見出し画像

どうして精神障害者は身体障害者を妬むのか

ギョッとする人もいるかもしれないが、タイトルの内容は割とガチだ。
精神障害者は身体障害者を妬む傾向があり、一部の人はあけすけに悪く言ったりもする。

なぜなら精神障害者というのは、障害者という弱者の中でも最弱だからだ。
今回は身体障害者と精神障害者の傾向を比べて、その差異をまとめていく。

障害がある時点で身体でも精神でも生きにくい。
しかし、身体障害者は精神障害者にとって妬ましくなるほど有利な点もあるという話だ。

障害者間の訴求力格差

さっきから精神障害者は弱いと言っているが、果たして何をもって弱いと言っているのか。

一言でいうなら訴求力、
詳らかに言うと、他者に『助けなくては!』と思わせる力のことである。

身体障害の強み

言うまでもないが、身体障害者は障害のほどが目に見えることが多い。
超絶不謹慎だが、これこそが身体障害者の強みである。
例えば歩き方の不自然さ、手足の欠損、車いす使用などで、障害の有無は一目瞭然だ。

このわかりやすさこそが、障害者間、ひいては弱者としての強さに直結する。
身体障害者はわかりやすいがゆえに、他者からの親切や庇護、公的な福祉にありつきやすい。
脚がない人や歩けない人は移動できるように補助しないといけないわけだ。
(そうしないと道徳ポイントが下がるという面もあるかもしれない)
このように身体障害者は問題がわりかしシンプルで、助ける側もわかりやすいのである。
親切が成立しやすいのだ。

なお、次に目で認識しやすい障害は重度の知的障害だろう。
こちらはあまり近寄る人はいないようだが…

精神障害者は訴求力が最も弱い

一方で、精神障害というのは目に見えない。
普通の人と変わりない外見をしているのに、精神というか脳内物質に異常があるので、一目で障害者と認識するのは不可能に近い。
関わっていけば障害の影響が垣間見えるだろうが、それを障害として認識してもらうことも場合によっては難しい。
仮に症状を認識してもらえても、相手が悪いと逆効果だ。
甘えとか根性が云々とか言うスピリチュアル信者の攻撃の的にもなりかねない。

健常者にとって、精神障害者はかなり気味が悪い存在だ。
外見が同じなだけに、余計に意味が分からないんだろうと思っている。
昨今はある程度、精神障害も受容されつつあるが、身体のそれには遠く及ばない。

外見は同じなのに中身がキッチングガイである可能性があるというのは、健常者にとってはそれなりの恐怖だろう。寄生獣のようなものだ。
何が逆鱗に触れるか、何が希死念慮に火をつけるかも分からないのだ。
さらに言えば、何かのはずみで包丁を振り回しだすかもしれない。
『わからない』怖さが精神障害者にはある。

なんとなくの厚意が身体障害者に向きやすいのは、わかりやすいからなのだ。

障害者雇用の明暗

さて、我々のような社会生活に難を抱えた人のための就労制度も存在する。
企業は何人か障害者の雇用枠を用意してくれているのだ。
あくまで国からのお達しによる施策で、基準となる採用人数を達成すれば補助金が出るからでもあるそうだが、私たちにとってはありがたい話である。

しかし、身も蓋もない現実の話をしてしまうと、
障害者雇用というのはほぼ身体障害者用の制度だ。
知的障害者や精神障害者は、おこぼれにあずかれるかどうかというのが実情である。

企業も身体障害者優先

日本企業が社員を採用する際に最も重視する点が何なのか、ご存知の方も多いだろう。

勤怠の安定だ。
決められた出勤日、時間にきちんと顔を出してくれることを第一にしている。

精神障害者はこの時点でかなり怪しい人材となる。
なぜなら当日にならないとわからないような不調が襲いかかるからだ。
抑鬱による倦怠感、ストレスによる不調、パニック発作などなど、本人にしかわからないが出勤はとてもできないという症状が出勤日の朝に突然わいてくる。
会社や健常者にとって、ただのサボりにしか見えないことも往々にしてある。

