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東京に出てきて15年でエモ街角イラストを描くようになった話

わたしの出身は長野県。
大学入学と同時に東京に出てきてちょうど15年になる。

はじめは「山が見えない…」「人混みに酔う…」「コンクリートジャングルだ…」そして「信州に帰りたい…」となっていたものだが、1ヶ月ほどで東京の面白さに気付き始めた。

活気のある商店街。
昔ながらの八百屋さんで買い物する若い人たち。
(地元は人が集まるのは大型複合商業施設などで、商店街はシャッター通りだったので、この光景はとても新鮮に感じた)
路地裏を覗くと歩いている猫。
意外と公園が多く緑も溢れている。

そしてある休日、ふと気づいた。「ここの学生寮から新宿まで歩いて行けるんじゃない?」
当時はスマホを持っていなかったので、ポケット地図を見ながら新宿を目指して歩いてみた。
あっさり1時間くらいで新宿駅に到着した。

知ってる大都会に徒歩で行けちゃう。
「あの街もこの街も地続きで繋がってるんだ」という当たり前のことなんだけど、身をもって実感した18歳のわたしは大いに興奮していた。
東京、楽しいかも!

その後も、予定のない休日は、「行ったことのない駅で降りて、気の向くままに散歩する」ということを時々するようになった。
当時流行っていたmixiで「東京の街を楽しむ」をコンセプトにしたコミュニティに入り、区境を歩くイベントに参加したり、都内を舞台にした謎解きイベントに挑戦したりしていた。
この時期テレビで「ブラタモリ」の放映が始まり、「東京は坂の街」ということも初めて知った。

大学4年の1年間で、わたしの街歩きブームはさらに加速した。
同じゼミにいた子がガチの地図&地形オタクで、「卒論は地形と街の歴史をテーマに書く!」と最初から宣言していた。
彼が卒論執筆のためにフィールドワークをするというので、ゼミの先生やほかの友人たちと一緒に参加させてもらった。

東京の地形は山と谷の連続であること。
江戸時代、山側には大名屋敷や神社が建ち、谷側には町人が住居を構えたように、地形に合わせて街が形作られてきたこと。そして現代になり、かつての大名屋敷跡は公園や大使館として使われ、谷側には小規模の住宅や商店街が広がるようになったこと。
これまで自分になかった歴史の観点で街を観察するフィールドワークはとても楽しく勉強になった。

そんなわけで、大学を卒業する頃にはすっかり東京街歩きにハマってしまった。
特にグッとくる街並みは、やっぱり坂道(斜面が急であればあるほどグッとくる)、アーケードのある商店街、路地裏、橋梁や高架などの土木建造物、駅や電車のある風景、などなど。
街があれば必ず暮らす人、通り過ぎる人、訪れる人がいる。彼らの生活や人生に思いを馳せるのも一興だなと感じる。

子どもが生まれてからは、時間をかけて街を歩く機会はめっきり減ってしまったが、最近は絵を描くようになったので、街イラストを描くことで「この街にグッとくる!エモい!」という気持ちを昇華させている。


違う出口から出ちゃった人 東銀座駅
大森 八景坂の夕暮れ
雨のドライブ 六本木 谷町ジャンクション付近

街の空気感、温度感、高低差、奥行き…そういったものがエモの表現に繋がると思っているがなかなか難しい。

試行錯誤は続く。
そして描けば描くほど、やっぱり東京が好きになる。

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