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映画『サウルの息子』感想メモ

この切実な内容の映画をうたいあげちゃうのは不謹慎かもしれないが言わずにおれん!かつて、これほどまでに「見せない」で「魅せる」映画があっただろうか!

その撮影方法は、この作品の体として、有機的に理にかなっていて、観た後では、こうするのが一番いい、もうこれ以上に切実に、野太く、イメージや、痛烈なインパクトが届く方法はないだろうと思ってしまう。

坂本順二監督だったかな、映画は顔、撮りたい顔がでたときに、映画が撮れる、みたいなこといってたと思うんだけど、言ってなかったらごめん。でも、この映画についていえば、まさにそれが至言。

ゾンダーコマンドって聞いたことある人もいると思うけど…
コピペしておくと、ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜した、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のことで、この映画は彼らの日常を、いや、彼らの一人であるサウルという男のほぼ「顔」だけを撮影している映画です。え!?って思うでしょ。
でも、観ればわかります。

舞台は、1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。サウルはハンガリー系のユダヤ人で、ゾンダーコマンドとして働いている。
ストーリーはもうないも同然で、ある種の脱出劇と同じくらいのシンプルさ。つまり物語や展開でどうのこうのいう映画じゃなくて、本当にサウルそのものが今行っている人生を、リアルタイムで追体験させられいるような臨場感で進んでいく。だから、最後まで、息がつけない。

彼らは、とにかく、黙々と、ガス室に同朋のユダヤ人を送り、死んだら、運び、焼いて、処理する。その日常が、見えそうで、見えない。だって、画面にうつってるのは、それを視ているサウルの顔なんだもの。でも、画面の端に、ちら!ちら!っとうつるのよ、死体やらなんやらが。それがもう、ビンビンに怖い。よく見えないからこそ、え!?なに!?なにが起こってんの!?ってひきつけられっぱなし。すごい集中させられてしまう。

彼らは、もう機械のように自分を押し殺して、作業をするのね。その息遣いの内圧。ぜひ感じてほしい。自分を押し殺さないとできないし、頭が狂いそうになるから。その黙々感?尋常じゃなさ。ヒリヒリ感。

話としては、ネタバレもくそもないので話しちゃうと。ある日、サウルがガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見するのだけど(薬の量が少なくて、たまに生き残るものが発生していたらしい)少年はサウルの目の前で、すぐさま殺されてしまう。
で、サウルはなんとかラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって、この少年を手厚く埋葬してやろうと収容所内を奔走するわけ。もう執拗なくらい。本当に息子かどうかでいったら、違うと思う。でも、たぶん、サウルにとっては「希望」、ユダヤ人全員の「思い」の象徴なんだと思う。

たぶん映画中に説明ないからわからないけど、ユダヤ教って死者の復活の教義があるから、もとの体が必要と考えられていて、土葬じゃないとダメで、火葬は禁忌なのね。だから、この少年の埋葬に死ぬ気で挑んでるわけ、だと思う。

で、自由のほとんどないサウルが、あの手この手でラビはいないか!?ラビはいないか!?ゆうて探している中で、ゾンダーコマンド達の間で収容所脱走計画が秘密裏に進んでいて、サウルも加われだのなんだのって言われてて、なかなか忙しいわけ(この辺がこの映画に奥行を与えて豊かにしているところ。奥深いいい映画は必ず、骨太な一本道だけでなく、同時に有機的に何本かラインが走ってる。それがからみあって一本になってるから、不穏だし、情報量あるし、観客は、なに?なにが起きてるの?っと宙づりにされっぱなしになる)

で、ラスト、結局、埋葬しようとしていた少年がどうなったかっていうと、脱走劇の最中に……!?
そして、かのサウルは最後どうなったかというと……!?
これはさすがに、あとはご自分で確認してください。
最後のシーンが何を意味するのか。
とても豊かな、胸をうつ、ラストになっています。

ちなみに、これ、当時のことをゾンダーコマンドがメモって地面とかいたるところに記録として隠していたのが発見されて、それに基づいて描かれた実話ね。
もうね、ナチスはすべてなかったことにするつもりだったから、徹底して記録に残らないように目を配っていたのね。でも、命がけで彼らが、記録を残したの。それが、今、やっと、世界に公開されたわけ。それを考えただけで、また胸が苦しくなってくる。

あ、やべ、今日は熱入れすぎて、これ一本でおわっちまった!><

でも、この映画は、簡単にメモで済まされるようなものじゃなかったから仕方ないね(^_^;)

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。

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コメント5件

作ってあるのに、見せないってすごく重要なことだと思う。いろんな立場でたくさんの人が関わってるから現場でさ。背景や、美術担当者もいるわけで。せっかくなんだから、撮してほしいじゃん。でも、映したら、作品の意図がゆがむわけ。そこを徹底できた監督はえらいね。
その作品のボディが求めている形が、見せないこと、もしくはちら!っと見せることなら、そこは「自分が描いたキャラどうよ!うつくしいやろう!」とか「自分担当した背景!ここだよ!どうよ!」とか「自分がハリウッドメイクした死体これだよ!」とか、「自分が創ったクリーチャーこれだよ!」とか気持ちはわかるけど、それは押し出されるべきじゃないと思うのね。作品がゆがんじゃうから。
今回の「サウルの息子」はさあ、その辺、ほんとえらかったねえ。ちゃんと創ってるのに、見せない。見せてもちらっと、ぼやっと。でも、それだからこそ、観る者の想像力は極限まで、なに!?なんなんの!?ってなって、余計に集中して作品に没入して、追体験していく。
そして、さらに重要なのは、サウルの周りがボヤっとしかうつらないのは=サウルが死体を観ようとしてない、観たら冷静では作業なんかできないから、観ないようにしてるっていう表現でもあるってこと。これ、すごくないすか!?
やべ、仕事しよ
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