死の予感、不思議な体験

父は、癌と精神病(双極性障害)を患っていた。

癌では余命宣告を受けており、「娘さん(私:現在22歳)が中学を卒業するのは見届けられないでしょう」と告げられていた。

そんな父が、余命宣告を大きく超えて、私が社会人になるまで側にいてくれた。奇跡のようなことだ。

私の母も難病を患っており、働ける状態ではなかった。もし、余命宣告通り父が中学卒業前に亡くなっていたら、母と私はどうなっていたのだろう。科学的な根拠に基づいて考えれば、そうなる方がある意味自然だったのかもしれない。私が当たり前だと思っていた生活は、奇跡の上に成り立っていたのである。

当たり前は、それが当たり前でなくなってしまってから有り難みがわかる。

今年私は社会人になった。
父は、薬の副作用で手が震えて自分で爪が切れなくなった。ハンコも押せなくなった。色々なことができなくなっていくことに対して、「何クソ」という反発もなくなり、悲しそうに笑うことが増えた。「癌の方は寛解しそう」「躁鬱も落ち着いている」「手の震えは薬の副作用だから」医師から言われた言葉を無理やり信じて誤魔化していたが、それを抜きにしても明らかに弱っていた。

そんな父を見るのが怖かった。
父は近いうちに働けなくなるだろう、そんな予感がした。私が両親2人を養うことになるのだろうか。守らなくてはいけない人がいることが、ただ毎日淡々と働くことが、こんなにも大変で重圧のあることだと知らなかった。このとき初めて父に心からの感謝をした。

この感謝を直接伝えたかった。でも、それが未熟な私にとってはとんでもなく難しいことだった。
目の前にいる弱った人物が自分の父であること、そんな父にさせてしまった原因は自分にもあることを受け入れられずに、素直になれなかった。

最後に実家に帰り、訪問看護に立ち会った日、父は「今日良いお肉あるから、すき焼き一緒に食べない?」と誘ってくれた。

ただ私は、弱った父を見るのがなんとなく辛くて、逃げたくて、理由をつけて断り、自宅へ帰った。これが最期だった。次会うのが、警察署の遺体安置所になるなんて。たった一人で自宅で亡くなってしまうなんて。

亡くなる数日前、父は急にFacebookで自分史をまとめ始めた。生まれてから、現在までのハイライトをまとめ始めたのだ。

そして、亡くなったであろう日、私と母は別の場所にいたのに、同じぐらいの時間に心臓に抉られるような痛みを感じた。

そして私が父の死を知った日、数ヶ月間連絡を取っていなかった父の親友から、父のスマホではなく、何故か私に「お父さんは最近元気ですか?なんだが心配になって」と突然連絡が来た。

父は、自分がこの世からいなくなることを何となく察していたのだろうか?
そして、それを身近な人から順番に知らせてくれたのだろうか?
虫の知らせ、なんて信じたことがなかったけれど、実際に体験してみると何か特別な、目に見えない力が働いているようにしか思えなかった。

余命宣告では、10年ほど前に亡くなっていても不思議ではなかった父。社会人になって経済的に自立した私の姿、実家で幸せそうに暮らしている母の姿を見て安心したのだろうか?ピンと張り詰めていた糸が切れたのだろうか?

もしそうなのだとしたら、もう大丈夫だから、きっとなんとかなるから、ゆっくり休んで。辛い想いに気づいてあげられなくて、ちゃんと感謝を伝えられなくて、ごめんね、ありがとう、と伝えたい。






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