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ローズマリーフィシュアンドチップ菅原道真

太宰府天満宮を訪れた時にふと思ったことを深堀り妄想しながら、何故か英国料理の定番を料理した記録。


材料

鱈      4切れ
ジャガイモ  3個
ローズマリー 2本
米粉     適量
塩麹     大匙1
重曹     小匙1
胡椒     適量

全国に12000以上ある天満宮の御祭神は天満天神自在天、神格化された菅原道真。元々の天神は別の神様ですが、今は同一視されています。
承和二年(845)に菅原是善の三男として誕生した阿呼が後の菅原道真。
学者の家として有名で道真自身も11歳で漢詩を読んだ。
18歳で文章生となり、兵部少輔や民部少輔、讃岐守を歴任。
宇多天皇の近臣として活躍、次代の醍醐天皇の代には右大臣に出世。
衰退している唐へ危険を冒して行った所で得ることが多くないとして、遣唐使の廃止を提言。
その後、政敵の藤原時平の讒言により左遷。太宰員外帥となり九州へ下り、二年後に死亡。というのが大まかな経歴。


ジャガイモを茹でる。

民衆に慕われていたのに藤原時平のせいで酷いメに遭って、死後は怨霊として祟りを成し、それに恐れを抱いた人々から雷神や天神として恐れられ、学問の神として鎮座することで祟りを成す存在から神になった。というのが一般的なイメージ。
しかし物事は一方だけが悪いということはそんなには多くない。本当に藤原氏の権勢欲の犠牲になった悲劇の学者であり政治家であったのか?という風に考えてしまうのが、私のひねくれた所。
そもそも讒言とはどういうものなのかを調べてみたら、道真の娘婿である斉世親王を皇位に就けようと画策した昌泰の変と呼ばれる騒動。
つまり娘を皇室に嫁がせて生まれた子を皇位に就けるという藤原氏が元々、やっていたことと大して変わらない。


鱈を適当な大きさに切る。

時平が醍醐天皇にそれを陰謀めいたこととして告げたとしても、おまえの一族がずっとやっていたことだろうと言われれば、それまでのこと。
道真を重用していた宇多上皇が醍醐天皇を取りなそうとしたが面会を拒絶されたと言われますが、他の貴族達は誰も道真に味方しなかったのか?
道真が天皇の外戚となれば、反藤原氏の旗頭とも成り得たのにと考えると、道真よりも藤原氏の方がまだいいと思われていたのではないか。
調べてみると、道真は傲慢な性格だったと思われる逸話が結構ある。
家柄を鼻にかけていたり、気に入らない者の頬を張ったとか。


塩麹を塗して10分程置く。

讃岐守に命じられた時、
「これは左遷だ」と嘆いた。
任期が終わると、新任者と業務の引継ぎをしてから帰京するのが習わしでしたが、それも行わずにさっさと都に戻る。こんな田舎にいつまでもいられるかということか。これで民衆に慕われたとは思えません。


残りの塩麹とローズマリーの葉、重曹を米粉と水に混ぜる。

菅原道真の功績としてよく語られるのが遣唐使の廃止。
道真が遣唐使に任じられるまで19回、遣唐使は派遣されていましたが無事に帰って来れば、唐の知識や財宝を持ち帰ることが出来たが失敗することも多く命の危険が伴う。
一旦、出発すれば何年もどころか一生帰国出来ない可能性がある。道真はそれを恐れた?出国すれば折角、乗った出世コースから外れるどころか命も定かではない。それで廃止を献策したとも考えられる。
最新の研究では遣唐使は正式には廃止されていないと言われる。
道真にもずっと遣唐使の肩書が付いていた。
結局、唐が滅亡したことでなし崩し的になくなったというのが本当の所?


茹でたジャガイモの真ん中が白いが気にしない。油で揚げれば火は通る。ということで鱈と共に衣。

後世、菅原道真の子孫を名乗る武士もいました。分かりやすい所では加賀前田家の祖、前田利家。だから前田家の家紋は太宰府天満宮の神紋に似た梅鉢。
学者というよりも武士のような猛々しい風も道真にはあったのかもしれません。肖像画からもそんな気の強さが感じられる。それが傲慢と公家社会では見做された?
肖像画には死後、祟り神として恐れられたイメージが投影されているのかもしれませんが。


揚げてから油を切る。

都から大宰府への赴任はすべて自弁。大宰府でも仕事もなければ従者もない。実質的に流罪と変わらない。
ここでも誰も助けの手を差し伸べないどころか、重用していた宇多上皇も援助すらしていない。やはり嫌われていた?
思うに、人間は苦境に陥ると否応なしにそれまでの自分を振り返るのではないか。そして自分の行いを反省することもあったのではないか。結果として大宰府で初めて道真は人に優しくなったのかもしれない。
地元の老婆が道真が好んだ梅の枝を添えて焼いた餅を献上したのが大宰府名物、梅が枝餅の始まり。


梅が枝餅

ここで初めて民衆に慕われる存在になったのかもしれない。
太宰府天満宮で三月に行われる曲水の宴は道真が始めたと言われる。懇意になった大宰府の人々に都の風習や行事を教えたのかもしれない。


ローズマリーフィシュアンドチップ菅原道真

重曹のおかげで衣がふっくらと膨らんだ。ビールを使うこともありますが、今回は塩麹の味わいとローズマリーの香を楽しむために重曹を使用。
塩麹の甘みある塩味がよく合う。揚げてから塩をかけるよりもこの方が深い味わい。
ローズマリーには記憶力や集中力を高めるだけでなく抗酸化作用もある。
鱈から良質なタンパク質、ジャガイモからビタミンCも頂ける。

菅原道真は死後、怨霊と化して清涼殿に雷を落とし、疫病を流行らせて自分を陥れた藤原時平らに祟りを成したと言われ、怒りを鎮めるために天神として祀ったのが大宰府を始め全国各地にある天満宮の始まり。

道真の政敵で極悪人のように言われることもある時平ですが、道真との関係は決して悪くなく贈り物をし合うこともあったとか。死因も病死とされますが、落雷に遭ったという説もあるが本当に祟りだったかはよくわからない。
時平自身にも道真を結果的に追い落としたことで気が咎める所があり、病になったのかもしれません。病は気からですから。それが人々の目には祟りに映った可能性もある。

私は別に菅原道真をディスっている訳ではありません。物事は色んな可能性があるという妄想を楽しんでいるだけです。

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