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小早川隆景ソ揚げ
居酒屋で昔、よく食べた肴にゲソの唐揚げがありました。
甘辛味が沁み込んだ歯応えある烏賊の下足。それを思い出し、自分なりに再現料理を楽しみながら西国の賢将を妄想した記録。
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イカのゲソ 好きなだけ (大体120グラムだったか?)
玉葱 1/4
大蒜 1片
醤油 大匙2
味醂 大匙2
片栗粉 大匙3
米粉 大匙2
戦国時代、織田信長以前に当時、日本最大の版図を築いた毛利元就には正室との間に三人の息子、隆元、元春、隆景。
以前、次男の元春を妄想。こちらをどうぞ。↓
小早川隆景、げ、ゲソということから今回は天文二年(1533)生まれの三男の隆景を妄想。
毛利元就と三人の息子達と言えば、三本の矢の話が有名。一本の矢は容易く折れてしまうが、三本束ねると容易には折れない。兄弟三人も結束して、毛利家を折れぬように盛り立てよという教え。
残念ながら、この話は虚構のようです。但し、こういう話が生まれる下地として、三兄弟が結束していたという事実。元春は吉川家、隆景は小早川家を継いでいるが、それは当座のことで、毛利本家のことを決して粗略にしてはならないということを元就は口が酸っぱくなる程に言っていたようです。
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12歳の時に小早川家の養子となった隆景。小早川家の領地は海沿いであり、水軍を有していました。元々、山間の領主だった毛利家にとっては海へ出る力は大きな魅力。
毛利家が中国地方の覇者として飛躍するきっかけになった厳島の合戦でも小早川水軍は活躍。
元就は危篤に陥った際にも兄弟の結束を説いていましたが、隆景は
「争いは欲より起きる。欲を抑えて義を守るならば不和は起きませぬ」と答えて安堵させたといいます。
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謀略の鬼とも呼べる毛利元就。その知恵をよく受け継いでいたのが隆景。
元就死後、毛利家を継いだ甥、輝元を厳しく指導。時には折檻することもあったとか。それも毛利家を守るため。
秀吉と対峙していた備中高松城の戦。秀吉が本能寺の変を隠したままで和議を纏めて撤退していった時、元春は騙されたと憤り、追撃を主張したが、隆景はそれを押しとどめる。
「和睦の誓紙の墨も乾かぬ内に、それを破る訳にはいかない。ここは秀吉に恩を売っておく方がよい」
武士の信義を持ち出されては、元春も強く主張出来ず。
更に隆景は上方に戻る秀吉に毛利家の旗指物まで貸与。これで毛利家が秀吉に味方しているように見せることで、秀吉軍が無事に戻れるように便宜を図った。
隆景は秀吉が信長の弔い合戦を勝ち抜いていくだろうと先を読んで、毛利家を守るためには、いち早く勝ち馬に乗ることを選んだと言える。
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言うまでもなくこの賭けは成功。その後も秀吉に協力することで毛利家は安泰。と思いきや、秀吉から予想外の提案。
当主、毛利輝元に実子がいないことから、秀吉は甥の秀秋を養子にどうかという要請。
これが実現してしまえば、毛利家は実質的に豊臣家に取って変わられる。それを防ぐために隆景は秀秋を自分の養子として迎え入れ、既に輝元は従兄弟を跡継ぎに決めていると秀吉に返答。
毛利本家を守るために、自分の家を差し出したとも言える。正に父が言った毛利家を守れという言葉を身を挺して実現。
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毛利輝元は豊臣政権の五大老の一人でしたが、小早川隆景もその一人。つまり毛利一族は豊臣政権の中枢に二人も参与。重きを成したと言える。
因みに隆景の死後、大老は養子の秀秋ではなく上杉景勝が就任。
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黒田如水と長政親子との間に、小早川隆景は興味深い逸話を残しています。
官兵衛こと黒田如水に隆景は言いました。
「貴殿は頭がよいので、即断即決が多いが、後悔することも多いのではないか。私は熟慮の上で決断するから後悔は少ない」
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如水の息子、長政が隆景に尋ねた。
「分別とは何か」
「長く思案して遅く決断する。分別の肝は仁愛。仁愛を元に分別すれば、思慮が外れても大きくは間違わない」
小早川隆景とは慎重熟慮の人だったことが窺えます。
隆景が亡くなった時、黒田如水は
「これで日本から賢人はいなくなった」と嘆いたとか。
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大蒜の旨味、玉葱の甘さと辛さが絡みつくイカのゲソ。弾力ぷりぷりで素晴らしい。あまった玉葱も一緒に揚げましたが、これもよし。
血中コレステロールや中性脂肪を抑制し、糖尿病予防にも効果あるタウリンが含まれるイカ、血液サラサラ効果の玉葱と正に血液の掃除料理。
片栗粉と米粉の混合により、衣のサクサク感も向上。
酒の肴にもご飯のおかずにも文句なしの逸品に仕上がった。
小早川隆景の死後、元々の家臣達はすべて毛利家に帰参。名跡を継いだ秀秋には秀吉から付けられた家臣のみが従うことに。この時に桓武平氏の名族、小早川家は実質的に消滅したと言えます。
隆景は正室と接する時にも肩衣や袴を着けて、賓客を持て成すような態度。側室も置かず。そのために子もなし。それ故に秀秋という養子を迎えることになったのですが、何やら常人離れした風も感じてしまう。賢者とか賢人とはそういう人なのか。そんなことを妄想しながら、小早川隆景ソ揚げをご馳走様でした。
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