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茄子テキガリバ風味土野に隠棲した細川ガラシャ

いよいよ妄想も苦し紛れになってきたか?
味土野、京都でも山深い丹後にある場所。まだ訪れたことはありませんが、現代でも車が離合出来るか?という細い道しかないとか。
戦国時代には更に寂しい所で正に隠れ里?ここに二年間、隠れ住むことを余儀なくされた細川ガラシャを妄想しながら料理した記録。


材料

茄子    2本
大蒜    1欠け
バター   20グラム
醤油    大匙3
味醂    大匙2
酒     大匙1
油     適量(割と多め)
葱の青い所 若干

明智光秀の娘として生まれた玉、美しい女性に成長。主君の信長の肝煎りで細川忠興と結婚。家臣同士の家を結び付けて、絆を強化する狙い。
夫婦仲も円満。子宝にも恵まれたのですが、運命が暗転したのが本能寺の変。


茄子を2センチ位に輪切り。

父、光秀が主君の信長を討ち取ったことが娘の玉を窮地に。
武家同士の婚姻は同盟でもあり、いざという時には互いを助け合うべきもの。当然、光秀も細川家を当てにしていました。
しかし、両家の結婚を勧めた信長が殺され、しかも謀反。加担すると細川家も危ないと判断して、忠興も父の藤孝も頭を丸めて、信長の喪に服す。
問題になったのが玉の存在。明智方に付かないのであれば、離縁して実家に帰すのが筋かもしれませんが、そうすると玉の身にも危険が及ぶ恐れ。
忠興は愛する玉を隠すことに。隠棲させる場所として選んだのが味土野。


醤油、味醂、酒を混ぜ合わせる。

忠興は玉を大事にしていたのでしょう。二年間に及んだ隠棲中にも子が生まれています。
やがて細川家の読み通りというべきか、光秀は秀吉に討たれてしまう。こうなると明智の縁者はますます肩身が狭い。しかし秀吉より、玉を呼び戻すべしとの命令。これにより隠棲生活は終わり、大坂の細川屋敷へ。


茄子の両面に格子状に切り込み。油やタレの染み込みをよくするため。

ほんの世間話のつもりだったのかもしれませんが、忠興はキリシタン大名、高山右近のことを玉に話す。このことが玉の運命を大きく変えることに。
キリシタンの教えに感じる所があったのでしょう。
忠興が九州に出陣している間に、教会を訪れて洗礼。ラテン語で恩寵という意味のガラシャという洗礼名を授かる。


茄子を両面焼き。茄子が油を吸うので、都度、足しながら。

九州から戻った忠興、妻の受洗を知り、激怒。
思うに、九州でキリシタン大名達が日本人の女を奴隷として売り飛ばしている実態を見た?秀吉は長崎が知らぬ間に教会領になっていることを知り、キリシタン許すまじとなっていました。
忠興も禁教令が出ることが予想出来たので、妻がキリシタンになったなど、外聞が悪いどころか、玉の身に今度こそ危険が及ぶのを案じたのではないか。棄教しろと激しく迫るものの、玉は頑として聞き入れず。
玉と共に洗礼をした侍女達の耳や鼻を削ぐという見せしめ。それでも玉の決意は揺るがず。


潰した大蒜とバター投入。

こうして細川ガラシャとなった玉ですが、この呼び名、私には何となく違和感。
日本はそもそも夫婦別姓の国と私は思っています。夫婦同姓になったのは明治時代に欧化政策が進められた結果。
例として北条政子とは言っても、源政子とは言いません。
日野富子も足利富子とは呼ばれません。
ともあれ、ここからはよく使われる呼び名、ガラシャと彼女を呼称します。


タレを投入。煮絡めていく。

ガラシャがキリシタンとなったことで、夫婦仲は険悪になっていきました。
忠興は五人の側室を持つと、あてつけがましく宣言。
この頃のことかと思われますが、寒々とした逸話。
夫婦が食事していると、剪定をしていた庭師が木から転落。大きな音を立てる。忠興は刀を手に立ち上がり、庭に降りて、庭師を斬殺。
血が滴る刀を突き付けながら、ガラシャを罵る。
「目の前で人が死んだというのに顔色一つ変えず、飯食うなど、おまえは蛇か」
ガラシャも負けてません。
「罪もない人を斬り殺すなど鬼の所業。鬼の妻には蛇が相応しゅうございます」
似た話で、忠興が手討ちにした家臣の血をガラシャの小袖で拭うと、ガラシャは何日もその小袖を脱がず、忠興が根負けして着替えてくれと頼んだとか。


焼き上がり。

ガラシャは離婚したいと宣教師に告白。しかしカトリックでは離婚は認められず、困難に立ち向かってこそ徳が磨かれると説得される。
離婚したければ棄教しなければならないということか?これも又、ジレンマになったことでしょう。


茄子テキガリバ風味土野に隠棲した細川ガラシャ

適当な大きさに切った青葱を散らして完成。
葱に含まれるアリシンが食欲増進させる。大蒜の風味がよく出ていて砂糖や蜂蜜を使わずとも味醂で十分な甘味が出せた。切り込みからしっかりとタレが沁み込んだ茄子から抗酸化物質ナスニンやアントシアニンも摂取。
少しの焦げ目も香ばしい。ご飯によく合う甘辛味。

秀吉の死後、慶著五年(1600)徳川家康が忠興を含む主だった大名を引き連れて会津征伐に向かうと、石田三成が挙兵。大坂に屋敷を構えている大名達の家族を人質にしようと行動。細川屋敷にもその手が迫ると、ガラシャは人質になることを拒絶。
武家の女として人質になる位なら、死を選ぶと言いたい所ですが、キリシタンでは自殺は厳禁。またもや信仰によるジレンマ。
そこでガラシャは家臣に命じて、薙刀で胸を突かせて絶命。満年齢だと37歳の生涯を終えました。
ガラシャを介錯した小笠原少斎により屋敷に火が掛けられ、彼女の遺体は残らず。この壮絶な最後を見て、石田方は他の大名家に対しても人質作戦を諦めたと言います。

本能寺の変、そしてキリシタンという外的要因により運命が変転した玉ことガラシャの自分の意志や信念を貫いた生涯を思いながら、茄子テキガリバ風味土野に隠棲した細川ガラシャをご馳走様でした。


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