この傾向があるため、精神障害者を優先して雇用する企業は少ない。
たまにそこにも理解と配慮をしてくれる企業もあるそうだが、少数であることは言うまでもないだろう。

対して身体障害者は、障害者雇用の恩恵を最も受けられるタイプの障害者だ。彼らは肉体の機能に障害を持っているが、そこは勤怠の安定には直結しにくい。

次点で重視しているのは、
円滑に仕事ができるコミュニケーション能力であり、
波風立てないように人間関係を構築できることである。

予想がつくと思うが、この点でも精神障害者は不利となる。

訴求力格差の話にも通じる内容だが、身体障害者は障害の分かりやすさというアドバンテージを持っている。
ゆえに周囲からの理解と補助が前提の人生を送っていることが多い。
この経験値により、他人と円滑なコミュニケーションを交わせてしまうわけだ。

一方で周囲の理解や補助と程遠い位置にいるのが精神障害者だ。
発達障害などもそうだが、目に見えないがゆえにサポートをえられない。
それどころか攻撃されたり軽んじられたりすることもしばしばだ。
先天性の発達障害による挫折や被害経験が積み重なったせいで、二次障害として精神疾患を発症して精神障害になってしまうこともある。

このようなルートをたどりがちな精神障害者は、人からのサポートが得られず、むしろ攻撃対象にされるという経験から人付き合いが非常に苦手だ。
精神疾患になってコミュ障になるのか、コミュ障ゆえに精神疾患になるのかはケースバイケースで、鶏と卵のような話だが、結果として精神疾患持ちのコミュ障が出来上がるだけの話なので大差はないだろう。
とまぁ、なんにせよ勤怠の安定の次に企業が重視するであろう、円滑な人間関係の構築と維持は困難となる。

こうして精神障害者は勤怠も安定しなければ職場の人間にも嫌われるという二重苦にとらわれてしまう。
追い詰められた先にあるのは退職の一手だ。

企業の側からしても、お金をかけて雇用した人間がすぐに辞めてしまうのは痛手だ。それゆえに、安定して長期勤続してくれる傾向にある身体障害者を優先して採用したがる。

嘘のような話だが、障害者雇用の身体障害者有利の話は、メンタルヘルス界隈にいる人にとっては常識となりつつある。

Xで『障害者雇用 身体』とでも検索すれば、たくさんポストが出てくるので見てみるのもいいだろう。

障害者枠で雇用してもらえる望みが低い。
雇用されても症状が配慮されにくい。
さらに障害者雇用を理由に賃金が低い。
このような三重の理由から、精神障害をひた隠しにして一般就労(クローズ就労)を選び、それはそれで苦しむ精神障害者はたくさんいる。

サポートが受けにくく、障害者雇用もおこぼれ程度にしか恩恵を受けられない精神障害者が頼ることになるのは障害年金制度だ。

しかしそこでも、精神障害者は不利な立場にある。

障害年金の側面


過去の記事で自身の障害年金申請と受給までの道のりをまとめたことがある。

社労士に相談したが、当時の主治医がとんでもない意見で障害年金申請を否定してきて、転院の末に理解のある医師が見つかり、長い年月を経てようやく受給に至ったという話だ。

身体は永久認定、精神は有期認定

こうして苦労の末に認定していただいた障害年金だが、来年には更新手続きが待っている。認定から2年後の精神障害の度合いを再び診断書に記してもらい、他の書類と一緒に提出する必要がある。
内容によっては認定状況が変わる可能性があるわけで、これは死活問題だ。

更新手続きで不支給になる人は少ないそうだが、いずれ等級が下がったり、万が一にも不支給に変化したりする可能性があるというのは、かなり精神によくない。

精神疾患を患った人にとって必要なのは、例え障害があって満足に働けなかったとしても、許されるし生きていけるという安心感なわけだが、年金が支給されるか否かはそこに直結する。

ゆえに公的な年金制度がぱったりと止まる可能性が少しでもあるというのは、メンタルに疾患を持つ人にとっては想像以上の恐怖となり、病状悪化の要因にもなりかねない。

かくいう私も、ふとした時に
年金が停止するかもしれない…」
という恐怖に週4日は震えている。

本題に戻ろう。
障害年金はもちろん、身体障害者にも適用される制度だ。
体に不自由があって社会生活に難を抱えているのだから当然の話でもあるが、注目すべきはその期間である。

