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『君のクイズ』を読んで、人生の肯定について考えた

「Q. なぜ本庄絆は第一回『Q-1グランプリ』の最終問題において、一文字も読まれていないクイズに正答できたのか?」

小川哲『君のクイズ』より引用

※本記事は、『君のクイズ』のミステリ要素についてのネタバレは含みません。


『君のクイズ』。

以前話題になった、検索サジェストに「つまらない」が出てくる哀しき小説である。そんなひどいことしなくてもいいのに、と思う。

引用したように、「0秒押し」に負けてクイズ番組での優勝を逃した主人公が、その秘密に迫っていく物語である。

たしかに、物凄いフックである。物語最初の一段落もとても美しいし、冒頭から引き込まれる。しかし、本作でもっとも重要なのは、そのミステリではない。

これは、人生についての物語なのだ。

クイズプレイヤーである主人公は、冒頭の謎を解いていくなかで、新たな謎に直面する。それは、

『クイズに正解するとき、僕たちはどういう根拠を持っているか』

小川哲『君のクイズ』より引用

『クイズに正解するとはどういうことか』

小川哲『君のクイズ』より引用

という問いに直面していくことになる。そしてそれは、人生についての問いなのだ。

主人公は、クイズというフィルターを通して、人生を振り返ることになる。読者もまた、その人生哲学を追いかけていく。

そして理解する。

クイズに正解することは、人生を肯定することなのだ。正答の「ピンポン」は救いなのである。

「何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、そうなのだ。クイズとは人生である。

詳細は意地悪なサジェストを忘れて、『君のクイズ』を読んでみてほしい。


クイズプレイヤーは、クイズに正答することで人生を肯定される。では他の人々はどうだろうか。

「Q. 人生が肯定されるとはどういうことか?」

読み終えた私は、この問いをしばらく考えていた。

「間違ってなかった」ことを教えてくれる「ピンポン」が、多くの人々にとっては何になるのだろう。

結婚だろうか。自らの子どもからの「いつもありがとう」だろうか。経済的成功だろうか。宗教的悟りだろうか。

私は演劇をやっているが、私の場合、拍手は「ピンポン」の代わりにならない。

私はつねに間違っているし、誰にも肯定されない。そんな気分がつきまとっている。

別に、人生が肯定されなくても、ただ生きてさえいれば生きていられる。これは確かなことだと思う。ただ、肯定してもらえるなら、それに越したことはない。

私の人生が肯定されるとしたら、それは私自身によってのみのことだろう。よく考えればクイズもそうだ。クイズに正解する自分によって、自分の過去が肯定される。

失ったこと、手にしたこと──それらすべての過去が君の現在だ。なにも間違っていない、と。

だが肯定してはいけない過去というものはあるだろう。

囚人が犯罪自慢をするようなものだ。更生するに越したことはないが、それがナルシズムになれば、複雑な心境を生み出してしまうかもしれない。

創作とは自己開示の作業である。私の創作とは、私の怪物に人を喰らわせることである。

私の過去が肯定されることはないが、怪物は「誰か私を肯定してくれ」と叫び続けている。

愚かしいことである。


2024年5月22日 薊詩乃

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