誰がために

今の俺がバーチャル活動の中で紡ぐ肯定の言葉というのは、実のところ誰のために発しているかといえば俺自身のためということになるのでしょう。
同級生の暴力や嘲笑、母の怒声と無理解に苦しみ、ネット上にも救いといえるものはさほど無いどころか暴言と差別的言説の飛び交う匿名掲示板コミュニティに誘引されそこでも(勝手に)傷つき、
毎日のように死にたい・消えたいと思い、夜になるといつも布団の中で泣いていた小中学生時代の「俺」がかけてほしかったであろう言葉を、自分の生がどうしようもなく無益で無意味で無価値なものになってしまった今になって自分自身の口から発している。考えてみれば何たる滑稽さでありましょうか
それでも俺がかつての俺のために発する言葉で俺以外の誰かが救われるのなら、活動を始めた意義はあったのであろうと思っています。

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