障害年金には「永久認定」と「有期認定」の2種類があります。

「永久認定」は手足の切断、人工関節置換、失明など症状に変化がないもので、これに認定された場合、生涯にわたって、障害年金を受給することができます。

「有期認定」は症状が固定されない精神疾患、腎疾患、心疾患、がんなどのほとんどの病気が対象で、時間の経過や、治療により症状が軽くなったりするため、「更新」が必要になります。

引用元:柏・千葉障害年金更新センターHP

身体障害者も症状は人それぞれだが、障害年金が永久認定されることが少なくないのだ。

対して精神疾患による障害年金の受給期間は確実に有期となる。
1年から5年となっているが、私の場合は2年だ。
精神疾患は共通して2年なのかもしれない。

引用と重複するが、精神疾患というのは、投薬やカウンセリング、生活環境の変化で症状が改善されることがある。
完治することはないし、以前の自分に戻れることはほとんどないが、症状か軽くなって生活ができるようになる『寛解』の状態になれることはある。

寛解に至った場合、就労や生活の支障も改善されることが多いため、2年後の障害年金の更新では減額や不支給になる可能性が高まる。
精神疾患は決して完治することはないし、生育環境によるPTSDなどが根底にある場合はなおのこと完治はしないわけだが、その時の症状によって障害年金という安心要素が揺らぐ可能性が少なからずあるわけだ。

対して身体障害者にはそのような症状の変化はほぼない。
本人たちにとってはかなりのハンディキャップだし、不便なことだろうが、障害年金制度において更新の必要がなく、永久認定となる点は大きい。

我々精神障害者が喉から手が出るほど渇望しているのはメンタルの安定で、年金の永久認定はその点ではかなり有利なのだ。

ただでさえ、
・周囲のサポート
・障害者雇用を実施している企業の実質的優先雇用
などの精神障害者垂涎の恩恵がある中で、障害年金の期間も場合によっては無限なわけだ。

精神障害者から見たら、これはかなり妬ましく映る。
メンタルヘルス界隈で定期的に流れてくる情報には、こういった嫉妬を含んだ言論がしばしば登場するが、それも納得の状況である。

身体障害者と精神障害者の循環


ここからはまとめになる。

これまで話してきた内容を踏まえると、
身体障害者には正の循環があり、精神障害者には負の循環がある。
ということだ。

まず、身体障害者の正の循環だが、

①障害がわかりやすい傾向にある
②周囲の補助が得やすい→人格が歪みにくい
③障害者雇用で有利になりやすい
 (勤怠が安定しやすく、②の影響で人間関係も良好になりやすいため)
④障害年金の停止や減額の不安がほぼない

となる。

一方で精神障害者の負の循環を見ていく。

①障害がわかりにくい
②周囲の補助が得られにくい、それどころか攻撃されるリスクがある
 →人格がバキバキに歪む
③障害者雇用では明確に不利
 (勤怠が安定しにくく、②の影響で人間関係構築にも難が出やすい)
④障害年金の停止や減額のリスクが2年ごとにやってくる

起点は障害がわかりやすいかどうかだが、それが人間関係構築にも影響し、果てには就労できるかどうかや福祉にありつけるかどうかにも繋がっていく傾向にあるわけだ。

正直、身体障害者と精神障害者ほど、周囲の理解や福祉に差が出るものはないんじゃないかと思う。
いち精神障害者の主観に過ぎないが、うなずく精神障害者も多いんじゃないかと予想している。

念のために言っておくと、別に私は身体障害者を妬んでいるわけではない。
まして
『お前らはいいよな!!』
と攻撃の対象にするつもりもサラサラない。

障害を認識してもらえるかどうか、助けたくなるかどうかなどの差異で、個々の生きにくさに天と地ほどの差が出てくるという、世の中の無常をなんとなく書き記したくなっただけだ。

こういう構図があることを知らない人にとっては別世界の話だが、うんちくの一つとして頭の片隅にでも置いてくれれば幸いだ。
なお、覚えても何の役にも立たない。

身体障害者の方も精神障害者の方も、恩恵があるのならそれを利用するのは当然の選択だ。各々ができる限りの手を尽くして、なるべく元気に過ごしてほしい。

身体、知的、精神に関わらず、障害を持つ人すべてに対して、私はそう思っている。

ここから先は

0字

¥ 500

食費にします