没後50年 藤田嗣治展@京都国立近代美術館

藤田嗣治の作品展に行ってきました。京都国立近代美術館。楽しかった!

若かりし頃の作品から、亡くなるまでの作品が一堂に会してものすごい見ごたえ。良かったんですよ。全部。何から書いたらいいかわからないな。そのくらい興奮しました。
印刷だと出ない絵の奥行や筆の跡がそのまま感じられてよかった。また時期ごとにタッチが変わって、進化していくさまが見られたのも良かったです。この規模の展示が見れてすごくうれしかった。みんなも見に行ってくれ……!

やっぱり大きい作品の前に行くと、迫力というか、すごみがあって。しかも藤田の絵って細かいところはどこまでも細密でリアルなんですが、ぼかしてあるところはちゃんとぼかしてあって、視線が自然と誘導されていく、どこにピントを合わせるべきか導かれる感じでした。
木の木目や布のプリント、絵柄、染め抜きの図案、夫人のドレスのチュールの網目。これ以上なく緻密に美しく描かれていて、まるで写真のよう。ところが人物の顔や表情は明暗が抜かれていてマットな白い肌。非常に絵画的です。
そのアンバランスが美しい。全面が細密だと、見ていて疲れてしまうんですね。晩年の宗教画はむしろ緻密さを突き詰めて画面すべてあますところなく心血が注がれていて、それは目の前の人を敬虔な気分に導く効果がありました。日常見る絵画はそこまで集中しなくて、ふわっと見るものがやっぱりいいですよね。張り詰めすぎると、背景から浮いてしまうので、景観の中で見る絵画としては、抜くところはきちんと抜かれている方がいい。

若いころの繊細な筆遣いが、アメリカ大陸を南北に横断するたびを経てがらりと変わります。嫋やかで柔らかさが魅力だった藤田の筆致に、力強さ、色遣いの明るさ、空気感で魅力を表現するのではなく、モデルに正面から向き合った、写実の迫力が加わりました。
この時期の絵に魅了されましたね。息を呑む迫力。

あと猫ですね。猫が描かれるたびに極まっていって、それを見ているだけでドラマチックで面白いかったです。猫派の人には絶対藤田の絵を見てほしい。有名なのは自画像に描かれたネコちゃんです。挑戦的な顔つきがそこはかとない魅力。藤田はものを美しく描こうとしない、存在感を画面に写そうとしているところがあって、そこが私はとても好きです。猫のキメ顔も、美しいだけでなく、野生的で攻撃的な、ネコ科の動物の魅力を上手く引き出した顔が選ばれている。自画像の煽り顔ネコちゃんは藤田も気に入っていたのか、何度か同じポーズの猫を描いています。
猫好きの人は「争闘」見て行って。ありのままの猫。もう猫が一杯画面に入り乱れてて最高なので。飼い慣らされていながら野生を失わない猫の気高さ、愛おしさ。

日本に帰ってきた藤田の絵もすごい良いんですよね。「魚河岸」とか最高。日本の風土が絵の中にぎゅっと濃縮されて詰め込まれていて、藤田得意の繊細さと細密さに力強さ、迫力まで手に入れちゃってこれ以上のチートはないだろっていう。沖縄を訪れたときの絵画すごく良かった。藤田は土地の人や物をよく見て絵に写しますね。そこに敬意や愛情がある。

それで日本に帰国して戦争画描いて批判されてまたパリに帰る。
この時期の絵画には暗さがあってちょっと。アッツ島玉砕とか。でもね、人体描写の正確さ、細かさ、遠くの火の手の上がっている煙のリアルさ、すごい絵画だったのは確かです。彼は当時それを描くべきだ、ときっと思ったんでしょう。

でパリに戻ってまたちゃんと仕事をする。生活をする。祈る。絵だけにとどまらず、お皿を焼いたり、絵をつけたり、模型を作ったり、色々。藤田はいろんなことにチャレンジし続けて、どれも自分の血肉にしてきた人なんだなぁと感じました。
「私の夢」にはじまる、擬人化した動物たちのモチーフが私はすごく好きで、きつねの家族を描いた絵画があったんですが、それが大好き。イソップの「カラスときつね」の話を用いた絵画が絵の中に飾られていて、この家族はイソップに出てくるきつねを崇めているのかな、教育方針にしているのかな、とか思うと楽しかった。このきつねたちの住んでいる家だけを描いた絵画もあって、モチーフが作家の頭の中にずっと存在していたのかな、愛着を持って描かれ続けていたのかな、と思うとすごく楽しくなります。

めちゃくちゃ楽しかったし、めちゃくちゃ感動したし、最高だったのでみんな見に行ってくれ。入場料1500円安すぎる。ひとりの人間の一生分の仕事を映画一本見るのと同じ料金で見れるってどういうこと……?って混乱するくらいに良かったです。

サポートいただけると嬉しいです。記事に反映させます。具体的にはもっと本を読んで感想を書いたり骨身にしたりします。