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虚無感と罪悪感と、その対策

世の中には、理由なく虚無感や罪悪感を抱く人が多くいる。
かくいう僕もその1人だ。
こいつらは高頻度で出没し、こちらの精神をむしばみ、1日を台無しにしてしまう厄介な感情である。

①生きることの虚無感

僕は今、在宅で仕事をしている。
その理由は、身もふたもない話で『やらないと社会的に死に近づくから』だ。今は1人暮らしなので、食事もとらないといけないし、掃除や洗濯もしないといけない。自営業なので税金も悩みの種になっていて、それゆえにさらに仕事を増やそうと検討している。

なので、僕の生活は最低限の家事と仕事のみとなっている。別に褒められるようなことはしていないが、悪いこともしていない。

だが、そんな生活のちょっとした隙を狙ってくる敵がいる。
虚無感だ。

奴は仕事の合間、風呂に入っているとき、洗濯物を干しているとき、早寝しようとしているときなどを狙ってやってくる。

そして、僕の行動に対して、胸の底から『で?』と問いかけてくるのだ。

早寝して健康になってそれで?
仕事して口に糊して意味あんの?

という感じで、『それやったところで意味あんの?』という、なんとも水を差すような質問を向けてくるのだ。

早寝すれば朝気分がいい
洗濯して干し終えたときは何となく気分いい
風呂に入るのは気持ちいい
仕事に至っては、やらなければ生きていけない

と、湧き上がる疑問に対する答えを僕は持っているが、虚無に飲まれてしまうことも少なくない。本音では、虚無感さんにも、一理あると思っているからである。僕みたいな人間が生活を維持したところで意味などないと、心のどこかで思っているのだ。それなら、変に頑張らずに虚無に身を任せたほうがいいのでは…となってしまうのである。

特に嫌なことがあった日は、虚無さんに白旗を上げて、横になって一日を終えることもある。そういう日は、誰とも口を利きたくなくなる。

②何もしない罪悪感とストレス

仕事をする日も必要だが、休息も必要だ。
ということで、僕もたまに1日を休みにすることがある。
(休みといっても、まとまった食材の買い出しや通院、散髪などの予定を済ませるだけだが)

しかし、罪悪感を覚えることもある。
特にSNSなど見ていると、のんきな休日なのにお通夜のような気分になってしまうこともあるのだ。

僕とはいろんなものが違う人たちの投稿が、胸にチクチク刺さるのだ。

・土日もバリバリ副業している人
・意識高い人
・友達と楽しそうに遊んでいる写真をあげる人
・家庭を持ち、ほのぼのとした生活をつぶやく人

などが、独居中年となった自分には、こうかバツグンなのだ。別にこの人たちが悪いわけではないが、見た瞬間に目をそむけたくなる。社会の中で這いつくばるように生きる末代確定オジサンという現実を、いやおうなしに自覚させられてしまうからだ。

そして、漠然とした何かに対しての罪悪感に支配されてしまう。
ちゃんと生きられないことに対する、親への罪悪感かもしれないし、もっと漠然とした何かかもしれない。
おまけに、クソみたいなレスバやニュースを見るとストレスにもなる。

なんにせよ、この罪悪感につかまると、貴重な休日はお通夜になる。


虚無感とどう戦うべきか

さて、嘆いていても仕方ないので、虚無感と罪悪感にどう対処するかについて考えていこう。

まず虚無感だが、これはもうどうしようもない。

ツッコみたくなるかもしれないが、もう少し聞いてほしい。
別に白旗を上げて、カビが生えるまで横になろうというわけじゃない。

虚無感の入り口となる、行動に対する『で?』は自然と湧いてくるものだ。
なので、これにあらがうことも身を任せることもしない。
思考を停止して手だけを動かせばいい。

人生というのは不確実なもので、サイを投げておけば何かは起こる。
その何かに期待するから、僕は仕事や家事をして息をつなぐし、こうして文章を書く。
虚無に付き合うと、サイすら投げられなくなる。
それだけは防ぎたいので、虚無が来たら思考を止め、ただ手を動かしている。

もしそれにも疲れたら、時間を決めて休めばいい。

最近は仕事中、虚無感に負けそうなときは休憩するようにしている。
寝入らないように、15~45分のタイマーをかけ、アイマスクをして仮眠するのだ。対症療法に過ぎないが、起きたときには虚無感への抵抗力が少し戻ってくる。

ちなみに、仮眠をする前にカフェインを飲むとスッキリ感が増す。
カフェインといえばコーヒーやエナドリだが、虚無というのは進行が速い。
コーヒーを淹れる間に、エナドリを買いに行く間に飲まれてしまうだろう。
なので、僕も使っているカフェイン錠剤をお勧めしておく。

これを飲んでから45分も仮眠すれば、たいていの虚無は何とかなる。
とはいえ、カフェインはとりすぎ注意な成分だ。
僕は仮眠前と決め、1日3錠までにしている。

準備に多少の金はかかるが、虚無感に飲まれて一日を無駄にするよりはマシだ。

※カフェインを飲んで仮眠してもダメな日は、もうあきらめよう


罪悪感&ストレスとどう戦うべきか

さて、次は休日に水を差す罪悪感への対処だが、こちらは虚無と比べて非常にシンプルだ。

インターネットをやめろ

これに尽きる。
1人でゆっくり休むということを、インターネットは邪魔してくるからだ。

仲間と遊ぶリア充も、幸せなよその家庭も、生き馬の目を抜くインフルエンサーたちも、スマホの電源をオフにするだけでこちらに干渉できなくなる。

とはいえ、今はスマホがないと生活に困るので、時間を決めて行おう。
悪いSNSの権化であるTwitterの通知を切り、使わないようにするだけでも効果ありだ。

とにかく、見なくてもいいものをシャットアウトすればいいのである。
こうすればSNSのキラキラした人と自分を比較しての罪悪感はなくなるし、バズ目的の扇動的なツイートにストレスをためずに済む。

休日の1日くらいはスマホの電源を切って、いつか読もうと思っていた本を読んでみてはどうだろう。レスバを追うより、よほど充実した時間を過ごせるはずだ。

涼しくなったら、少し遠くまで散歩してもいい。
仕事以外で体を動かし、外の空気を感じることに集中するだけでも、気分はだいぶ変わる。

まずはインターネットをやめろ

虚無への対処は抽象的だが、罪悪感への対処はすぐにできる。
仕事中でもない限り、この記事を読んだらスマホの電源を切ってみよう。
そして、何でもいいから別の過ごし方をしてみよう。

やめろやめろ言うが、インターネットは悪いことばかりではない。
インターネットは自分の知らないことの答えをだいたい教えてくれるし、インターネットを通した交流が救いになることもある。

だが、インターネットで
『知らなくてもいいことを知ってしまった』
ことによる不幸、不利益が大きいことも忘れてはならない。

本来、人は2つの目で見える範囲の中で生きていくものだ。
昔の人はネットもなく、近所という狭い範囲の中で生きていた。
天上で生きる人々のことなど、いちいち目に入ってはこなかった。

比べて、インターネットでは、上を見ればキリがない。
(下を見てもキリがない)

どうにもならない情報で罪悪感を抱いてもしょうがないし、意味もない。
それに、SNSのレスバや問題提起を見ていると、自分の生活とは関係のないところでストレスが溜まっていく。

罪悪感を抱かず、自分の生活に集中するために、インターネット断ちは有効だろう。

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