見出し画像

自分にかけた“呪い“について

世に溢れる「自分と向き合う」とか「自分探し」とかって言葉がいつもむずがゆくてどうも自分には合わんな〜と思っていたんやけど、ニュージーランドへ来てから“自分“と向き合わざるを得ないなって感じることが多い。

単純に仕事辞めてワーホリに来て時間に余裕があるっていうのがすごく久しぶりで自分のこと、これからのこと、今までのことを考えることが明らかに日本に居た時よりも増えたからかもしれない。

特に自分の内面については昔から悩んでることが多くて
海外に出て、自分の知らない街で暮らして、自分のことを知ってる人は誰もいない環境に来たら「自分の何かが変わるかもしれない」って無意識に漠然と期待していたような気もする。

けどそんなことはもちろん全くなくて、どこへ行っても誰と会っても自分はずっと自分のまま。大嫌いな自分も、ちょっと好きな自分もいつだって漏れ無くついてくる。あたりまえ体操。

考えすぎて考えすぎて考えすぎて空気読みすぎて悩んで疲れてめんどくさくなってもうええわ!って勢いに任せちゃって後悔して反省してまた考えすぎる……。

誰かに必要とされるために、誰かの役に立つためにいつでも良い子で完璧な自分でいたいし他人にそう思われたい。そうじゃない自分を認められない。他人にどう思われるのか怖い。でももちろん完璧なんかじゃないし人付き合いもだいぶ苦手な方。それもわかってる。

自分で自分にかけている、或いは社会の空気とかこれまでの家族との関係の中でかけられてきた“呪い“はいつまでもしぶとくて根深い。

ニュージーランドに来て一番感じるのは言語の壁。
英語レベルB1の私にとっては例えば買い物に行って簡単なやりとりはある程度できるけど少し込み入った話や世間話を不意にかけられると「なんて!?」ってなる。そこで厄介なのは、相手の言葉を聞き取れなかった自分、自分の意思を相手がわかるように伝えられなかった自分が他人に迷惑かけてしまってる!もうだめだ!誰とも話たくない!ってなる心の弱さ。もう心臓が丸められた紙みたいにグシャグシャってなるのよ。

相手の反応がどうであろうと、完璧で良い子じゃなくて誰かに“迷惑“をかけてしまったって感じることがストレスでどんどん人と話すのが嫌になって憂鬱になって怖くなっていく。

(それを乗り越えるためにじゃあめちゃくちゃ英語の勉強がんばろう!!っていう気持ちはあれど持ち前のだらしなさからもダラダラとしてしまっているのも事実。)

そんな自分でも、考えてみると10年前には自分の弱さも苦手なこともはっきり掴めなくて悩んではうやむやに誤魔化していたような気もする。その頃よりかは自分のことをちょっと客観的に見て把握できるようにもなってきてる。本当に牛歩の歩みやけど少しずつ変化して成長(と捉えて良いのかはわからないが)はしているのかもしれない。

特にHSPやアダルトチルドレンっていうものを知ったことは自分にとって大きかったのかもしれない。それまでは「自分はみんなと違って何かおかしいんや」ってなんとなく思ってたけどHSPを知ってからは「同じように悩んでる人がいるんや!しかも少なくないんや!」って感じられてほんの少し心が軽くなったことを覚えてる。

だからって世界が急に明るくなるわけでもない。


できることなら机の下に潜っていたい、布団の中で丸まっていたいっていつも考えてる。
人と会わずに森の中とか川辺でのんびりしたいって願ってる。
たまに本当に心から安心できる友人数人と会えたら嬉しい。
好きな人の大きな胸の中でぬくもりを感じながら眠りたい。


10時間以上飛行機に乗ってきた遠い遠い異国の地でもそんなことを考えています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?