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東京路地紀行 9 港区三田1丁目(再訪その2)

2023年7月初、梅雨の晴れ間で薄日もさす蒸し暑い日、三田1丁目を再訪問した続編。前回は、低地部の解体途上住宅を中心にみてまわりました。続編ではこの町のシンボルともいえる小山湯とその背後の階段にスポットを当てて歩いてみました。
小山湯は外見はまだ営業しているのでは?と感じるほどで廃屋感はないのですが、1921年(大正10年)につくられた出桁造りの建物で2007年に廃業しています。建てられてから100年超、廃業してから16年経過しているということ。煙突も含めて素敵なので、再開発後も新しい街に残る昭和の象徴として残し、あわよくば再営業とかしてほしいとかも思いましたが、横の青いトタンの塀に解体工事計画の貼り紙がされていたのでその願いはかなわないようです。
小山湯の裏の階段を上ります。この町を知ってから何度上り下りしたことか。こんな奥まった路地に階段まであることを知る人などいないだろうと思って階段の上から写真を撮っていると下から白人の親子が歩いてきて階段を上り、三田台の奥へ消えていったこともありましたっけ…麻布十番(もう少し足を延ばすと六本木)から三田台の上またはその先に行くときの近道なんだ!と知った、という懐かしい記憶もよみがえったり。再開発後にこの階段がどうなるのかわからないですが、新しい街と三田台をつなぐ生活路の階段として残してほしいと思います。そのときにこのままの雰囲気で残るのかはとても疑問ですけれども…


小山湯とその奥に垣間見える階段

小山湯のガラス窓。知識がないので窓枠の作りの種類はわかりませんが、とてもきれいでまだまだ普通に使えそうです。

さて、奥の階段を上りましょう。この姿の階段は最後かもしれないので、四方八方見ながら写真を撮りながら。

階段途中の煉瓦の土台の上(写真左側)、ナンテンの下あたりにお地蔵さんが鎮座していて、季節ごとにお着換えさせられたり、ワンカップ大関が置かれていたり(子供地蔵のようにも見えたから未成年では?)もしましたが、いち早くどちらかに引っ越しされたようでした。

階段途中でクランク。梅雨という季節柄、苔がよい色を出していました。

ここで見上げると、おっ!木製の電信柱!!何回も歩いているのにこれには気づきませんでした。初めての発見!

崖の中腹に建つ古アパートから生えている?紫陽花。終わりかけていますが、擁壁やアパートの鉄柵といい具合にコラボできています。
ところでこのアパートにはどうすれば、たどり着けるんだろう?考えたこともなかった…

クランクの踊り場から振り返ります。

階段を上りきり、振り返ると一足早く再開発が進んでいる我善坊谷のタワーが目の前にほぼ完成した姿を見せていました。
麻布台地区の旧麻布郵便局跡の超高層ビルで300メートルもあるそうです。すぐ近くの東京タワーが333メートルだからほぼ変わらず。でもこちらのビルのほうが麻布台の台地の上にあるから標高でいくと少し上回るかも。いまのところ、日本一の高さだそうです。路地好きにとっては高さを競う意味はわからず、人々の日々の生活感がにじみ出るような街づくりをしてほしいといつも思います。

そんなことを思いつつ、三田小山町の路地を離れました、とさ。

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