見出し画像

おかひじき与六


樋口与六と言われても、余程の歴史好きしかピンとこないかもしれません。
昔の人はよく名前を変えたので無理もなし。この人物のもっとも有名な名前は直江兼続。
主君、上杉景勝と共に戦国の荒波を乗り切った上杉家の執政。
人や時代によって評価が分かれる人物を、おかひじきを料理しながら妄想した記録。


材料

おかひじき 1袋
米粉    30グラム
片栗粉   100グラム
卵     1個
マヨネーズ 大匙1
塩     小匙1
胡椒    少々
重曹    小匙半分

永禄三年(1560)越後坂戸城下に生まれた与六が後の直江兼続。
父の樋口兼豊は坂戸城の薪炭を扱う係の武士だったと言われます。樋口家は木曽義仲四天王の一人、樋口兼光の子孫。
高い身分ではなかったものの、雪深い越後の城では薪炭は重要。城に出入りする父に従って、与六もよく城へ。
虫干しされている古書を読み耽っている姿を、城主婦人の仙桃院が見て、学問好きで有望な少年と見込んで、跡継ぎの喜平次の近習として取り立てる。喜平次が後の上杉景勝。
坂戸城の近くには雲洞庵という寺院。喜平次と与六はここに通い、学問。

と言われているのですが、実は異説あり。
生まれは坂戸城がある南魚沼ではなく、湯沢とも。樋口兼光の後裔というのも確証なし。
雲洞庵に通っていたというのも確証ない話ですが、雲洞庵では史実として扱われていて、二人が学んでいる絵まで飾られていました。
雲洞庵自体は赴きあるよい寺なのですが、確かなことではないのを史実として扱っているのはどうなのか。
直江兼続の事績がはっきりしてくるのは20歳頃。それまでのことは伝聞の域を出ない。


おかひじきを水洗い。

上杉謙信は妻帯せず、子がないので喜平次は養子として春日山城へ迎えられ、与六もそれに従う。
そこにはもう一人の養子、景虎。この人物は元々、関東の後北条氏から人質として送られてきた北条氏康の七男ですが、謙信が見込んで養子に。
喜平次改め景勝は謙信の甥なので血縁は近い。それでも謙信はどちらに上杉を継がせるかを名言しないまま病に倒れる。
この時、兼続は景勝の母で謙信の姉である仙桃院を春日山城へ呼んで、意識朦朧の謙信の遺言を聞き取らせる。
この時、
「景勝か、景虎か」と問うたのではなく、「景勝か、景勝か」と問うたのではないかと書いたのは童門冬二の小説だったかなあ。でも有り得る。
姉の仙桃院が遺言を聞き取ったという体裁を整えて、主の景勝を跡目に就ける。卑怯なようですが、兼続には上杉血縁が継ぐのが最良との考えがあったのでしょう。
景虎は北条氏出身。それが当主になると越後も実質的に北条領に。
もしそうなっていたら後年の秀吉の小田原征伐も違った展開?


米粉、片栗粉、卵、塩、胡椒、マヨネーズを混ぜ、水を加えて衣作り。

これですんなりいく筈もなし。景虎側は収まらない。
「そんなもん、言った者勝ちじゃねえか」とばかりに反発。
上杉家中は景勝派と景虎派に割れる。
そこに口を出してきたのが上杉憲政。謙信の形式上の養父。
元々は関東管領でしたが、北条氏に追われて越後に来て、謙信に上杉の苗字と管領職を譲った人物。
憲政は景虎に与して、景虎派は憲政の館へ結集。その館が御館と呼ばれていたことから「御舘の乱」と呼ばれる内紛。天正六年(1578)から足かけ二年にも及んだ内憂。それを見た武田家や織田家は上杉家を狙ってくる。
景勝派は武田家と同盟を成立させ、背後を固めてから景虎派を滅ぼす。
御館の乱と上杉景勝について、こちらもどうぞ。↓


水気を切ったおかひじきを衣に潜らせる。

景勝、兼続主従はこうして上杉家を掌握。
この乱で家中は疲弊。
それまで謙信の周囲を固めていた旧臣達を遠ざけて、自分達に近い上田衆を春日山城に呼び寄せて家中刷新。
家中はまだゴタゴタが続き、それは兼続自身にも大きな影響。
乱終息後の天正九年(1581)春日山城内で、御館の乱での恩賞に不満を抱いていた毛利秀広が儒学者の山崎秀仙が悪いとして斬りかかる事件。その場に居合わせた直江信綱が巻き添えを食って死亡。
重臣の直江家が絶えるのを惜しんだ景勝は、未亡人となった信綱の妻、お船に兼続との結婚を勧める。こうして婿入りした直江兼続が誕生。


適当な大きさに纏めたおかひじきを揚げる。

景勝、兼続主従にはまだまだ戦国の荒波。
織田家に通じた新発田景家が背く。
内にも外にも火種という状態。しかし本能寺の変が起こり、信長横死。これにより一応の危機は去る。
上杉家を守るために、その後に台頭してきた秀吉には協力する姿勢を見せる。


おかひじき与六

卵と片栗粉により、おかひじきがばらけずにしっかりとまとまる。
おかひじきにはビタミンCやカリウム、食物繊維が豊富。
卵からタンパク質も頂けて、栄養面もよい。
サクサクと揚がった食感も心地よく、塩胡椒、マヨネーズがよい風味を加えてくれる。

直江兼続と言えば、「愛」の前立ての兜を連想する人も多いかと思います。この愛はLOVEの意味ではなし。
愛の字は波打った形の板に乗っていますが、これは雲を示しています。
雲に乗った「愛」とは神仏を示しています。愛宕権現又は愛染明王。
神仏の加護を祈った兜なのです。

まだまだ直江兼続について書くネタは多いのですが、長くなるので続きは次回。
直江兼続がまだ樋口与六だった頃を主に妄想しながら、おかひじき与六をご馳走様でした。

この記事が参加している募集

今日のおうちごはん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?