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人参白和恵元とは誰か

タンパク質と野菜が同時に食べられる白和え、時々、食べたくなるということで自作しながら、天下を割った兄弟喧嘩を妄想した記録。


材料

人参    半分
豆腐    1/2丁
白摺り胡麻 たっぷり
塩麹    小匙半分
酢     小匙1
醤油    小匙1
胡麻油   大匙1

室町幕府の初代将軍、足利尊氏には一歳下の同母弟、それが足利直義。
兄弟仲は非常に良好。
しかも、二人は互いにない部分を補い合って、武家の当主兄弟としても理想的でした。
尊氏は軍事の指揮官としては超一流。しかし政治には向かないというよりも無関心。端的に言うと大名間のパワーバランスとかには無頓着。手柄を立てた大名には気前よく領地を呉れてやる。そのために大名が力を付け過ぎて、彼の子孫、足利将軍家は強すぎる大名達の力を如何に削ぐかに腐心することに。
一方、弟の直義は軍事の指揮はからっきし。ですが政治的なセンスがあった。建武式目という武家が守るべき法の制定等で足利家の天下草創に貢献。
互いに足りない部分を補い合うということから、武家の棟梁としても理想的な組み合わせの兄弟。


細切りにした人参を圧力鍋で加圧。これがあると短時間で柔らかくなって、ええわ。

後醍醐天皇の呼び掛けに応じた武士達の蜂起により鎌倉幕府崩壊。直義も兄、尊氏と共に六波羅探題攻撃に参加。建武の新政樹立に貢献。
三年程で建武政権は崩壊。足利尊氏は冷遇されていた持明院統の光厳上皇を担いで北朝を樹立。征夷大将軍に任じられて、幕府を開く。後醍醐天皇は吉野に逃れて、これに対抗。こうして南北朝の幕が上がる。とここまでは尊氏と直義の二頭体制はうまく機能。


重しを置いて水切りした豆腐を崩す。

足利家には昔から高家という一族が執事として仕えていました。この時代の当主、高師直も当然、尊氏の執事として足利家の家政を取り仕切っていました。足利家が将軍家になると、幕府の内政も担うようになる。
直義が政治力を発揮してくると、師直は当然ながら面白くない。
直義と師直は正反対のタイプで、うまく行くはずもなく反発。
直義は真面目で厳格。伝統とか筋目を大事にする性格。
師直は婆娑羅、つまり既存の権威とか伝統を破壊する人物。
武士は行儀よく、秩序を守るべしと考える者達は直義に、戦に勝ち抜き、領土を広げるためには既存の権威などに縛られないという者は師直にという風に武家達もいつの間にやら派閥を形成。


すり潰した豆腐に人参以外の材料を混ぜていく。

直義は婆娑羅禁止令を発布。派手な服装とか突飛な言動など、武士がやるべきことではないと考えたということでしょう。
以前、高師直について書きました。↓

詳しくは上記を参照していただくとして、土岐頼遠が斬首となったのも、婆娑羅禁止令を徹底させるための見せしめという意味合いもあったのかもしれません。
この処置に不満を抱く武士達は師直派となっていく。こうして両者の対立機運は高まるばかり。この頃、将軍である尊氏は何をしていたかというと、後醍醐天皇に背いたことを悔いて、仏教に深く帰依して政治向きのことに一切、関わらずという有様。


茹で上がった人参を水切り。水気をよく切らないと水っぽくなり、味がぼやける。

ついに直義は師直の悪行を幾つも挙げて、排除を尊氏に求める。
尊氏もあっさりとそれを認める。こうして師直は執事の座を退く。一説ではこの時、直義は師直の殺害も考えていたとか。
師直もやられっぱなしではなく、ついに決起。
軍勢を集めて、直義に刃を向ける。
歴戦の勇者である師直に、戦下手の直義が敵う筈もない。直義は尊氏の屋敷に逃げ込む。これで安心とはなりませんでした。師直は主君の屋敷であろうと構わずに包囲。直義の側近の身柄引き渡しを要求。兵糧攻めの様相を呈する。
本音は直義を渡せと言いたい所でしょうが、流石にそこまでは言えない。
禅僧、夢想疎石が仲介に入る。直義の側近、上杉重能と畠山直宗の配流と直義が出家して引退という条件で和睦。
直義は出家して、恵元となる。


人参を豆腐に混ぜ込む。

直義には直冬という養子。実は尊氏の庶子ですが、尊氏に認知してもらえず、直義が養子としていました。
その直冬が中国地方で兵を集めて上洛。目的は義父、直義を助けるため。
これを討伐するために尊氏が出陣。実の子なのに、、、
その隙をついて直義は京都脱出。直冬に合流。そればかりか敵対していた南朝と手を結ぶ。
こうして天下二分の兄弟喧嘩。この一連の騒動は観応の擾乱と呼ばれます。
戦上手な尊氏ですが、この戦には敗北。相手が弟と自分の子では攻撃も鈍った?
和睦の条件として、今度は師直と師泰兄弟の出家。
ところが、護送途中に襲撃されて高兄弟は殺害される。


人参白和恵元とは誰か

紅白と見た目も美しく、目出度い。
豆腐のタンパク質と人参のβカロテンを美味しく頂けます。白摺り胡麻をたっぷり入れたことから風味良く、ゴマグリナンとセサミンという抗酸化作用ある栄養も摂取。

高兄弟がいなくなったら、師直派だった武士達は尊氏に付き、対立構図は持ち越し。直義も南朝と繋がったままであり、そのために一時的にせよ北朝は南朝に全面降伏する羽目に。
ここまでくると尊氏も放置出来ず、直義方と数度の戦。今度は本気になったか、ついに直義を捕らえて鎌倉に幽閉。
その翌月に恵元こと足利直義は急死。
病死とされていますが、毒殺されたとも言われます。
時期や状況からすると、私は後者だと思います。尊氏の指示だったとすれば、天下人になったばかりに仲がよかった弟を葬らねばならなくなったことに、どんな思いを抱いたことか。
直義の墓が含まれている動画です。↓


非常に真面目で厳格、教養人でもあった直義は禅僧、夢窓疎石との対話を「夢中問答集」として出版。信心の基本や仏教の要諦についての問答をまとめた本ですが、女性にも読めるようにと仮名文字での出版を望んだとか。
真面目過ぎて融通が利かなかったことから、高師直や兄の尊氏と対立していくことになったのだろうかと、足利直義を妄想しながら、人参白和恵元とは誰かをご馳走様でした。

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