『君のクイズ』を読んで、人生の肯定について考えた
※本記事は、『君のクイズ』のミステリ要素についてのネタバレは含みません。
『君のクイズ』。
以前話題になった、検索サジェストに「つまらない」が出てくる哀しき小説である。そんなひどいことしなくてもいいのに、と思う。
引用したように、「0秒押し」に負けてクイズ番組での優勝を逃した主人公が、その秘密に迫っていく物語である。
たしかに、物凄いフックである。物語最初の一段落もとても美しいし、冒頭から引き込まれる。しかし、本作でもっとも重要なのは、そのミステリではない。
これは、人生についての物語なのだ。
クイズプレイヤーである主人公は、冒頭の謎を解いていくなかで、新たな謎に直面する。それは、
という問いに直面していくことになる。そしてそれは、人生についての問いなのだ。
主人公は、クイズというフィルターを通して、人生を振り返ることになる。読者もまた、その人生哲学を追いかけていく。
そして理解する。
クイズに正解することは、人生を肯定することなのだ。正答の「ピンポン」は救いなのである。
「何を言っているんだ」と思われるかもしれないが、そうなのだ。クイズとは人生である。
詳細は意地悪なサジェストを忘れて、『君のクイズ』を読んでみてほしい。
クイズプレイヤーは、クイズに正答することで人生を肯定される。では他の人々はどうだろうか。
「Q. 人生が肯定されるとはどういうことか?」
読み終えた私は、この問いをしばらく考えていた。
「間違ってなかった」ことを教えてくれる「ピンポン」が、多くの人々にとっては何になるのだろう。
結婚だろうか。自らの子どもからの「いつもありがとう」だろうか。経済的成功だろうか。宗教的悟りだろうか。
私は演劇をやっているが、私の場合、拍手は「ピンポン」の代わりにならない。
私はつねに間違っているし、誰にも肯定されない。そんな気分がつきまとっている。
別に、人生が肯定されなくても、ただ生きてさえいれば生きていられる。これは確かなことだと思う。ただ、肯定してもらえるなら、それに越したことはない。
私の人生が肯定されるとしたら、それは私自身によってのみのことだろう。よく考えればクイズもそうだ。クイズに正解する自分によって、自分の過去が肯定される。
失ったこと、手にしたこと──それらすべての過去が君の現在だ。なにも間違っていない、と。
だが肯定してはいけない過去というものはあるだろう。
囚人が犯罪自慢をするようなものだ。更生するに越したことはないが、それがナルシズムになれば、複雑な心境を生み出してしまうかもしれない。
創作とは自己開示の作業である。私の創作とは、私の怪物に人を喰らわせることである。
私の過去が肯定されることはないが、怪物は「誰か私を肯定してくれ」と叫び続けている。
愚かしいことである。
2024年5月22日 薊詩乃
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