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呉汁サンチマンの塊、松本清張

ルサンチマンとはフランス語で弱者が強者に抱く憤りや怨恨。といった意味合い。
強者に押しつぶされそうな弱者こそが正義という意味合いに使われることもあるようです。
呉汁を作っていると、その言葉が思い浮かび、ルサンチマンを抱えた作品を多く世に送り出した昭和の文豪、松本清張を妄想した記録。


材料

大豆  250グラム (一晩、水に漬けておく)
味噌  お玉一杯
昆布  5センチ
人参  1/4
油揚げ 1枚
大根  5センチ

明治四十二年(1909)に現在の北九州市小倉北区に誕生と公式にはされている松本清張ですが、本人が後年、生まれたのは広島で父がだらしなく出生届をなかなか出さなかったので、そうなったと語っていた。
また誕生日も12月21日となっているのですが、これも本当は2月12日に誕生していて、出生届が受理された日が12月21日だったとも。
これも出生届の遅れが原因か。
本名は清張と書いて「きよはる」音読みして「せいちょう」が筆名。
「或る小倉日記伝」で芥川賞を受賞。推理小説や歴史、論評など多方面で執筆。これが簡単な経歴。


大豆を煮る。沸騰するまで。

父親がだらしなかったと述懐している清張ですが、そのせいなのか家庭は貧しく、向学心や知識欲はあっても学校にはろくに通えず。
尋常高等小学校を卒業後、工場の給仕として就職。給仕とは小間使いみたいな者。掃除やお茶くみ、配達等の雑用係。
そうした生活でも文学を志すようになり、新刊本は買えないので貸本屋や図書館で読書の日々。
勤めていた出張所が閉鎖されると、子供の頃からの憧れだった新聞記者になるべく地方紙の社長を訪ねるが、大卒でないと雇えないと言われ挫折。
学歴も金もなく、目の前の仕事に追い使われる日々。社会的弱者の悲哀を舐めたことと思います。


具を細切り。

実は松本清張は太宰治と同年齢。太宰が若い頃から作家として活躍していたのに対して、清張が作家デビューしたのは42歳と遅咲き。
様々な職業を経て、その頃には念願だった新聞社にいました。但し記者ではなく版下書き。印刷所に居たことから朝日新聞西部本社の嘱託の職を得たということ。
翌年、芥川賞を受賞。上京して本格的に作家への道を歩んでいく。


茹で上がった大豆をミキサーで砕く。

それまで世に容れられずに不遇を託っていた憤懣を一気に晴らすように作品を量産していく。
いわゆる推理小説の範疇に入る作品が多いのですが、清張作品には名探偵とか手の込み過ぎたトリックやわざとらしいダイイングメッセージ等は登場せず。犯罪に手を染める心理とか追い込まれていく状況等の描写が非常に巧み。手の込んだトリックと言えそうなのは「点と線」で時刻表を用いたことか。名探偵などが登場しないということから、作品の続編というものも殆ど存在せず。私が知っている例外は「点と線」の刑事コンビが再登場した「時間の習俗」だけか。


一晩、水に漬けておいた昆布を煮て出汁取り。

歴史や不可解な事件を考察した作品も多く、扱った歴史も卑弥呼から下山事件までと幅広い。
霧プロダクションを設立して、自作品の映画化も手掛ける。
前半生で思うように生きられなかった弱者の悲哀を一気に晴らしていくようです。
松本清張と言えば、大きく突き出した下唇が印象的ですが、長らく思うように生きられなかった不満がそういう顔付きを作っていったのかと思わされます。顔付きは人生や心を表すもの。


昆布出汁を取った湯で具を煮ていく。

脚本も出来上がり、霧プロダクションで撮影する筈だったものの結局、お蔵入りになってしまった作品があります。
「黒地の絵」
これこそ強者に踏み躙られた弱者の悲哀を描いた短編小説と私は思っています。
清張作品には実際に起こった事件から着想された小説も多い。有名な所では「鬼畜」
この「黒地の絵」も実際に小倉で起こった事件から書かれた作品。


砕いた大豆を投入。更に煮ていく。

砕いた大豆は呉と言います。呉を入れた汁なので呉汁ということ。

小倉の城野、国道10号線沿いに陸上自衛隊の駐屯地がありました。現在は移転してマンションが建っているようですが、その場所は昔から軍関連の施設として使われていました。自衛隊の前は米軍の城野キャンプ。終戦前には陸軍の施設。
事件は終戦後、米軍キャンプ時代に発生。
夏の小倉では祇園祭りが行われ、町中に太鼓の音が響き渡る。
その音に誘われたのか、町中に出て来た黒人兵が民家に押し入る事件。そこで女性が強姦や暴行されたといいます。しかし当時は占領下、米軍の不祥事はなかなか報道出来ず。犯人の黒人兵達も程なく朝鮮戦争の最前線に送られて全員戦死したと言われます。揉み消されたか。
新聞社に居た清張は、この事件について知っていたかもしれません。それでも新聞社は箝口令を布いていた?


味噌を投入して味付け。

当時は今以上に人種差別が激しかった時代。黒人は米軍内では弱者だったと思います。その弱者が更に弱者である敗戦国の女をいたぶった。
しかも社会正義を標榜している新聞社もその事実を広く知らせようとはしなかった。作家として大成した清張はその事件を小説化。更に広く知らしめたいということから映画化を企画したのではないか。


呉汁サンチマンの塊、松本清張

呉は大豆、味噌も大豆、具の油揚げも大豆と正に大豆尽くしの汁。良質なタンパク質の宝庫。
人参のβカロテン、大根のビタミンと栄養も申し分なし。
程よく砕いた大豆の食感も素晴らしい。まろやかな汁とあいなりました。

「黒地の絵」が映像化されなかったのは、圧力がかかったのか、興行的に成功しそうもないということから断念したのか。
この作品に限らず、清張作品には弱者の悲哀や叫びが根底にあるように思えます。しかし登場人物達もひたすらに可愛そうな弱者というだけではなく、クセのある人物もいる。清張の人間観察の賜物が、そうした人物造形か。
そんなことを妄想しながら、呉汁サンチマンの塊、松本清張をご馳走様でした。

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