しゅふ

『深い物語の秘密(タダで教えます(笑))』

この秘密を体得したら、お金を払ってもらえるものが……
描ける……かもしれない(笑)
(どうでもいいけど今日はコラムばっかりやな(笑))

いや、実際僕がお金払ってでも読みたいってものは
必ずこれがずびびーんと物語に横たわってて
深い印象を残すんですよ。アイロニーっていつもいってる部分でもあるかも。

人間て、やっぱ、一面的はないんでね、
そこがちゃんと描けてる作品にはお金払ってもいいなって
思うんですよ。

どういった気持ちが描けれていれば「僕」が
いいいなあと思うのか、端的な例を出します。

宮本輝先生がおっしゃってた話がちょうどいいんで
その話をさらっとします。

宮本先生が小学生か中学生の頃だと思うんだけど
アル中のお母さんが何かで病院に運ばれて、
生きるか死ぬかの状態になるんですよ。

そんなこと聞かされたら、普通は
病院に早く駆けつけないと!
死に目に会えないかも!って考えると思うんですよ。
(小説的にもこんな場面だったら
駆けつける方向で流れていくと思うのです)

ところが宮本少年はそうしなかった。
そうできなかった、と言った方が正解かもしれない。

彼はそのとき何をしていたかというと
押入れにひきこもって、井上靖の「あすなろ物語」を
読んでいたんです。
お母さんの容体を聞いた後もずっと。

彼はそのときこう感じていたといいます。
「自分が今、ここから出て行ったらお母さんが死んでしまうような気がした。だからずっとあすなろ物語を読んでいた」と。

ぜんぜんステレオタイプじゃわりきれないんですよ、人間て。
行きたい!心配だ!はやく行かなきゃ!
でもそうしない。そうしないで
押入れでずっと本を読み続ける。
そうしないと、母親が死んでしまうと思ったから。

行きたいけど、それと同じくらい、いや、それ以上に無意識下で怖いのか、よくわからない気持ちで、じっと、意地みたいに、押し入れで本を読み続けるわけです。
ここの、なんなわからないけどいけないで本をじっと読むっていう内圧の高いところを掬って描けるかどうかかなと(そこが小説のへそになる)。

結局、お母さんは助かり、お父さんが
さっと押入れをあけ、助かったぞ、って一言いって
また、さっと押入れをしめたそうです(笑)
(お父さんもすごい(笑))

この、こうしたいのに、そうじゃないことをしちゃう。
このアンビバレンツな矛盾した心情と行動。

こういう、尻の持っていきようのないような
えも言われぬ隙間をつかんで、描いてある作品を読むと
ぼくは、「人間を観せてもらった」気になるので
俄然お金払ってもいいなって思うわけです。

これと少し似た話で、おもに美少女ゲームというか
エロゲーを作ってらっしゃる鏡裕之さんっていう
作家がいらっしゃるんですが、この方が自分の
シナリオ作法の本で語っていた言葉も覚えておいて損はないかと。
(娯楽にせよなんにせよ、人間が描けているものは深い余韻があります)


ある美少女が自殺を思い立って屋上にいるわけです。
それを主人公がひきとめに向かう、まあ、よくある
シチュエーションですよね。

で、主人公が助けに行こうと近づくと、
美少女ヒロインが「来ないで!」と叫ぶ。

ここで疑問に思うか思わないか。

普通に読んじゃう人もいると思うけど、
いかにもステレオタイプでぜんぜん「人間」が
伝わってこないシーンになっちゃう。

ヒロインは死にたくて、ここにきてる。
もう本当に切羽詰まった状態。
なのに、「来ないで!」なんて。
しおらしいじゃないか(笑)。

かっこつけてんじゃないよっていうね。

そこはなりふりかまわず、
「くるなぁぁあああーーーッ!!」
とかじゃないのかと。堤さんはいうわけです。

確かにこうすると、本当に少女のゆとりのない
追い込まれた感情が伝わってくる気がする。
泣いて、鼻水だって垂らして叫んでそう。

まあ、無論このセリフだけでステレオタイプを脱却した、
って話じゃないですが、おしなべて、
キャラを創るっていうのは、人間を創るってことでもあるので
ひとつひとつのシーンにおいて、
本当にその台詞でいいのか?って疑って
気持ちを作っていかなきゃいけない(貫通行動っていってもいい)。

そうしないと人間なんて描けないんじゃないかってことですね(^_^;)

「斬ったら血が出るセリフ」ってやつですね。

ちなみに、これは誰が言っていたか忘れちゃったんだけど、
「小説」はいつ成立するのかって話があって。

かいたものが、小説に“成る”瞬間ってのはどこなのかって話で。


小説って、書いたら終わりじゃないんですね。
そこに読者がいないと、そもそも成立しない。
これは当然。

でも、読者が手に取っただけでもダメで。

じゃあ、いつなのかと。

読者が読んで、心が動いた瞬間ですね。

小説の中に込められた何かが、
読者の胸の中で、ぐるぐるになって、読者の気持ちを動かし
たちのぼった瞬間、それは小説に“成る”。

そういう意味では、一億総表現者な時代に入ってますが小説として成立している作品はまだまだ少ないかもしれません。
なので、僕もがんばらないとなあって思います。

「人間」って字が示してるように
自分っていう「人間」も「他者」が認識してくれて
人と人との「間」で初めて成立するんですよね。
それとちょっと似てますね。

人間は、単体では存在しきれず、
他者から認識された瞬間、
その人と人との間に「自分」という「人間」が成立する。

ちょいと話題はそれてしまいましたが、
「人間」がきちんと描かれた
オンリーワンな深いい物語が描けるように

なりたいものですわい。

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。