくるよ……」

 マッキーが不安そうに私の方を見てくる。

「どうもこうもないでしょ。目付けられたんならこっちから堂々行かないと」「うう……」

 男でしょ、と背中を押したものの、マッキーはしょげかえった大型犬のようにトボトボ歩くので、仕方なしに隣に並んでやる。

「おう、おう、こんな時間に男女がニケツでデートとは、甘酸っぺえじゃねえか」「ここが輝輝小星・宮流星団トゥインクル・クルセイダーズのシマと知ってのドライブかァ?」「子どもはグッスリすやすやネンネの時間だぜ?」

 スカベンジャーの一団は私たちを取り囲んだ。髪をドキツイ色に染めたり、腕にタトゥーを入れたり、顔にペイントを施したり。あと、ジャケットのあちこちに反射板を縫い付けていて、火の明かりを受けてピカピカ光らせている。見るからに治安が悪そうな連中だ。

 町民のスカベンジャー苦情も受け持っている深山さん曰く、「大人になりたくないと駄々をこねてる、どうしようもないやつら」らしい。

 それでも、怖いものは怖い。

「ちょっと休憩に寄っただけ。すぐ出ていくから」「おいおい、ハイそうですかって帰してやると思ってるのか?」

 私たちを解放するつもりがないかのように男たちはニヤニヤ笑いを止めなかった。

「この前もよお、石売りの露天商の婆さんがえっちらおっちら重そうに荷物を抱えて歩いてたからよ、俺たちで送り届けてやったんだぜ!後部座席でヘルメット被らせてな!」「婆さん悲鳴上げてて痛快だったな!法定速度順守してたのによ!」「売り物の石ころも荷台に括りつけて丁重に運んでやったぜ!」「この辺の道はデコボコしてて危ねえからよォ!」「さあ、どこへ行く予定なのか教えてくれよ。俺たちが安全にエスコートしてやるぜ、ゲハハハハ!」「ひぃー!」

 マッキーは情けない声を上げて私の後ろに逃げ隠れた。――情けないやつ!

「やれやれ、見てられないな」

 すると、「よっこらせ」と言いながら荷台からアポロが降りてきて、私たちとスカベンジャーの間に割って入って来た。

「なんだ、テメェ……?」「なんかピカピカ点滅してるぞ」「服も真っ白な反射板みてえで悪くない格好だ」「好き勝手言ってくれるじゃねえか。……あのバイク、イカしてるな。お前らのか?」

 アポロが不意に指差したのは、少し離れた位置に停められていた数台のバイクだ。ピカピカに磨き上げられ、ドラム缶の火の明かりを受けて誇らしげに光り輝いている。スカベンジャーの一人が前に出て、自慢げに語り出した。

「ああ、いいだろ。俺が3年かけてレストアしたCB400だ。あそこまで完璧に仕上がったバイクはもうこの世に二台とねえ。俺たちの夢と浪漫の結晶だ」「そうか、そうか」

「本当は許可がないと使っちゃいけないんだけどな。今回は特別サービスだ」「おい、なんだそりゃ――」

 アポロはおもむろにバイクに向けて引き金を引くと、特に派手な発射音もなく青く細いレーザー光が照射され――突然バイクが爆発炎上した。

「お、俺の魂のCB400スーパーフォーがァーーッ!?」「おう、おう、年代物のバイクはよく燃えるなぁ」

 ならず者集団はアポロに食って掛かろうとしたが、レーザー銃を向けられると、見えない壁に阻まれるようにピタリと静止した。

「てめえ、一体何しやがった……」「何って……オイルタンクにレーザーで穴を開けて、燃料に引火させただけだが?」「なんてやつ……!」

 アポロは不敵に笑うと、次の標的を物色し始める。

「ほら、次はどのバイクだ?それともお前たちに照準を合わせてもいいんだぞ。こいつで人を撃ったことはないからな。一体どうなると思う?」

「畜生、覚えてろ!この借りはきっちり返してやるからな!」「それまでせいぜいデートを楽しみな!」「パパママに怒られる前にさっさと家に帰って寝な!」「ハハハ、おととい来やがれってんだ!」

 ならず者の集団は慌ててバイクにまたがり、ニケツ、あるいは三ケツでサービスエリアから走り去っていく。アポロはバイク群が見えなくなるまで威嚇的にレーザー銃を空目掛けて放ち、その度にぶおんという低音と共に、夜空に青いイルミネーションが舞った。

 痛快そうに笑っていたアポロはしかし、突然ぐったりとその場にうずくまった。私とマッキーは急いでアポロの傍に駆けつけて、両側から支えて助け起こす。

「ちょっと、どうしたの!?」「だ、大丈夫!?」「こいつは、想像以上に、堪えるな……」

 スピーカーから聞こえる息は荒い。体も上手く動かせないようだった。

「この銃はな、俺とエネルギーを共有してるんだ」「どういうこと?」「引き金を引くたびに、俺の寿命が縮むってことさ。ちょっと乱射しすぎたな」「そんな……」

「早く町に引き返さなくちゃ、うちの親に連絡いれるから――」

 スマホを取り出そうとした私を、アポロは制した。

「いや、連絡はダメだ。そんなことより、早く、海へ」「そんなことできるわけないでしょ!こんなにも具合悪そうなのに」「いいんだ、どうせもう助からない」「は……?」

 唖然としてアポロを見る。そこへ、おずおずと様子をうかがっていたマッキーが意を決した様子で間に入ってきた。

「ゴメン、黙ってたんだけど、アポロ、うちに生き倒れてた時点で、もうあんまり時間がなかったんだって。クローンがどうとか、テロメアが短いとか。そもそもご飯も食べられない体のつくりで、もともと長生きできない生き物なんだって」「そんなの、私、聞いてない……」「まあ、出会ってまだ一日も経ってないしな」

