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東京路地紀行 7 渋谷区幡ヶ谷

玉川上水は多摩川の上流羽村堰で多摩川から分水して江戸市中(都内)まで飲料水を運ぶ目的で江戸時代初期に開拓された用水です。上水とは文字通り下水の反対で飲料用または田畑向けのきれいな水を表していますから、その流れも人々の手に渡るまで汚れた水が混ざらないようにしなければなりません。そのような事情から上水路は土地の高さの高いところを流れるのが基本です。玉川上水も同様で土地の高い部分、尾根をたどって左へ右へと曲がりながら江戸市中へ向かって流れていきます。
江戸時代の技術では低いところを流れる水を高いところまで引き上げるのは困難でしたが、重力にしたがって上から下へ流すのはたやすいです。そのようなわけで田畑を潤す水が不足している流域ではしばしば玉川上水から水を分水することがよくありました。今回訪れた路地もそのような用水路跡の暗渠、または川跡の小径です。


チョウチンバナが群生している路地の様子

山野草として知られているチョウチンバナ(提灯花)(*1)が群生している暗渠路地。日当たりはあまりよくなくても暗渠なので湿気は十分にあるということだろうか、生育環境が適しているのかもしれない。

(*1)別名 蛍袋(ホタルフクロ)、釣鐘草(ツリガネソウ)とも

振り返ると、チョウチンバナのほかにシダ類や紫陽花も。いずれも湿気を好む草花ばかり。

路地の入口側には擁壁に沿って脚立や植木鉢が所狭しとおかれています。

奥へと進んでみます

奥へと進むと路は狭く細くなるのに、バイク、植木鉢、物干し台などなど生活感をかんじさせるさまざまなものが置かれています。

行き止まりの最奥部から振り返ります。擁壁が迫る崖下でわずかな日当たりをもとめて物干し台が置かれています。

下見板張りの家屋と紫陽花。このような風景が残っているのも路地ならではの良さなのかも。

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