私はなにも知らない【ショートショート】
家族は、学習机の下に置いて行こう。そして、またこの家に帰ってこれたなら、そのときは、ぎゅうっと抱きしめてあげよう。
夜中だから、そんなことを考えている。布団の中で、そのぬいぐるみを抱きしめて、今日も眠れない。
当時、私は大阪にいた。
同級生は、「廊下が斜めになった」という感覚があったらしいが、私には何も感じられなかった。
小学校から帰ったらテレビが点いていた。おんなじ映像が流れ続けていた。それが全部違う映像だと気づいたのは、ずいぶん後になってからだ。
私は、正直言って、悲しいとか、怖いとか、そういうことは何も思えなかった。
なにも分からなかったのだ。あまりに遠すぎて、あまりに難しくて、あまりに急すぎて。現実という言葉の意味すらちゃんと知らなかった。
卒業式のスピーチで、「中学生になれなかった人のぶんまで頑張る」とか、なんとか言っていた気がする。そんな他人事な言い方ないだろうと今なら思うけれど、それ以外言いようもなかったかもしれないし、結局のところ、他人事なのだ。
どうしたって、私にとってそれは他人事になってしまう。
帰れなくなった人がいる。
「死者数・行方不明者数」で表される人たちに、それぞれ一つひとつ長い長い人生がある。
悲しいこと。
謝りたいこと。
守りたいもの。
会いたい人。
食べたい物。
将来の夢。
過去の罪。
そういうものがあったことから、私は逃げている。
でも、今、こう書けるのは、私にとってやっぱり他人事だからだと思う。
だって、そんな苦しみを本気で考えたら、生きていられないくらいに苦しくなってしまうから。
私は、それを言葉にすることで、現実を現実でなくしてしまっている。
私は弱いから、それを考えられない。
雪、瓦礫の山の中、お経を唱えながら歩くお坊さんの写真を見たことがある。その人は、本当にすごいと思う。
私は怖くてできない。あんなに大きな数字を、一つひとつ分解することができないんだ。
あまりに怖くて寂しいことだから。
あれから、テレビの中では、いろんな人が怒って、怒られて、泣いて、悲しんでいた。私はずっと、家で、あたたかいご飯を食べていた。
「恵まれた環境に感謝しましょう」
そう言われても、いまいち腑に落ちない。それと同じように、あの凄惨な状況に悲しむことができない。
今もそうかもしれない。
今日という日に生まれた人もいる。だから今日を祝っていいんだよ、とか。
でも誰かにとっては悲しい日だから、それは尊重しましょうね、とか。
そういうのも、知らないから言えるんじゃないと思ってしまう。あったかい他人事。そんな言葉が似合う気がする。
私はなにも知らない。
知らないから、「知らない」以外ことは何も書けない。
知らないことで、自分が責められている気さえする。
「どうしてのうのうと生きているんだ」
「どうして平和に暮らしているんだ」
「寝っ転がったまま3.11って検索しやがって」
あれから、何度も地震があった。何度も何度もあった。大阪も揺れた。結構大きかったけど、でも、あのときと比べたら、そして、大阪や神戸が経験したあの大きな地震に比べたら、「大したことない」ものだったんだろう。
「大したことない」ってなんだよ。何なんだよ。
「大したことない」地震でも人は死んでしまう。その人にも人生があった。一つひとつ思い出があって、やりたいこととか、行きたい場所とか、謝りたいことがあったんだ。
でも、その日がいつだったのか、もうほとんどの人が覚えていない。
何度も何度も地震があったけど、本当に大きな地震じゃないと悲しんでもらえない命があるんだ、って、そんな不適切なこと、思ったことないなんて言えない。
でもそう思うのは、やっぱり他人事だからなんだ。
私が生きている限り、他人の死はすべて他人事なんだ。
冷たいと思うかもしれないけれど、でもこれはある意味正しいんだ。
私はなにも知らない。
だからこれを書いている。
眠れぬ夜の暇つぶしなのかもしれない。
なにも知らないからこそ、ずっと怯えている。
あれからもう13年経つ。
私にはぬいぐるみの家族がいる。
家族だけどぬいぐるみなんだ。
家族だけどぬいぐるみだから、一緒に逃げられない。
でも、それを失うことは、家族が死ぬことと同じだけなんだ。ゆがんでいると思われるかもしれないけれど、でも私にとっては現実なんだ。
どこにいたら安全かなとか、どこに居てくれたらまた会えるかなとか、そういうことばかり考えている。夜中だからかもしれない。夜中は寂しい。
これも他人事なんだろうか?
なにも知らないから、こんな馬鹿げたことを言っていると、そう思われるんだろうか。
私はなにも知らない。
命の尊さなんて、死ぬまできっとわからないんだろう。
私はなにも知らない。
失った人の悲しみも、失って初めて気づくものだろうし、失いたくはない。
私はなにも知らない。
家族の心配はしても、防災袋すら持っていない。ハザードマップも覚えてない。
私はなにも知らない。
一度として知りたくはないけど、きっと、それは無理なのだろう。
私はなにも知らない。
いつまでそう書けるのだろう。そう書ける時間のことを、「平和」と呼ぶのだろうか。
私はなにも知らない。
なにを知らないのかも、知らない。
2024年3月11日 薊詩乃
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?