 宇宙服の胸部スピーカーから苦笑いの声が聞こえる。

「ほら、行こう」

 マッキーが原付を回してくる。私たちは協力してアポロを荷台にそっと下ろす。ヘルメットやらゴツい宇宙服やらで大人よりもずっと重そうに見えていたが、アポロの身体は想像以上に軽かった。余命幾ばくも無いことを証明するかのように。



 波打ち際から、砂が洗われる音が聞こえる。磯の臭いが鼻腔を満たす。

 眼前に、海。

 遠くには、蔦にびっしりと覆われた巨大な煙突が何本も突き出ている、発電所の墓標がそびえ立っている。湾岸エリアの巨大建造物が、骸を晒している。意味をなさない明かりを弱々しく点滅させ続ける。

 私たちの世界の、原風景だ。

 流木に腰かけて、私たちは夜が明けるのを待っていた。

「どう、海は」「ああ、いい眺めだ」「すごいよねえ。こんなにもたくさんの水、どこから流れてくるのかなあ」

 ――海、かぁ。改めて目にすると、スケールが大きすぎてピンとこない。

 途方もなく広く見えても、宇宙から見れば水滴一滴にも満たないというのだから変な話だ。だったら、私が海を広いと感じているこの気持ちはなんなのか。まだ知らない世界がいくつも存在しているのか。マッキーや、アポロが見る海の景色はまた違って見えているのか。

 アポロは、ずっと海を眺めている。その横顔、ヘルメットのバイザーには、吸い込まれるような漆黒しか映っていない。星の見えない夜空よりもずっと黒く、ただひたすらに闇で、死の色だった。

 アポロは、ポシェットから銀の球体を取り出した。

「こいつが教えてくれたよ。思い出したわ、自分のことを」

 そうしてアポロは語り出した。

「地球環境の悪化」「絶え間ない紛争とテロ」「国家解体戦争」「歯止めのかからない人口減少」「文明崩壊の危機」「種の立ち枯れ時」「環境適応のための遺伝子改造」「マン・アフター・マン計画」「DNA系譜識別番号身分証による在地球人の管理」「衛星軌道上のクローン工場」「環境調査用の人工生命体」「……計画を統括するマザーAIおかみ様

 ……分からない。私にはアポロの話すことの半分も理解できない。こんな歴史の授業みたいなことが聞きたいわけじゃない。

 第一、私とこのヘンテコな白装束の間には、何の関係もなかった。たまたまスマホの具合が悪くなって、たまたまマッキーの店に行って、たまたま出会っただけだ。同情するような間柄でもないし、そもそもこいつの同類に「神隠し」に逢いかけた訳だし。

 なのに、どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろう。

「俺たちが取って食われてるのは面食らったが、俺たちは俺たちで消耗品だからマザーにはなんとも思われてないし、俺たちも人さらいをやってる手前、何の擁護もできんしな」

「神隠し」に逢った人がどうなったのか、アポロは話さなかった。私たちも聞くことはできなかった。それがまるで正しいことのように。

「俺ァさ、よく分からんまま生まれて、普通だったら、おまえらを攫っていくか、それとも猟師に狩られたかしたはずなんだ。それがどういうわけか、こうやって一緒に海を眺めに来てる」

 マッキーはさっきから何も言わず、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。

「俺が死んだら、他の連中と同じように、俺を食ってほしい。それが最後の願いだ」

 そんなこと、できるわけないよ。そう言おうとした声はかすれて、波の音の中に溶けて消えてしまった。

「……日の出だ」

 その一言を最後に、アポロが口を開くことはなかった。物言わぬ友人の隣で、私たちは朝焼けが昇る水平線をずっと眺めていた。



「……行っちゃったね」「うん」

 埋め戻した土の前で私たちは手を合わせた。

 地面の下に、亡骸はない。埋まっているのはあの小さな球体の部品だけだ。

「これで良かったのかなあ」

 明朝町に帰ってくるなり、私たちはメタクソに叱られた。私の母親、深山さん、先生までリモート通話をわざわざ使って説教をしてきたし、明日中にはマッキーの父親にも耳に入ることになるだろう。

 私たちは包み隠さず、アポロのことを正直に話した。

 あの後、大人たちは夜通し話し合っていたらしい。そこで何が話されたのかは分からない。ひとつだけ分かっているのは、紛糾する会合の中、中村さんは開口一番で、

「かーちゃん、子どもらに馳走たーくさんつくってやってけれ」

 と言ったことだけだ。

 その証拠に、美味しそうな匂いがここまで漂ってくる。今頃、中村さんちのおばさんがたくさん料理をつくってくれていることだろう。

 料理に口をつけた瞬間、きっと私は今までの私じゃなくなる。なんとなく、そんな気がするのだ。

 だけど、それでもかまわない。

「行こっか、マッキー」「うん」

 そして私たちは歩き出した。想像もつかない何かが私たちの元に遣わした、友人のところへ。


(完)


本作品は「#パルプアドベントカレンダー2023」飛び入り参加作品で、逆噴射小説大賞2023応募作品「おかみ様の遣わすもの」の完全版になります。




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