「IZUTSU (井筒)」とJoni MitchellのChinese Caféの共通点

「IZUTSU (井筒)」というAyuoの曲のCDがJohn ZornのTzadik Recordsから出ているが、その「IZUTSU (井筒)」では、次のJoni Mitchellの曲のようなストーリーを表現したかった。(英語詞の後に簡単な翻訳を作りました。)詞の3番が重要。この曲には5分間の詞と音だけで、シネマを見るような効果がある。


Chinese Café by Joni Mitchell


Caught in the middle
Carol, we're middle class
We're middle-aged
We were wild in the old days
Birth of rock 'n' roll days
Now your kids are coming up straight
And my child's a stranger
I bore her
But I could not raise her
Nothing lasts for long
Nothing lasts for long
Nothing lasts for long


Down at the Chinese Cafe
We'd be dreaming on our dimes
We'd be playing "Oh my love, my darling"
One more time


Uranium money
Is booming in the old home town now
It's putting up sleek concrete
Tearing the old landmarks down now
Paving over brave little parks
Ripping off Indian land again
How long how long
Short-sighted businessmen
Ah nothing lasts for long
Nothing lasts for long
Nothing lasts for long
Down at the Chinese Cafe
We'd be dreaming on our dimes
We'd be playing "You give your love, so sweetly"
One more time
Christmas is sparkling
Out on Carol's lawn
This girl of my childhood games
With kids nearly grown and gone
Grown so fast
Like the turn of a page
We look like our mothers did now
When we were those kids' age
Nothing lasts for long
Nothing lasts for long
Nothing lasts for long


Down at the Chinese Cafe
We'd be dreaming on our dimes
We'd be playing
"Oh my love, my darling
I've hungered for your touch
A long lonely time
And time goes by so slowly
And time can do so much
Are you still mine?
I need your love
I need your love
God speed your love to me"
(Time goes - where does the time go
I wonder where the time goes)


真ん中に挟まれている私たち。
キャロル、私たちは中流階級。
私たちはもう中年。
ロックンロールが誕生した頃、
私たちはワイルドだった。
でも、あなたの子供達はマジメ、
私は子供を生んだけど、
育てられなかった。
知らない人になってしまった。
何も長く続かなかった。何も長く続かなかった
何も長く続かなかった。何も長く続かなかった。
十円ジュークボックス夢を見ていた
チャイニーズ・カフェで
「Oh my love, my darling」を何度もかけていた。


ウラニウムのお金が
故郷の景気を良くしている
歴史的な建造物を破壊して
細いコンクリートを道に張って行く
小さな公園を舗装して行く
インディアンから土地を盗み続けている
いつまで続くの? いつまで?
先見の明がないビジネスマンたち。
何も長く持たない。何も長く持たない。
何も長く持たない。何も長く持たない。
キャロルの芝生で
クリスマスは輝いている
この幼なじみの女の子には
もう大人になって出て行く子供たちがいる。
あまりにも早かった。
本の1ページをめくる早さだった。
もう私たちは子供の頃の母親の姿にしか見えない。
何も長持ちしない。何も長持ちしない。
何も長持ちしない。何も長持ちしない。
十円ジュークボックス夢を見ていた
チャイニーズ・カフェで
何度もかけていた。


「"Oh my love, my darling
I've hungered for your touch
A long lonely time
And time goes by so slowly
And time can do so much
Are you still mine?
I need your love
I need your love
God speed your love to me"」
(Unchained Melody より)


去ってしまった。
時はいったいどこに行ったのだろうか?


3番目の後半に出てくる曲は、昔のポップスのヒット曲「Unchained Melody」。1980年代では「Ghost」というDemi MoreやWhoopi Goldbergが出ていた映画のテーマとしても使われていた。


Joni Mitchellは、この曲は時間の流れの感じ方のずれについて歌いたかったと語っている。中年になっている幼なじみの友達に会いに行って、「時間があっという間に過ぎて、もう私たちは子供の頃の母親の姿にしか見えない」と語り合う。チャイニーズ・カフェというカフェで昔ジュークボックスで一緒に聴いていた曲が時々流れてくる。その曲では、「時間はゆっくりと進んでいく。時間をたくさんのことに使える」と歌っている。この二つは全く正反対の時間の感じ方を歌っている。目を閉じたまま聴いていると、「今」という時間帯と「過去」のジュークボックスがゴースト(幽霊)のように想像の中で見えてくる。そして幽霊が歌いだす。


