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シーフードビリヤニ田義貞

時々、インド飯を食べたくなります。ということで、バスマティライスを買ってきたので、ビリヤニを作ることに。

材料

バスマティライス 1合半
ローレル 1枚
ベビー帆立 適量
大蒜 一欠け
生姜 一欠け
ヤリイカ 2
乾燥海老 適量
玉葱 半分
人参 1/4
ヨーグルト 大匙 3
ミニトマト 6
胡椒 適量
潮 小匙 1
コリアンダーパウダー 大匙 1
ターメリック  大匙 1
チリペッパー 小匙 1
クミンパウダー 小匙 1
ガラムマサラ  大匙 3
クローブとカルダモンのミックススパイス 大匙 1
シナモンスティック 1

ビリヤニ、に、新田義貞ということで、料理のお供の妄想は新田義貞。
鎌倉幕府討伐に功績があった武士で、地元である群馬県太田市の駅前には銅像。太田氏の隣が栃木県足利市。名前の通り、足利氏の地元。
新田氏も足利氏も源氏の一族。先祖を遡れば、兄弟から枝分かれ。
鎌倉時代、足利氏は幕府の執権、北条氏と姻戚関係となり、勢力を拡大。全国的にも名前が知られていたのに対し、新田氏は今一つ振るわず。


バスマティライスを30分浸水させる。

新田氏は足利氏に従属していたという研究もあるとか。
義貞本人は足利氏との関係をどう捉えていたのか?昔の大河ドラマ「太平記」では少年時代の義貞が、同じく少年の高氏に
「北条は平氏、我らは源氏ぞ」と言っている場面。
足利家は北条家に取り入っている。そんな風に思っていた?育ちのよい御曹司風な高氏に対抗心満々?


玉葱の繊維を断ち切る方向で細切り。

やがて後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐を呼び掛けると、それに呼応する武士がちらほら。楠木正成、足利高氏、そして新田義貞。
新田義貞も護良親王の綸旨を受けて挙兵を決意したといいます。
護良親王については、こちら。↓

千早城や赤坂城で幕府軍を引き付けて戦った楠木正成、都における幕府の出先機関であった六波羅探題を、足利高氏が攻撃。
義貞は鎌倉へ向けて進軍。敵の本拠地を叩くという重要な役割を担うことに。しかし、これで足利氏よりも上位に立ったとは言えませんでした。何故なら、義貞と共に高氏の長男、千寿王が大将格で参加。こうした点からも、新田氏は足利氏に従属していたのではないかと言われることがあるのです。


イカは足と胴体に分け、輪切り。

よく古都鎌倉と言われることがあります。個人的にはこの呼び方は賛同出来ません。この国で都と言われるためには天皇が住んだ土地でなければなりません。鎌倉に天皇が住んだことはありません。
まあ、それはともかく、鎌倉という場所は都というよりも堅固な要塞とか天然の城とも呼べる所。三方は山、残る方向は海。鎌倉に出入りするには、山を削った斬り通しという道を通るか、船で海から上陸するか。


玉葱を素揚げ。

義貞はどちらも取らず、稲村ケ崎から海沿いの狭い所を通って進軍。
人や馬が通れるような道はないのですが、義貞が黄金造りの太刀を龍神に捧げるとして、海へ投じると俄かに潮が引いて海の中に道が出来て、軍勢が進むことが出来たという伝説。
まあ、合理的に考えれば、義貞は干潮の時間を知っていて、士気を鼓舞するためにそんな演出?

大蒜と生姜は擦り下ろす。

稲村ケ崎から攻め入った新田、足利連合軍は由比ヶ浜で激しい戦闘。その時の犠牲者ではないかと言われる大量の人骨が由比ヶ浜から見つかったと聞いたことがあります。
鎌倉には多くの寺社がありますが、鎌倉時代から残っている建物は皆無。この時の戦闘で鎌倉は灰燼に帰したとか。


シーフードにヨーグルト、ターメリック、クミン、コリアンダー、ガラムマサラを混ぜ合わせる。

新田義貞、同じく源氏の源義経とイメージがかぶることがあります。軍事の才能はあっても政治力は乏しく、更に都の美女とのロマンス。
東男に京女という言葉がありますが、義経には静御前。義貞には匂当内侍。
幕府滅亡後、後醍醐天皇から褒美として与えられたと言われる美女。


米、シーフード、半分に切ったミニトマト、拍子木に切った人参、他のスパイスを炊飯器へ。

後醍醐天皇が始めた建武中興、次第に武士達の支持を失っていき、不満を持つ武士達は足利尊氏の元へ。因みに建武以後、高氏は後醍醐天皇の諱、尊治から一字与えられて、尊氏と改名。
護良親王が失脚後、尊氏を牽制するために、後醍醐天皇は義貞を重用。正しくライバルに。匂当内侍を与えたのも篭絡するため?
尊氏、義貞は君側の奸であり、除くべしと進言。義貞は理路整然と反論という話も伝わっています。どちらかというと下に見ていた、ことによると従属していたとも見える新田が肩を並べてくるのは、尊氏にとって面白くなかった?

早炊きモードで炊飯。

多くの武士に支持された足利尊氏が反後醍醐と旗幟を鮮明にすると、もう一人の討幕の功労者、楠木正成は義貞を討って尊氏と和睦すべしと進言。
理由は尊氏の方が人望も厚く、能力もあるということ。結局は却下され、義貞が討たれることはありませんでしたが、後醍醐天皇のために必死に戦っていたというのに、味方にまでこんな評価をされてしまうとは、新田義貞が可哀そうになってきます。


シナモンとローレルを取り除き、揚げた玉葱を混ぜる。

その後、湊川の合戦にて、正成と義貞は共闘して尊氏軍と戦うことに。正成はどんな顔で義貞と会っていたのか?義貞は正成の進言を知っていたのか?
結局、楠木、新田の軍は分断されてしまい、楠木正成は討ち死に。


しっかりと混ぜる。

更にひどいことに、忠節を尽くしていた後醍醐天皇からも見捨てられるようなメにも会うことに。
対立していた足利方と義貞には秘密のまま和平交渉。
このことが露見すると、敵を欺くために味方をます欺いていたのだと、朝廷は苦しい言い訳。


シーフードビリヤニ田義貞

乾燥海老を使ったことでいい出汁。イカや帆立もよい組み合わせ。爽やかな風味のカルダモンには整腸作用、クローブには抗酸化作用だけではなく体を内側から温めてくれる。スパイスは体を整えてくれます。

この後も義貞は宮方として戦い続けました。今やライバルどころか不倶戴天の敵となった尊氏に頭を下げられる筈がないという意地?
戦っても戦っても人望を得られず、裏切られる。必死に努力しても支持されるとは限らない。何やら切なくなってくる人生を歩んだ新田義貞。
報われる所が少なかった生涯を偲びつつ、シーフードビリヤニ田義貞をご馳走様でした。

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