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源頼政バ焼き

鯖の切り身を焼いた焼き鯖ではなく、鯖をほぐして焼いたサバ焼きです。
グルテンフリーなお好み焼きもどきを作りながら、鎌倉幕府成立の魁となった人物を妄想した記録。


材料

サバ缶  1個
キャベツ 1/8
米粉   50グラム
卵    1個
生姜   半欠け
醤油   大匙2
酒    大匙1

近衛天皇の御代というから平安時代、御所の上に夜な夜な鵺という怪物が出現。
頭は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇という姿。
奇怪な鳴き声で悩まされた宮中の人々は鵺退治を武士に依頼。
それを請け負ったのが摂津源氏の棟梁、源頼政。
酒呑童子や土蜘蛛といった怪物退治で有名な源頼光の子孫で弓の達人。
弓矢には魔を払う力があると信じられていました。
鵺が現れるという紫宸殿前で待ち構えた頼政、見事に射貫く。
池の側に落ちた鵺を、郎党の猪早太がトドメを差す。
この功績から、帝は頼政に獅子王という太刀を下賜。
平家物語が伝える話です。


キャベツと生姜を微塵切り。

平安時代末期、台頭してきた二つの武家、平家と源氏。
保元元年(1156)に起こった保元の乱で後白河天皇側についた平清盛率いる平家は隆盛。同じく天皇側に付いた源義朝は思うような出世は遂げられず。
源義朝は河内源氏。頼政の摂津源氏とは系統が異なる。200年程遡ると共通の先祖、源満仲。その息子が頼光と頼信。
摂津源氏が頼光の子孫で、頼信の子孫が河内源氏。
平治元年(1159)平清盛が熊野参詣に出掛けた時に源義朝は挙兵。
素早く戻って来た清盛の反撃。更に二条天皇を平家の本拠に迎えて保護。
系統が違うとはいえ、同じ源氏ということで義朝は頼政に期待していたことでしょうが、頼政は清盛に味方。
敗れた義朝は敗走途上、郎党に裏切られて討ち取られる。嫡男の頼朝は伊豆に配流。これにより河内源氏は逼塞。


材料を全て混ぜる。

同じ源氏なのにと思いそうですが、個人主義が広がった現代とは違って昔の武士は家や一族を守り、存続させねばならないという考えがあり、一族が揃って同じ側に付いたら全滅。それを避けるために平家に味方したとも見える。いわば個ではなく一族という有機体の一部という考え。
そればかりではなく、頼政の行動理念には勤王という概念。
これは後の行動からも読み取れる。
先に都に乱入したのは義朝であり、更に二条天皇が平家方に保護されたことから、天皇を守護する者に付いたということ。
若かりし頃の鵺退治の逸話も、頼政が如何に朝廷のために働いたかを示す挿話ではないか。
現代では一般的に皇室への崇敬は薄くなっているので、なかなか理解し辛いかもしれない。
家の概念や皇室への尊崇の希薄化、私はこれが悪いと言っているのではありません。人間の意識や常識は時代と共に変わるのが当たり前。ただ現代人とは感覚が違うということを頭に入れておかないと歴史上の人物の行動はわかりにくくなる。


鯖を潰しながら混ぜる。

「のぼるべきたよりなき身は木の下に椎を拾いて世を渡るかな」
歌人としても知られていた源頼政の歌ですが、椎とは彼自身の官位である四位を示している。
この歌を知った平清盛の口利きで頼政は従三位に昇進。
長年の功労、特に平治の乱で協力してくれた頼政に報いたということ。
この時、頼政は74歳。人間五十年と言われた時代ですから、もう昇進などないものと思っていた時に思わぬことだったでしょう。


油を引いたフライパンへ。

頼政の嫡男、仲綱は「木の下」という名馬を所有。
それを聞いた平宗盛は見せて欲しいと頼むが、出し渋る。
頼政は世話になっている清盛の息子が頼んでいるのだから見せてやりなさいと命じる。
仲綱が出し渋ったことを憎らしく思った宗盛は「木の下」を「仲綱」という名前にして焼き印まで捺して、散々な扱い。
馬ばかりか息子まで辱められた頼政は遺恨を抱き、これが平家打倒に決起する契機になったと平家物語は伝える。
なんだか、信長に虐められた光秀が本能寺の変を起こしたという話に似ている。つまり原因がわからないのでわかりやすい原因をくっ付けた?


引っ繰り返して両面焼き。

高倉天皇の中宮となっていた娘の徳子が産んだ皇子を皇位に就けることを目指していた清盛は治承三年(1179)大軍を率いて福原から上洛。後白河院法皇の側近達を処分して院政を停止。平家一門の知行国を大幅に増やして権力を掌握。日本国は六十余国、その半分以上が平家支配下に。この過程で所領を奪われ、皇位に就く望みも失った後白河の第三皇子である以仁王は不満を抱き、翌年に平家追討の令旨を発した。これを支援したのが源頼政。
何故、老齢の頼政が恩ある清盛率いる平家に敵対する道を選んだかは、治承三年の政変と呼ばれる一連のクーデターにある。
尊王の志ある頼政には、清盛の行為は自分の血を引く言仁親王を天皇に就けるために武力で後白河院を脅したと見えた。
この政変の直後、頼政は出家して家督を仲綱に譲っています。出家には抗議の意味があったのではないか。


源頼政バ焼き

大、中、小と三枚焼けた。
酒と生姜で魚臭さが中和。鯖出汁と醤油味のハーモニー。お好み焼きもどきだがソース不要で頂ける。
不飽和脂肪酸の宝庫である鯖、食物繊維とビタミンCが豊富なキャベツの食感もいいアクセント。

出家と隠居で平家への抗議を示した頼政でしたが、以仁王という皇族に頼られたことで血が騒いだか。
以仁王が発した令旨が全国の源氏に渡ろうとしていることを察知した平家は警備の協力を頼政に頼んだ。
まさか頼政が自分達を裏切る筈がないと思っていた。かっての源義朝と同じですな。
結局、準備不足のままで挙兵を余儀なくされ、源頼政は平等院で自害。享年七十七歳。
「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」が辞世の歌。
以仁王も討たれましたが、顔が知られていなかったことから生存説が流れ、各地で令旨を奉じた源氏が蜂起。特に東国で河内源氏の生き残り、頼朝が挙兵。後の鎌倉幕府へと繋がる道を開いた。
皇室を守ろうとしながらも、その行動が権力を朝廷から武家に移る本格的な武家政権誕生の魁となった源頼政を妄想しながら、源頼政バ焼きをご馳走様でした。

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