詞の1番で歌われる「私は子供を生んだけど、育てられなかった。知らない人になってしまった」はJoniが学生の頃に生んで育てられなくて養子に出してしまった子供のことを歌っている。


この曲は発売される少し前の1980年代前半にラジオで初めて聴いた。その頃から、この詞の表現方法に影響を受けていた。
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「井筒」とは世阿弥の能の芝居だが、狂女物の分類になっている。子供の頃に夫と遊んだ思い出の井戸に主人公の女性が幽霊としてあらわれて歌いながら舞う。


「月やあらぬ。春や昔と詠めしも。何時の頃ぞや。。
(あれはいつの頃のことだったかしら……月を眺めてこんな歌を業平さまが歌に詠んだこともあったわね。でも、今の月は昔の月よ、業平さまと見た月よ、そうよね、あの頃をもう一度……)


(「あの人が、私に、詠んでくれた歌……)


筒井筒
井筒にかけし
まろがたけ
生ひにけらしな
老いにけるぞや
(生いもしたけど、老いもしたわね…)


さながら見みえし。昔男の。冠直衣ハ。女とも見えず。男なりけり。業平の面影「まるで、その昔に契りを交わした昔男こと業平、在りし日のそのままの姿。男物の冠直衣を身に着けた姿は全く女の姿とは思えない、男姿そのもの。業平の面影を映しています。


「見ればなつかしや
「なんて懐かしい…」そう呟いて、彼女は泣きくずれる。そして夜が明けると幽霊の女性は夢の終わりのようにきえて行く。
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この曲と同じテーマは、Ayuoの作品にいくつもある。「井筒」では桜井真樹子さんが伝統的な声明の歌う方で歌っている。僕の方では特に「日本の古典」をテーマにしたかったわけではなかった。アメリカの作家ポーや、それに影響を受けた戦後の日本の作家達も似ているテーマで書いている。もしかすると、それは自分の人生で突然の予想が出来なかった展開があったからかもしれない。ニューヨークで学校に行っていた「自分」と両親の離婚で日本に住むしかなくなったAyuoとの違いが大き過ぎた。考えている言語や触れている文化が全く違う上に同じ家族もいない状況は分裂病的な効果を生む。それは過去の「自分」と日本で見られている「自分」。コミュニケーションのとり方も違ってくる。そしてアイデンティティというのが大きな問題になる。作家のラシュディーやイアン・ブルマは、こうしたあいまいになったアイデンティティを持ってしまった人がアルカイダ、イスラム国や過激な政治テロリスト集団に誘われやすいと書いている。そういう危険性は僕も見ている。


三島由紀夫や安部公募の世代には、第二次大戦争と戦後という大きな人生の分かれ道があったことが、その人たちのアイデンティティと文化的なアイデンティティに影響を与えていると思う。この数日間、Joni Mitchellの曲を聴きながら、「砂の女」や「他人の顔」の小説を読んでいた。これらの小説は「箱男」と「燃えつきた地図」と共にアイデンティティの問題が中心になっている。安部公房のこうした作品は今や西欧の古典となっている。小説と勅使河原宏監督の映画化に影響を受けた人たちにはタルコフスキーやデヴィッド・ミッチェル(Cloud Atlas, Matrix)などもいる。そして、今の時代で再び重要な問題を語っている作品だと語る人々が増えている。


私は今年で還暦になる。こないだ、ニューヨークの中学生の同級生について書いてから、何人かの当時の同級生からフェイスブックから友人リクエストがあったりした。還暦になるとスポーツクラブもシニアの割引になったりする。あと5年で完全にシニア扱いになる。子供の頃の写真を送ってくれた人にこの歌詞で歌われているように「いまや、昔のあなたの父親にそっくりになったね。これが本当に今のあなた?」と書いて返信した。返事が来なかった。僕も書くことを気をつけた方が良いかもしれないと思った。


12歳の時に、最後に目にかかった人は自分の頭の中ではいつまでも12歳である。相手がデブオヤジになっている場合は、写真の顔を覗き込みながら過去の顔を想像している。この年齢になると、特にJoni Mitchellの歌のように「時はどこに去ったの?」と思っている人が多いと思う。しかし、この幽霊の歌う歌は美しい!皆さんも共感するだろうか?


Chinese Cafe / Unchained Melody


https://www.youtube.com/watch?v=V194oJnyKII

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