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言語の壁はコミュニケーションの壁なのか?

皆様 2024年、明けました。昨年は大変お世話になりました。 本年もどうぞよろしくお願いいたします! さて、 新年早々に即興演劇のショーに出演しました。 日本語と英語の2つの言語を使った企画です。とっても楽しかったのと、 最近よく感じていたことに対して、自分なりに、一つ答えを出せたような体験をしたので所感を書いていこうと思います。 最近わたしが感じていたこととは 「 母国語以外の言語がわからないことから生まれる、孤独や疎外感は言語以外の媒体でなんとか無くせないだろうか?」

    • コーヒーに砂糖なんか入れるんじゃねぇ。

      「人の目を気にしないほうがいい。」 その人は私の目を気にしてた。  「自分勝手な人が嫌い。」 そういったあの人は自分勝手だった。  「もっと私を見てよ。」 君はもっと自分を見た方がいい。  「心の扉を開いてよ。」 そう言ったあんたは自分が選んだ扉を捨てたほうがいい。  「もっとしっかり頑張りなよ。」 そういったあいつはずっと体調を崩している。 変化することは自分を分解していく、なくなっていく。その隙間に自分の中の他の誰かが、新しいものをつくってくれる。 コーヒーに砂

      • 会いたい日和

        原因と解決策が同じところにあって 体現していた世界は誰でもない人の世界に変わる 見せかけの優しさは誰のためにもならない 利他の皮に包まれた利己は全てお見通し 皮を剥いだら何もなくなっちゃった 風邪ひいちゃうから毛布を被ろう 人を愛すようで自分を愛してます 自分に向けたはずの刃物は 気がつくと誰かに向けている 血流が早くなっていく 震える指は何を触れたがっているの 小さな声は何を伝えたがっているの 目は何か言ってるよ あなたが何をしようとも 誰かに寄りかかることができない

        • こどもとおとな。

          私は大人になっても、体の中には子どもの自分がいると思っています。子どもと大人の部分はハッキリ分かれているわけではなく入り混っていたり、半分にスパッと分かれていたり、大人のベール中に小さな子どもがいたりするかもしれません。私の感覚と一番近いのは大人のベールの中に小さな子どもがいるイメージです。ここでいう大人は社会性を意識している自分、子どもは純粋にやりたいことをやる自分です。 子どもの自分は好き!嫌い!という気持ちに忠実に動いています。大人の自分はその子どもが健康に生きていける

        言語の壁はコミュニケーションの壁なのか?

          いと伝えたし、いと伝わらなし。

          私がいまやっている活動は人の気持ちや意志、同じ場所に人が集まって生まれたものを絵と文字に記録するものです。 聴いて、見た情報の全てを記録するのではなく、相手の話している内容や意図を理解し、要約したシンボルのようなものを描きたいと思っています。 例えばりんごの話を聞いたときに、丸を書いて赤く塗って葉っぱをつけたら、見たほとんどの人は「この絵はりんごをあわらしている」とわかると思います。けれど、概念や抽象度が高いものを記録するときには、抽象度を残しつつ、当事者以外が見てもなんと

          いと伝えたし、いと伝わらなし。

          「あの人」のために動くこと

          これまで様々な分野の方と色々な仕事を一緒にさせていただきました。 26歳の7月に思ったことがあります。 自分のためだけに動いていると体力が保たないということがわかりました。 自分が今知らないことを知り、経験することで、できなかったことが少しずつできるようになることはとても嬉しくて、私が大切にしていることです。 頑張っているとき、自分の利益や成長のことだけ考えている時よりも、一緒に仕事をしている「あの人」たちのために動こうとすると、いつもよりたくさん動けている気がします。パ

          「あの人」のために動くこと

          小川

          家の近くに流れる小川を眺めていた。 透明で青で緑で赤で黄色な水が、石や草や鴨に当たって、流れを変えながら柔らかに流れていく。 私は川の中に葉っぱを投げた。葉っぱは川に流されていった。 私は川の中に小さな石を投げた。石は川底に沈んだ。 私は木の枝を川の中に投げた。枝は石と葉っぱの間に挟まった。 水の流れが変わって、木の枝のところで水は屈折して流れた。 私がやりたかったのはこういうことだとわかって、おうちに帰った。

          描き方を選ぶこと。

          大学1年次に履修していた美術科教育法という授業で、白木蓮の鉛筆デッサンの課題が出ました。 私は描くスピードがとても遅かったので、描いているうちに花はみるみる枯れていきました。描くたびに花が変化するので、どの状態を描けばいいのかがわからず、消しては描いてを繰り返していました。(今考えると写真を撮って描けばよかったのですが。汗 目の前の生きてるものを見て描きたかったんだと思います。) 加えて私は筆圧を調整することが苦手で、描いた線が強すぎて消しゴムで消しても、線の跡がほとんど消え

          描き方を選ぶこと。

          The Weather.

