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山上憶良キーマカレー

南国、鹿児島産のオクラをスーパーで発見。夏野菜がもう出始めたか。たまに食べたくなる自家製スパイスカレーにオクラを使いながら、万葉歌人を妄想した記録。


材料

オクラ      6本位
粒状大豆肉    結構多く
玉葱       1/8
生姜       1欠け
大蒜       1片
片栗粉      大匙1
ケチャップ    大匙2
チリパウダー   小匙2
黒酢       大匙1
出汁つゆ     1.5カップ(2倍濃縮)
ガラムマサラ   大匙1
ターメリック粉  大匙1
クミン粉     大匙1
コリアンダー粉  大匙1
カルダモンと丁子 小匙1

メイン食材はオクラ、おくら、山上憶良ということで、山上憶良を妄想しながら料理開始。

奈良時代に成立した万葉集は現存する最古の歌集。7世紀前半から約130年間に及ぶ和歌が収められていて、上は天皇から下は農民まであらゆる階層の人々の歌。
風景とか恋、或いは防人の歌といって、東国から九州の守りに徴兵された農民が家族との別れ等を詠った歌等々。つまり古代の日本人は庶民でも和歌という芸術を嗜む文化的成熟度が高い民族。
そうした万葉集に名前を残した歌人の一人が山上憶良。
憶良が遺した歌で、もっとも有名なのが万葉集第五巻に収められている「貧窮問答歌」でしょう。
「風交じり、雨降る夜の雨交じり、雪降る夜はすべもなく、寒くしあれば、、、」
この歌、長歌といって五音と七音の句を三回以上繰り返し、最後を七音でまとめて、五七五の反歌を伴うという形式。かなり長いので省略。
詳しく知りたい人は検索して下さい。


大蒜、生姜、玉葱を摺り下ろす。

どういうことを詠っているのかというと、要は貧しい人々が困窮した生活を更に貧しい人に語っているというもの。
「かまどには煙吹きたてず、甑には蜘蛛の巣かきて、飯かしく」
という一節が貧窮問答歌にあります。つまりかまどにくべる薪もなく、飯を炊く甑は長らく使っていないので蜘蛛の巣が張ってしまったということ。
律令制下の貧しい人々の生活を描写。
貧しい人々の問答ではなく、役人と貧者の問答ではないかという説もあります。
この歌を始めて知った時、山上憶良とは食うや食わずやの生活をしていたのかと思ってしまいましたが、よく考えたら憶良は役人。つまり貴族階層。そんな貧しい筈がない。あくまでも貧しい人の生活を詠ったというだけ。
それなのに本人がそうだったように錯覚させるとは憶良の歌力、恐るべし。


ヘタを切った憶良、じゃなかったオクラを塩と一緒にまな板の上でこする。表面のうぶ毛を取るため。板摺という方法。

山上家とは皇別氏族だと言われます。つまり皇室から分かれた一族。しかし朝鮮系の渡来人だったという説もあり。まあ、天皇家自体が朝鮮から来たとすれば同じか。
若い頃は優秀だったようで遣唐使に選ばれています。つまり国費留学生。
しかし帰国してからどんな生活をしていたのかはよくわからず。当時は藤原氏が巾を利かせていましたから、皇室由来の一族だったとしても浮かぶ瀬もなし?


摺り下ろした香味野菜、ターメリック粉、クミン粉、コリアンダー粉をフライパンで熱して混ぜ合わせる。

憶良の動向がわかってくるのは40歳を過ぎた頃。但し政治家というよりも歌人として。
伯耆守とか筑前守などに任命され、任地に赴いて歌を遺していたようです。
特に筑前守時代に多くの歌。貧窮問答歌も筑前で詠まれたと思われます。
この歌が役人と貧しい人の問答だとすれば、憶良自身が聞き取り調査しつつ作った歌ということになるのか?


水で薄めた出汁つゆ、黒酢、カルダモンと丁子、大豆肉を投入。

貴族階層の人々の歌といえば、風景とか恋を詠ったものが多い中、当時の最下層の人々の生活を読み込んだ山上憶良。やはり異色な歌人。いわば社会派歌人と呼ぶべきか。
貧窮問答歌以外には、子への愛情を詠った和歌。
「瓜食めば、子とも思ほゆ、栗食めば、まして偲はゆ、いずくより来たりしものぞ、眼交にもとなかかりて 安眠し寝さぬ」
反歌
「銀も金も玉も何せむにまされる宝、子にしかめやも」
子を思う愛情溢れる歌だと感じます。


ケチャップ、ガラムマサラ、チリパウダー、オクラを投入。

「憶良らは今はまからむ子泣くらむ、それその母も我を待つらむそ」
家で子が待ち、その母、つまり妻も待っているので、もう帰ります。
つまり家族が待っているので、宴会とか仕事からお暇するという断りの歌。
貧窮問答歌もそうですが、弱い者や小さい者への労わりや優しい眼差しを持っていた人だと思われます。
万葉集に収集されている山上憶良の歌は75首。内訳は長歌11、短歌61、旋頭歌1、漢詩3。

水溶き片栗粉を混ぜて、煮上がった。

憶良が筑前守だった頃、太宰大弐つまり長官として筑前に赴任してきたのが大伴旅人。
現在の年号である「令和」ですが、これは万葉集にある「梅花の歌」の序から取られたもの。
「時に初春の令月にして、気よく風和らく」の部分が出典。



大伴旅人主宰で大宰府で催された梅花の宴で詠まれた32首の歌が「梅花の歌」ですが、その中には山上憶良の歌も。
「春されば、まず咲くやどの梅の花、独り見つつや、はる日暮らさむ」
つまり憶良も令和の現場にいたということ。


山上憶良キーマカレー

辛い。でも美味い。オクラの粘りがいい感じ。粒状大豆肉が十分に挽肉っぽい。オクラにはビタミンCやB6、カルシウムや鉄分も豊富。
大豆肉からタンパク質も頂けます。

天平四年(732)に筑前守の任期が満了し、都に戻った憶良ですが、その後、病死したと言われます。
社会派歌人の山上憶良、令和に蘇ったら、またも貧窮問答歌や子を憂う歌を詠うかも?
「卵なく、コオロギ食えと人の言わらむ」とか。
「我は食う、子は食わぬが知ったことではなし」という育児放棄の歌とか。
そんなことを妄想しながら、山上憶良キーマカレーをご馳走様でした。

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