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みぞれ湯豆富士山の名は竹取物語から

かぐや姫の物語として日本人なら大概の人が知っているだろうと思う『竹取物語』ですが、最近は日本人としての誇りを奪い、歴史に興味を持たせないような教育が行われているようなので、若い世代や子供には知らない人がいるかもしれない。冷めにくい湯豆腐を作りながら、竹取物語に込められている意味を妄想した記録。


材料

木綿豆腐 1丁
片栗粉  大匙1
塩麹   大匙2
鰹節   1パック
生姜   1欠け
大根   1/4
柚子胡椒 お好みで
水    1カップと大匙1(片栗粉を溶くため)

「今は昔」という書き出しで始まる物語といえば、『今昔物語集』ですが、それに先駆けて、この出だしで書かれた日本最古の物語が『竹取物語』
竹取の翁が藪に分け入ると光り輝く竹。訝しんで切って見ると中には親指程の大きさの女の子。
子がない翁は連れ帰って、我が子として妻と共に育てる。
あっという間に女児は美しい女性に成長。なよ竹のかぐや姫と名付けられた姫を一目見ようと、色好みの貴族が覗きに来る始末。


豆腐を食べやすい大きさに切る。

中でも五人の貴人が熱心に求愛。かぐや姫はそれぞれに無理難題を突き付けて、それをかわす。
その美しさの噂は帝の耳にも届き、狩りに行くと称して出掛けた帝はかぐや姫の部屋に無理に押し入ろうとする。
平安時代、女性は滅多に顔を見せないものでした。顔を見せるということは求愛を受け入れるという意味合い。
顔さえ見てしまえば、こっちのモノだと勢い込んだ帝でしたが、超能力発揮。かぐや姫は姿を消してしまう。
諦めない帝は翁にかぐや姫を説得してくれたら、五位の官位を授けると餌。
育ての親である翁がいくら言っても、かぐや姫は首を縦には振らず。


摺り下ろした大根と生姜、塩麹、水1カップの鍋へ豆腐投入。

やがて、かぐや姫は月を見てはすすり泣くようになる。事情を尋ねると、実は姫は月の住人で、罪を犯したために地上に追放されていたが、贖罪が終わり、近々、月に帰らねばならない。育ててくれた翁や媼との別れを憂えているとのこと。
帝にそれを報告すると、朕のモノにするまで月に返す訳にはいかんとして、軍勢を派遣。月からの使者を待ち受ける。
ところが兵達は使者に矢を射るどころか金縛りにかけられてしまう。
使者に羽衣を着せられると、姫は地上での記憶を喪失。月へと帰還。
記憶を失う前、姫は帝に置き土産。飲むと不死身になる薬。
しかし、もはや姫がいないのに永遠に生きたとて何の楽しみもないとして、帝は薬を天に近い所、即ち日本一高い山の頂上で焼かせた。以来、その山は不死の山、不死山、富士山になったということ。


異星人との接近遭遇を描いた物語と考える人も少なくないけれど、私は奇妙な話や人物批判を含んだ、根底に輪廻転生の意味合いを込めた物語ではないかと妄想。
竹藪から女児を発見したことから始まる物語ですが、鷹や鷲といった猛禽が幼児を掴んで攫ってしまうということは昔はあったらしいので、姫はその被害者?竹藪で見つけたのを竹の中から発見と脚色?
五人の求婚者ですが、その内、三人は実在の人物。他の二人もモデルではないかと言われる人物が実在。特に庫持ちの御子とは藤原不比等ではないかと推測されています。
姫は五人にそれぞれ仏の鉢、龍の首珠、蓬莱の玉枝、火鼠の皮衣、燕の子安貝を持って来るように要求。一同、失敗するのですが、偉い貴族が小娘に翻弄される物語として、書いた人も読んだ人も溜飲を下げていた?


煮立ったら、先に水溶き片栗粉を入れてから、鰹節投入。

これら五人の内、中納言石川麻呂には姫は気を許していたのではないかという節。彼が要求されたのは燕の子安貝。貝というのは女陰の暗喩。しかも子を育てる貝ですから間違いない。燕の巣なら軒先に幾らでもある。比較的容易に入手出来るかもと、少し要求のハードルが下がっているということ。
ところが、石川麻呂が子安貝と思って巣から掴んだのは古びた糞で、梯子から落下して腰を痛める体たらく。
それでも姫は気の毒に思って歌を送っている。平安時代の歌というのは一種のラブレター。それでも結局、彼も袖にされる。


みぞれ湯豆富士山の名は竹取物語から

塩麹の甘みある塩味で頂く湯豆腐、カツオ出汁もよく沁み出ている。片栗粉でとろみを付けたことで表面に幕が張ったような感じで温かみが逃げにくい。加熱した大根おろしは辛みが飛んで甘い。生姜で体を温め効果。
大根は皮ごと摺り下ろしているので消化酵素、タカジアスターゼもしっかりと頂ける。高タンパクな栄養食。

かぐや姫は罪を犯して地上へ追放されたと語っていますが、何の罪なのか?
富士山を神格化した浅間神社に伝わる縁起によると、かぐや姫が犯した罪とは姦淫。決まった相手ではない者と通じたということ。
その贖罪のために地上へ追放。つまり罪とはいわゆるカルマであり、追放された地上とは現世。
かぐや姫が帰って行ったのは天体としての月ではなく、本当はワンネス。死後の世界。


ご飯に乗っけてみた。汁にとろみがあるので垂れることもなく食べやすい。
湯豆腐丼?

羽衣を掛けられると記憶を失うというのは、人が生まれ変わる時には前世の記憶をすべて失ってから転生するのに通じる。
つまり竹取物語の根底には輪廻転生の要素が隠されている。
かぐや姫が現世に来た理由は容易に男に靡いたカルマを刈り取るため。必要以上に身持ちを固くせねばならなかった。それでも石川麻呂に少しの情を示したのは抑えきれない業。
何とか貞操を守り切ったことからカルマの刈り取りが終わったと見做されて、ワンネスへと帰ることを許された。
竹取物語とは罪業消滅を裏テーマにした物語だったのではないか?

通訳案内士時代、外国人を富士山に案内した時、かぐや姫と富士山の話をしたら、
"That's because Mt.Fuji never die."
と返答があったのを思い出す。
そんなことを妄想しながら、みぞれ湯豆富士山の名は竹取物語をご馳走様でした。

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