          Some part of me loves you. 私の一部はあなたを愛しています。 I hope you have good weather. いいお天気になるといいですね。 Flowers and animals are celebrating your departure. 花や動物があなたの出発を祝っています。 Even if the weather is bad, You are like a blue sky. たとえ天気が悪くても、あなたは青い空のようです。

          The Weather.

          Liar.

          人間は美しい生き物なんだと思いたくて、花や空を見る。 I want to think that human beings are beautiful creatures, so I look at flowers and the sky. 人間は神様ではない。 People are not gods. 真実は何かを探ろうとしているけど、真実をそのまま見ようとはしない。 I'm trying to find out the truth, but I'm not trying

          愛を込めて。

          震える頭と心を背負い、電車の窓をのぞく。たびたび人、たびたび街、たびたび顔。何が本当で何が嘘かわからない。その場だけをみる。 どこへ行こうか、どこでやめようか。足ることを知らぬ心を持って、愛を持って街を歩く。 電線の間に月が囚われて、私にしかきこえない音が鳴る、色がなる。 とどまることないたくさんの人影に希望を抱き、また絶望する。 頑張らなかったこと、頑張れなかったこと、できたこと、嬉しかったこと。 スーパーの袋に風があたって音がなる。靴がなる。 的に向かって矢を放つ。当たら

          愛を込めて。

          続けること。

          絵の仕事をはじめてもうすぐ3年たちます。私の絵は上達しているのだろうかと疑問に思い、振り返ることにしました。 絵を仕事すると決めた時期に描いたものです。絵が上手くなりたいけれど、何を書いたらいいのかわからず、大学生の時からやっていた即興演劇(インプロ)をやっている時の自分の心と体の状態を絵にすることから始めました。その後、グラフィックレコーディングというものを友人から教えてもらい、TEDをみて内容をまとめる練習をしました。 毎日1枚の絵をかくことにしました。 描いても描い

          続けること。

          もっと〇〇だったら。

          もっと頭がよかったら、美人だったら、人を大切にできたら、才能があったら、インプロがうまかったら、器用だったら、身長が大きかったら、人を愛せることができたなら、自分を出せたら、自分を隠せたらなら。 50歳になった私はどんな「もっと〇〇だったら」を言っているでしょうか。 1.若い時にもっと色々やっておけばよかった系。 2.持っているもの(資質)を否定して違うものを欲しがっている系。 お金の問題だったり、自分の能力が足りなかったり、自分の人との関わり方の問題だったりを毎日感じな

          もっと〇〇だったら。

          「傷つくということ。」ワークショップ記録

          企画しているワークショップの打ち合わせをするために、友人と電話をしました。 相手が「どう?最近のあゆみちゃんの人生は!」と声をかけてきた。 なんてデカイ問いなんだ...と思ったけれど、それがうれしかったです。 私は小さな座布団に座らせてもらうつもりだったけど、用意されたのは大きな大きなベットでした。 最近読んだ本や、人や仕事への向き合い方が変わったこと、感動したことを話しました。 どんなワークショップを企画しているかというと 「傷つくということはどういうことか?」の仮説検

          「傷つくということ。」ワークショップ記録

          鏡に映る私の顔

          深夜歯磨きをしながら、鏡に映る自分の顔を見ていた。自分なのだけれど、他人のようにも見える。この人が絵を描いたり、グラレコしたり、インプロしたり、食べたり、寝たりしてるのか。不思議なものだ。

          鏡に映る私の顔

          学問と人

          人を知り、学問を知ることで悲しくなったり、もうだめだとおもうことがあります。そんなとき、人と学問に救われます。人生に絶望していたのに、人生は美しいとおもう。生きることはこれだからやめられない。

          学問と人