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運動の不器用さって言うとちょっとあれだね。可愛いね。GABAってグァバと似てる。

 Twitter見てたらこういうのが流れてきた。

ASD全体の中の、一部の人の持つ根づよい希死念慮や不眠の症状とGABAに関係があるかも? という話を以前英語のASDのためのサイトで読み、ほえーと思っていた。でもこういう風に日本語で読めるととても嬉しい。助かる。英語の記事は半日や二三日かけて読んでる。すらすら読めるようになりたいね。英語で読むと、キーワードが頭に残らなくて、後日検索を深めるということができないんだな、私の場合。だから国内でこのような研究がなされているというのはほんとにありがたい。

 私はADHD風味なのでさ、最初は夫を見てちょっと似てるかも? と思ったんだよね。夫は変な仕事ばっかりしてて、きわどいほうへきわどいほうへ流れていく人で、パッと見好奇心旺盛なタイプに見えなくもない。

 話してると「だよね~」ってなることも多いんだけど、それも掘り下げるとちょっと違うんだな。例えば過集中。

私「時間って知らない間に溶けてる。集中してると特に」

夫「わかる。子どもの頃、寝食忘れて十四時間作業に没頭してたことある。」

私「……!!!?(私の言う溶けるは十五分のつもりが四時間といういつものやつなんだけど????)」

 ADHDはドーパミン分解能がちょっと変という説があってっていうかドーパミン薬が正常に効いているADHDはもとから脳内の興奮物質を処理する箇所がちょっと変みたいだよ。ドーパミンと言うと興奮物質というイメージだけど、安定した供給は集中力の持続に欠かせないらしい。ADHDの場合は、ドーパミン系の安定供給が難しく、熱しやすく冷めやすく、また集中が持続しないという症状を持つんだって。悲しいね。

 私は自分の集中力が異常にむらがあるので、安定的にパフォーマンスを発揮できる人に憧れがあった。われわれの集中は一か八かというところがあって、常に安定して仕事ををこなすことは難しい。特に高度な集中が必要とされる作業を決まった時間ずっと正確を期し続ける、というのはとても無理。敵が来るパターンを覚えて避ける系のゲーム、飽きた瞬間スコアがガタ落ちというADHD、おい、そこの君のことですけど、心当たりはないか。

 ASDのみの症状だと、集中力の持続に困難はほとんどないみたいで、むしろ一度始めたことを止めることの方が難しいみたい。注意をそらすことの方が難しそうだった。夫はシューティングとかインベーダーゲームめっちゃ得意なんだよな。手先の細かい作業も得意だし、分解したものを同じ手順で組み立てるというのも、とても得意。

 私は夫の器用なところや真面目なところを尊敬していたというか、なにをどうしたらそう言う風になれるんだ??? 人間業ではないな。と常日頃疑問に思っていた。

 夫は夫で、私の本番に強いところや大胆なところ、細かいことを気にしないところ、発言内容を求められた時間内にまとめられるところとかを「なにをどうやってそうなったんだ???」と感じていたらしい。道理で夫の尊敬する芸術家がピカソとかなんだよな。私から見ると完全に人間性を投げ捨てたADHDですよ、あんなやつは。まじピカソの人格はいかれているぜ。

 運動機能の不器用さの記事を読んでさ。やっぱりそうなんだ、って思った。私は意外と球技とか水泳とか好きなんだ。夫は球技が苦手らしい。筋力もあるし、動体視力もいい、計算も得意なのに、なぜ? ってずっと夫がボール遊びができないことを疑問に思っていた。

 どうもこの、複数の感覚・運動機能の連合をGABAが助けているみたい。夫はそれが損なわれているので、例えば視力とか、聴力とか、腕の筋力とか、単体の能力がどれだけ優れていても、同時に使用することに困難が生じるというわけらしかった。

 でもさ、いいよね。ひとつのことに集中するのはむしろ得意と言うことでしょ。職人気質と言うか、かっこいいじゃん。私はずっとそういう能力に憧れてたんだよね~。なにかを極めたかったんだ。

 私は個々の身体機能の能力値は低いんだよ。その代わり連合が優れているというか、まともに機能しているだけで。ピカソをご覧? すぐれた営業能力、セルフプロデュースをごり押しする胆力、若い画家の才能を目にしてへこたれずパクリつづける貪欲さなどの結果名を遺したけど、絵は。絵描きとしては筆運びの制御が甘いし目もいいほうではないよね……。正直、キャラクターの強さがなければ、発信力がなければ、凡庸な評価のままで終わった作家ではなかろうか。ピカソ嫌いだから無限に悪口言えてしまうよ。年を重ねても自分のスタイルを刷新し続けたピカソはすごいよ、と夫は言う。いやいや、お前は飽き性の真髄を知らないからそういことが言えるんだ。あいつはただ自分に飽き飽きするのが怖かっただけなんだよ。なにかこだわりや重さを持たせるほど自分の人生に価値を感じていなかっただけで。永遠にここではないどこか。自分ではない誰かを探し続けることと、挑戦し続けることは、見た目上はよく似ているね。

 夫はピカソが記者の正気を失わせた話が好きだ。私はジョブズとかピカソの周りは死屍累々だったんだろうなぁと思うと、どうにも背筋が冷たくなってしまう。少なくとも、身近にいてほしいタイプの人間ではない。

 でもそうか。ピカソの営業スタイルは相手のほしい言葉やその裏をかく方法だったんだろう。それらは夫が一番苦手とするジャンルだ。夫は文脈を読み解くのがあまり得意ではなく、コミュニケーションも苦手らしい。たぶん、会話相手の目や口の周りの微細な変化をシグナルとして感じ取って、急激な方向転換、例えば怒りの感情の兆候を察知して、素早く回避するような発言を重ねるとか、今まで褒めていたことを褒めないようにするとか、そういう注意の切り替えが夫にとっては不得手、難しいことなのだ。ましてやピカソみたいに、妻や愛人、それぞれの好みを熟知し、振る舞い方を変えるなんて、一番苦手なことなのだろう。

 なるほどなぁと思う。自分ができることはさほど思わないけど、苦手なことをさらりと成し遂げる対象には、畏敬の念が生まれる。夫と気が合うようでなかなか合わない、というのがだんだんわかってきた気がする。色々な面で正反対なのだ、なにもかも。

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