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映画について あるいは、サブスクという永続罠

サブスクで映画を観るほうが、映画館に行って観るよりハードルが高い。いつでも観れるという安心感に足を掬われているような感じがするのだ。

映画館に行くハードルは、私の場合、一本あたりの値段だ。通常料金2000円。こんなもの、素人がやっている小劇場演劇のチケットと比べたら本当は大したことないのだろう。けれど「月2000円で観放題」という邪念が私の精神の弱いところを叩く。「いま観なくてもそのうちサブスクに来る」という怠慢が劇場へ行こうとする足を止めてしまうのも嫌だ。

映画は映画なのだから、映画館用に作られている。IMAXに最適なフィルムもあるくらいだから、尚更だ。値段というハードルを飛び越えて、私が映画館に足を運ぶ理由は、映画が映画であるからだ。

私は小劇場演劇をつくっているので、演劇でしかできないことを考えている。これが映画でも小説でもYouTubeでもない理由を創り出していかなくてはならないのだ。何かがその形を取っているのは、そうである必要があるからだ。

だから、映画を手元の小さな媒体で──ホームプロジェクターとかそういう話をしているのではない──観ることは躊躇われる。というより「いつかサブスクに上がるから」という理由で観に行かなかった映画を後悔したくないのだ。最近観た『オッペンハイマー』なんかは特にそうだ。アカデミー賞を獲った作品だし、いつか何かのサブスクで観られるだろう。けれどあれは、映画館で観るべき映画だ。

そしてサブスクは、いつでも観られるからこその罠がある。人間、締め切りがないとやる気がでないものだ。「配信終了間近」と言われてやっとこさ重い腰を上げるのがこの私だ。いつでも観られるということは、いつまでも観なくていいということだ。

その怠惰が私を蝕む。劇場で公開されない作品や旧作は、レンタルしない限りサブスクで観るしかないし、観たい作品はたくさんある。しかし腰は重い。

図書館と書店も同じような関係にあるかもしれない。返却期限という存在が、私の指にページをめくらせるのだ。けれど書店で新品を買う高揚感と充実感は、日焼けした蔵書を借りても得られない。

罠はまだある。サブスクで映画を観る場合、スマートフォンやらパソコンやらで観ることになるが、そのデバイスは、映画を観るためだけのものではないからだ。掌の中には、LINEもモンスターストライクもTwitter(X)もある。望むなら、映画を途中で辞めてその即時的な時間つぶしに走ってしまってもいい。誰もそれを咎めない。優柔不断な私の精神はなおのこと。

対して映画館ではその心配がない。通知に気を取られなくていいし、映画とポップコーン以外の情報が入ってこない(隣にマナーの悪い輩がいないか気になるくらいだ)。情報から遮断されることは、現代人にとって幸福だ。

「演劇を観ている間はスマートフォンを観られないし劇場を出ることもできない。だから演劇はその意味で暴力性を持っている」
そんな意見をSNSで読んだことがある。つまらない作品をつくったのならそれは作者に非があるかもしれないが、そうでないなら、それは暴力性ではなく幸福な不自由だ。

優れた作品を観ているときは、われわれはその物語に身を委ねていればよく、仕事や勉強や恋人との喧嘩のことを考えなくてよい。すべての作品がそこまで優れているわけではないのは事実だが、けれど、そういう不自由さを演出できる作品をつくりたいものだ。

話が逸れてしまった。

映画館で映画を観るという行為は、映画の映画らしさを存分に発揮させたうえでの鑑賞であるし、それはスマートフォンでNetflixを観る体験とは異なる。劇場は鑑賞者に不自由を与えることで、日常から観客を開放し、かえって自由にさせるのだ。私はその体験を尊重したい。映画ファンというわけではないが、私は映画が好きなのだ。

でも、サブスクに入っているような映画だって、映画館で観たかった。『時計じかけのオレンジ』が劇場にあった時分にじゅうぶんな大人であればよかった。観たいけど、いつでも観られるのなら、それは今日ではないのだ。でもあの大画面で観られるというのなら、それが何月何日のいついつこの映画館で……というのなら、私は数年分の期待を込めて電車に乗り込むことだろう。

「Netflixを映画館で上映すれば解決するのでは?」

Netflixには『水曜どうでしょう』があるので、
IMAXレーザーGTで『水曜どうでしょう』を上映してほしい。

大画面。大迫力。大泉洋。

『時計じかけのオレンジ』はNetflixに無いらしい。今更どうでもいいか。
もうやめよう。この話は。


さてここからは、最近劇場で観た映画の感想をネタバレなしで雑に語っていくだけの文字列だ。さっきまでの話はもう関係なくなる。

『オッペンハイマー』

通常2D版で観たが、これは、公式パンフレットが示している通り、IMAXで観るともっと素晴らしい作品になりそうだ。IMAXでもう一度観てみたい。それ抜きでも「もう一度観たい」と思える作品だった。アカデミ賞ーで7部門獲った作品だ。それ相応の凄まじいエネルギーがある。優れた作品にはみなパワーがある。

「日本人は観た方がいい」と言われている印象だが、日本人だろうとなかろうと、この世界は、オッペンハイマーが“破壊した”後の世界なのだから、全ての人々が向かい合っていかなければ問題なのだと思う。

『NN4444』

東京だけで期間限定公開されるはずだった映画。一度はあきらめたのだが、拡大上映されることとなり、無事に鑑賞することができた。

内容は不条理ホラー4編の短編集で、各話に繋がりがあるわけではない。一見すると「意味が分からない」となるくらい不条理であったが、現代ホラーはここまで行っているのかと、ホラーやサスペンスを書く者として刺激を受けた。

『落下の解剖学』

アカデミー脚本賞受賞作。ネタバレなしで語れることは少ない。とにかく観てほしい。

物語は、前半の事件パートと後半の裁判パートに分かれるのだが、特に後半、裁判で被告が“解剖”されていくそのストーリーテリングと台詞の妙! 心に異物を遺していく、素晴らしい作品だった。

『名探偵コナン 100万ドルの五稜星みちしるべ

毎回お祭り騒ぎだなと思うが、主要キャラクターたちが集合してドンパチやるのは案外嫌いではない。クライマックスフェイズやラスボス戦で盛り上がらない作品を『名探偵コナン』がつくるわけがないのだが。

ストーリー前半が多少ダレていても、話が盛り上がる後半できちんと盛り上がれば良い作品になれる、ということを改めて学んだ。ストーリーテリングにおいて大事なのは、冒頭と終盤なのだ。

『劇場版ハイキュー‼ ゴミ捨て場の決戦』

良かったです。
もう一回観ます。
アニメ5期待ってます。
次の劇場版も待ってます。

劇団員に薦められ、半ば嫌々にアニメ総集編を観始めたのだが、思いのほか惹きこまれてしまった。今では総集編だけではなくアニメ全話を視聴済だ。多くの登場人物の成長をしっかり描けるのは長期連載漫画の特長であるが、脚本面も吸収できるところが多かった。食わず嫌いは良くない。


他にも観たい映画はたくさんある。これからも継続して映画館に行けるようになりたい。私の劇団員にも、映画は観に行くようにと言ってある。

いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。

漫画『美味しんぼ』より「トンカツ慕情」内の台詞

擦られすぎたこの台詞を今更引用する意味もないかもしれないが、私は、いつでも映画館に行けるようになりたい。

けれど、できれば毎週水曜日のサービスデーに行きたい。安くなるから。


2024年4月28日 薊詩乃


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