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9ヶ月ぶりにボールを蹴った


「今年の夏は楽しむ。」
そう意気込んで迎えた社会人1年目の夏は期待を遥かに上回る楽しさだった。
今まで、頭の大半がサッカーでできていた私は、夏=暑いからコンディションが悪い。だから夏のサッカーは好まない。⇨夏はきついだけ。⇨夏、好きじゃない。
という生活にまでサッカー脳が及ぼされているくらいだった。
しかし今年は、良くも悪くも強制的にサッカーから離されて、サッカーがない夏になったので、本来の夏らしさを楽しむことができた。こんなに楽しいんだって、置いてきた青春を取り戻すかのようだった。


これは余談だが、今までずっと「オフ」と呼んでいたものが、「休み」と言うようになったな。なんて、細かいところだけど頭の中もサッカーから離れられているんだと寝る前に思ったこともあった。
少々寂しい気持ちにもなった。



勿論、夏を楽しむ中でも並行してリハビリのある生活は送ってきた。
何ら変わりのない普通の日や、ちょっと疲れたなと思う日、今日はいいだろうって甘えそうな日でさえ膝と向き合った。普通の人生だったら、こんなにも膝をまじまじと見ることないってほど、直接的にも向き合った。笑
リハビリというのは「1歩進んで2歩下がる」の繰り返し。調子悪い日の方が多い。だから一喜一憂して落ち込んでいると肝心なメンタルがやられてしまう。どこかの誰かは2年前にメンタルブレイクを起こして負のサイクルを起こしていたから。
この概念を基にすると、9月上旬まで凄い順調に進んでいた。
だがしかし、が始まる…




ナツノオワリを聴くのがドンピシャな心地よい時期に差し掛かった頃、流石に見逃せない膝の違和感を覚え始めた。何か違う、やばいかもしれないって、膝にメスを3回入れてる人が思うのだから、根拠は確かなものだった。いや、焦った。かなり、焦ってた。ほんの何時間前まで最悪な事態を想定していたくらい。
だって、自分の膝は自分が1番分かっているから。




こればかりは仕方ないし自分の立場、境遇を弁えている上で言わせてもらうが、リハビリを1人で何ヶ月も行うって相当しんどいものである。常に1人で噛み締めて向き合って、地道で地味なことの繰り返しの先にあるのはほんの小さな変化や成長しかなくて、それも見えにくくて。
奮い立たせてくれる人もいなければ、一緒にトレーニングできる人もいない。悩みを抱えていても、誰にも相談できなくて。会社の人に「いや膝がさ〜」なんて話したところで流されて終わっちゃうだろうし。
公園で黄昏ながら思い詰めそうになった日の夜、お気に入りだったコップが割れてしまい、悟った。。これドラマだよねって日記に書いた。



ドクターの都合でMRIの検査結果を聞けるのが2週間後になった。あいにく、会社での環境も変わりこの2週間は座学続きの毎日だった。
サッカーって何であんなに大きなコートを90分も走ってるのって会社の人から言われたことがある。自分でもよく分からない。
そんなスポーツをしていた人が1日の大半を椅子に座って資料と睨めっこしてると、身体がバグを起こしそうになる。動きたいって。



嘘だと言ってくれよって唱えながらランニングしてみても違和感は拭えない。本当、いつになったらサッカーできるんだろうって悲しくなった。
このままできなくなった方がいいのかも。。。
とも思った。




凄い怯えながら、迎えた診察の日。今日。
ドクターの顔がケロッとしてたので、少し安心した。現状を説明して、膝の写真を見ながら説明してくれた。
扉を閉めてから、ホッと安堵の息をついた。

結論、前十字靭帯と半月板に問題は見当たらなかった。半月板はメス入れて見てみないと定かじゃない、小さな損傷がある可能性が無きにしも非ずだが、大きな損傷はない。痛んでる箇所と重さからして、靭帯再建のために入れた金属、この金具が原因らしい。確かに見てわかるほどその箇所が浮き出てて、そこが違和感を発している気持ち悪い箇所だった。


とりあえず痛みの原因が分かったこと、靭帯と半月板に異常がなかったことが何よりで、安心した。
この金属と少なくとも後5ヶ月付き合わなくてはならないと思うと顔を顰めたくなるが、まあ良い。
靭帯が完全に治りきったら、抜去手術ができるみたいなので、少し楽に考えたい。



疑いが晴れて、リハビリもいつも通り行った後、
ボール蹴っちゃダメですか?「俺サッカーしたいです。」ってリハビリの先生に相談してみた。いつから俺にとってのサッカーは許可制になったのだろうかと不思議に思えた。(そんなことはいい)



ドクターからは11月後半以降って言われたけど、「装具をつけながらドリブルや短いパスだったらいいよ」って許可を出してくれた。




「うっわ、なんかやっと報われたわ。」
って凄いやりきった感覚になった。




何のためにやってきたかよく分からなくなりそうだったけど、たかが一つのボールを蹴るために必死になってやってきたんだなって改まれた。
サッカーから逃げようとして新しいことにチャレンジしてみたり、新しい環境に身を置いて違った世界に入ってみたけど、やっぱりサッカーあっての自分なのかもしれない。なんてね。



怪我した瞬間から全治12ヶ月を申告されたあの期間がフラッシュバックした。完全に主人公気分。
やられそうになった。




帰宅して、着替えてボールとスパイクを持って河川敷へ向かった。
スパイクを履いている時が1番うるっときた。今どきすぎて、あまり好きでは無いが“エモい”が似合う感情だったと思う。



ちょうど小学生が放課後を楽しんでいる朗らかな時間が過ぎていく中、颯爽と23歳の大人がグルグルとコートをドリブルしながら回った。
何を思ったかは割愛させていただく。自分の中で留めておきたい。




ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
人生のターニングポイントになりうるこの1年の、節目を忘れたくなかったから物凄い殴り書きでここまで綴ったが、ひとつだけ、最後に。



ここまで本当に辛かった。自分が壊れそうになる時があって、完全に自分を見失ってた時もあった。人生から彩も感情も何もかもなくなって、虚無だった。前が見えなくなって凄い怖かった。
けど,なんかやり続けてた。

足を自分の力であげてみよう、力を入れてみよう、から始まったものが、杖が取れ、錘をつけて足上げするようになり、体重をかけられるようになったら、2足で歩く練習してて、筋力戻ってきたと思ったら、2回目の手術して出戻り。また杖ついて、始まった足上げから、1回目と同様なタスクをこなしていたらバイクが漕げるようになっていて、その場ジョグが始まった。
歩きよりも遅いんじゃ無いかというペースでのジョギングから、坂道階段を降りてみたり、片足でのスクワットまでやっていた。制限が1分だった走りも2分、5分、10分と長くなり、ペースも上がっていった。器具を使った筋トレが始まり、軽いステップワークを踏めるようになった。それでも筋力測定で筋力差が著しくて、もう一度立ち返って地味なトレーニングを繰り返した。繰り返して、繰り返しまくった。
そしてついにボールを蹴れるまできた。


まだまだ続く。道のりはまだ長い。


けど1つの分岐点まで来た。
今日は自分でも労いたい。
我ながら、よくここまでやってきたわって心の底から思う。本当に、自負できるくらいやってきた。


無のまま、何の対価もないままやってきたから少し承認欲求が沸いているのかもしれない。


いや、でも今日だけは自惚れたい。
だからここまで読んでくれて少しでも情に共感してくれたら嬉しいし、何か言葉をくれたらもっと嬉しい。




とりあえず、本当に良くやった、お疲れ自分。
また明日からいつも通り膝と睨めっこしよう^ - ^

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