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スナップえん道元禅師

旬の春野菜、今日はスナップえんどうを購入。
スナックえんどうとどう違うのかと悩んだこともありましたが(悩む程のことでもない)どうやら同じ物のようです。↓

えんどう、エンドウ豆ですが、さやごと食べられる野菜。
そういえば、昔観た映画「禅」で豆にまつわる問答があったなあと思い出し、映画の主人公の道元を妄想しながら料理した記録。


材料

スナップえんどう 1パック(150グラム位?)
しめじ      1パック
塩麹       小匙2
胡麻油      適量
酒        大匙1
塩        少々
胡椒       少々

禅宗には二つの大きな宗派。臨済宗と曹洞宗。どう違うのかというと、座禅を組むのは同じですが、臨済宗は座している間、導師から与えられた公案という哲学的な命題をひたすらに考える。曹洞宗は只管打座といって、ひたすらに座禅を組んで無の境地に至ることを目指す。瞑想に近いのか?
私は迷走とか妄想は得意ですが、瞑想となると眠ってしまいそうです。


スナップえんどうを塩茹で。

曹洞宗の祖となる道元ですが、正治二年(1200)生誕。都の公家、久我家に生まれたと言われますが、異説あり。
実は藤原氏の馬宿に捨てられていたが、泣き声が読経のように聞こえることから神童に違いないと言われ、育てられたという話もあります。
三歳で父、八歳で母を失う。
両親の死後、養子にしたいという申し出があったものの、出家することを決めていたので断ったという。神童と言われていたので引く手数多だった?
幼少の道元は、虫が群がっている花を無言で食べることで、拒絶の姿勢を見せたと言います。(昆虫食じゃないよ)
自分という花に群がる人々を拒否しているという意思表示らしい。


シメジの石突を切り、ほぐす。

比叡山に上り、14歳で念願通り出家。
比叡山延暦寺は天台宗の寺院ですが、天台宗に疑問を抱いて、禅というものを知り、それを学ぶために24歳の時に宋に渡る。
宋の阿育王山で最初に出会ったのは典座、つまり台所の責任者。
「修行とは何ですか」という問いに
「目の前にあるじゃないか。生活そのものが修行だ」という答えが典座から返って来る。
食事の用意をするのも修行。掃除をするのも修行。日々、やることすべてに心を込める。それが修行というもの。特別なことではなく、すべての行い一つ一つに心を込めて、しっかりと実行することで「天」とか「神仏」に近づづいていく。
宋の寺院を巡り、師となる如浄に巡り合う。
座禅とは心身脱落でなければならぬという教え。つまり心に拘ることもなく、疲れたとか眠いとかいう身体の拘りも忘れる。つまりは無になれということか。


茹で上がったスナップえんどうのヘタと筋を取り、斜め半分に切る。

如浄導師に伝わる仏法を継ぐことを許されて、四年に及ぶ宋滞在を終えて帰国。仏教思想書、正法眼蔵を著し、如浄から伝えられた曹洞禅を伝えるべく活動。時の執権、北条時頼と関わったり、越前に永平寺を開いたり。


胡麻油でシメジを炒める。油が回るまで。

最初の方に書いた、映画「禅」に出てきた豆の逸話ですが、
子供を亡くした女性が道元に頼みます。
「どうか子供を生き返らせる方法を教えて下さい」
「わかりました。それには豆が必要です。しかし一度も死人が出たことがない家から貰った豆でないといけません」というのが答え、
女性は条件に合う家を求めて駆けずり回る。しかし、どの家でも先日、父が死んだとか、去年、祖母が死んだとかばかりで、一度も死人が出たことがない家など見つからず。
つまり、死んだ者はどうやっても生き返ることはないというのが、この問答の答え。
「禅」を観たのは結構、昔のことなので細部に記憶違いがあるかもしれませんが、概ねこういうことでした。(豆ではなかったかもしれない)


スナップえんどう投入。酒、塩麹、胡椒を振りかけて更に炒めていく。

この話、どうも詳しく調べてみると、道元の逸話ではなくお釈迦様の話らしいです。豆ではなく芥子の実を探せという話。
ただ、道元に仮託して仏教が伝える世の真理を見せていると判断してもいいかと思います。


水分も飛んで、いい感じになってきた。

死んだ者は生き返らない。本来ならば当たり前であり、わかっていることなのに、それが受け入れられないあまりに無理な頼みをする。
つまり、人間は本来、悟っている筈なのにそれがわからなくなることがある。修行とはそれを思い返すためなのかもしれません。

スナップえん道元禅師

スナックえんどうの緑にシメジの茶色とビジュアルもよし。調味料も最小限に抑えたことで、スナップえんどう自体の自然な甘さが引き立つ。
スナップえんどうのシャキシャキ食感にシメジの柔らかさがよいコントラスト。
C、B1、K等の各種ビタミン、カルシウムも含んだスナップえんどう。シメジに含まれるビタミンDはカルシウムの吸収を助けるので、組み合わせもよい。

幕府の執権、北条時頼の招きで鎌倉に滞在して曹洞宗の普及に勤めましたが、その期間は半年。永平寺に帰り、自身の修行と後進の指導。
権威や権力にはあまり近づきたがらなかったということ。
二つの禅宗の内、臨済宗は主に上級武士に受け入れられ、曹洞宗は下級武士や庶民階層に広まったことから、「臨済将軍、曹洞士民」と称されたとか。
それまでの仏教の手法、念仏とか祈祷は祈るという行為が主の他力本願。
禅とは自身で悟りに近づく自力本願。
新たな時代を築こうとした武士階層には、自力本願という考えがマッチしたということか。しかし、それを広めた道元は以前の支配階級、公家出身というのは皮肉なこと?そんなことを妄想しながら、スナップえん道元禅師をご馳走様でした。

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