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新じゃがピー満州国

最近、新じゃが率高し。皮むかなくてもいいし、割と短時間で柔らかくなるので使いやすい。
今日はピーマンと合わせてみる。ピーマン、満ということから、この世に13年だけ存在した幻の国について妄想しながら料理した記録。


材料

ピーマン 3個
新じゃが 400グラム
粉唐辛子 小匙1
醤油   大匙2
酒    大匙2
蜂蜜   大匙1

王道楽土、五族協和を国是とした満州国。五族とは日本、満州、漢、蒙古、朝鮮の五つの民族。
現在では中国東北部と呼ぶのが政治的に正しい呼び方とされている満州は元々、中国ではなし。此処は万里の長城の向こう側。蛮族が住む地域と呼ばれていました。満州に住む人々は漢民族とは風習も違う異民族。ここが中国の一部になったのは、此処から起こった清が中原を制して王朝を興したから。ついでに言えば、台湾も清の時代に併合されて中国に。


新じゃがを圧力鍋で煮て、柔らかくする。

清の最後の皇帝、宣統帝溥儀を執政として昭和七年(1932)に誕生したのが満州国。
関東軍が作った日本の傀儡国家ということで、悪評ばかりが高い。確かに満州は日本の生命線とも呼ばれ、資源や土地が日本にとっては大事。多くの日本人がこの地での成功を夢見て海を渡りました。
戦後、活躍した文化人にも満州出身者が多い。赤木春恵、赤塚不二夫、なかにし礼等々。


ピーマン細切り。

そもそも、この満州国を作ったと言える人物が甘粕正彦。
先頃、亡くなった坂本龍一が映画「ラストエンペラー」で演じた人物。
明治二十四年(1891)に宮城県で生まれた陸軍軍人。
士官学校を卒業後、歩兵科だったが憲兵に転科。膝の怪我が原因と言われます。甘粕にそれを勧めた上官は東条英機でした。
憲兵になった後に起こったのが「甘粕事件」


茹で上がった新じゃがを食べやすい大きさに切って炒める。

大正十二年(1921)9月1日、関東大震災。
直後の混乱時期、9月16日にアナーキストの大杉栄、伊藤野枝夫婦と甥である当時6歳の橘宗一の三名が憲兵隊本部に連行され、殺害。遺体は本部裏の古井戸に遺棄された事件。
甘粕がこの事件の犯人として逮捕。よって「甘粕事件」と呼ばれます。
この殺害事件は陸軍や憲兵本部は関与しておらず、甘粕正彦の単独犯行とされて、甘粕には禁固10年の判決。
しかし甘粕は度々、証言を変えており、共犯とされた兵士も「殺害は憲兵司令の指示だった」と証言。
更に甘粕は三年で仮釈放になっています。いくら国策に反するアナーキストだったとはいえ、三人も殺したにしては処罰が軽い。甘粕はすべての責任を自分一人で被ったのではないか?


油が回ったら、ピーマン投入。

出獄後、フランスに留学。ほとぼりを冷ますためか?
昭和五年(1930)に満州へ。
翌年に起こった柳条湖事件から満州事変が始まり、甘粕は暗躍。
中国人の仕業に見せかけて爆弾を投げたり、麻薬取引で蓄財したり、もっとも大きな裏仕事は天津に居たラストエンペラー、溥儀を秘密裏に満州まで連れて来たこと。甘粕機関という自身の名を冠した特務機関を組織していたので、そこを駆使したということでしょう。正に黒幕と呼ぶに相応しい。
満州国建国後は裏仕事から、今度は警察庁長官と呼ぶべきポストである民生部警務司長に就任。


ピーマンにも火が通ったら、酒、醤油、蜂蜜、唐辛子粉を投入。混ぜていく。

勤勉な日本人が多く入植した甲斐もあってか、満州の開発は進み、豊かになっていく。
甘粕が連れて来た溥儀も執政から皇帝に即位。
昭和十四年(1939)に甘粕は満州映画協会(満映)の理事長に就任。
経営再建のために大量解雇を行ったものの、従業員の再就職には最大限に気配り。日本人と満州人との賃金格差をなくし、待遇を平等に。酒席に女優を同伴させることを禁止と、公平な経営を心掛けたことから、従業員からの評判はよかった。
また、日本から来た映画会社の大物が「女優を抱かせろ」と言ってきても
「女優は酌婦ではない」ときっぱり断った。
戦後は山口淑子として国会議員にもなった女優、李香蘭が「満映を辞めたい」と言ってきた時には
「君の気持はわかる」と言って、その場で契約書を破ったとか。
自分より立場が弱い人には最大限の配慮をする人だったようです。


水分が飛んだら完成。

黒幕ということから、後ろ暗い極悪人のようにイメージされることもありますが、筋を通す硬骨漢であり、関東軍の上層部からは煙たがられていたそうです。
甘粕と直接、関わった俳優、森繁久彌は
「金儲けとかビルを建てるとかよりも、満州という新たな国を若者たちと共に立派を育てよう」という大きな夢に酔っていた人だったと評しています。
「私利私欲どころか生命に対する執着すらない人だった」と証言する人も。


新じゃがピー満州国

基本的に蜂蜜がメインな甘い味付けですが、唐辛子の辛みが後から舌を引き締める。
新じゃがのホクホク感とピーマンのシャッキリ感が好対照。煮くたれたピーマンが混ざっているのも違った感触が味わえる。
ピーマンと新じゃがから豊富なビタミンC、唐辛子のカプサイシンで脂肪燃焼効果。炭水化物を取っても肥満予防。

昭和二十年(1945)日本の敗戦と同時に満州国も崩壊。
ポツダム宣言受諾後、甘粕は中国人社員達を集めて訓示。
「これからの満映は君達、中国人社員が中心になる。皆さんのお世話になったことを深く厚くお礼申し上げる」
身の回りの品を形見分けし、会社の預金をすべて引き出し、退職金として渡す。
8月20日早朝、隠し持っていた青酸カリで服毒自殺。
この現場には戦後、映画「宮本武蔵」五部作を撮った映画監督、内田吐夢も居合わせた。

戦後、教師になった人の多くは左巻き。日教組がそうした思想の組織だから仕方ないかもしれません。
そうした教師が授業で、甘粕のことをボロクソに貶したことがありましたが、そのクラスには実は子孫がいたという話を拾いました。
珍しい苗字ですから、その教師は教え子に親族がいることを知った上で、そんなことを言ったのではないか。そんな意地悪い教師の話を時々、聞きます。
大杉栄殺害や爆弾事件、麻薬取引等、よくないことに関与していたことも事実ですが、人間は多面体ですから、一つの面だけでこともあろうに子孫の前で非難するのは人として如何なものか。

「ラストエンペラー」では甘粕は拳銃自殺していました。ベルトリッチ監督は本当は切腹させたかったとか。
満州国建国の裏にいた甘粕正彦を妄想しながら、新じゃがピー満州国をご馳走様でした。

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