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はじめてのグローバル企業勤め

2011年3月11日の出来事をきっかけに
改めて不動産会社にこのまま勤めるのが自分の希望なのかを問い始めました。

英語力を活かすこと自体はできていたけど、不動産業界の閉鎖的な感じを好むことはできなかったし、やはり日本企業や風習に無理やり合わせているところが多かった。

当時は転職活動が全くわからなかったし、相談相手もいなかったから、いきなり辞めるて、活動に集中するという決断をした。
性格上マルチタスクは得意ではないのし、仕事を疎かにしたくないという正義感もあった。
今となってはかなりの勇気だなと思うし、今ならもっと賢く周りから情報得ながら進めるなと思う。
そう考えるだけどで、自分も成長してるなと思っている。

2年弱の営業経験と英語力をメインアピールとして転職活動に挑んだが、思ったほど多くの企業と面接する縁はなく、決まらない焦りばかりが募った。
今振り返ると当時自分自身のスキルの棚卸しと希望業界/職種研究が全くできていなかった。
その状態で応募やエージェントと話していたため、思ったよりもこれっといった企業の紹介もほとんどなかった。
エージェントのヒアリングスキルや紹介スキルのこともあるだろうけど、まずは転職する自分が何を求めて、どのような会社で、どう活躍したいか、できるか、価値提供できるか、が全くわかっていなかったので結果的に惨敗感は否めない。

結果的に日系企業ではあるものの世界にいくつか拠点やパートナーを持つオンラインマーケティングリサーチ企業でインサイドセールスとして採用が決まった。
正直当時「マーケティング?」「リサーチ?」というレベルで社長から研修がてらに渡された本を読んでも理解がさっぱりできなかった。
だからこそ、仕事をしながら覚えて、実行して、調整しての毎日だった。
幸いにもオフィス内には複数名外国籍の方などもいたし、他国やパートナーとのやり取りで英語を使う機会も多かったので、英語力を無駄にすることなく仕事できたのはよかった。

元々ベンチャー企業だったこともあり、初期のトレーニング含めてフォローが手厚いとは言えなかった。自分も性格柄「わかりません」とは大きな声で言えないので、不安や疑問を溜め込むことも多々あった。
結果的にこれらの点が一つのプロジェクト担当することで一気に悪い方向に状況を進めることになった。
社長やパートナーの方が設計していた内容を担保できるか調べる担当で、各国ベンダーと調整していた。時差もあったが、何よりもわからないこと、知らないことを相談する相手や時間がなく、1人で考え込む時間が増え、結果的に残業時間が増えた。深夜遅くまでオフィスにいたため家までタクシーということも何度かあった。
当時社内にも社外にもこの件で不安があることを相談する相手もいなくて、丁寧にフォロー入れてくれる方も特にいなかった。
もちろん、「それくらい自分で考えて周りにアプローチしろよ」って言われそうだけど、それが容易にできるなら、当時あんな形で残業はしていなかったと思う。

このプロジェクトで無理がたたったこともあり、この企業を1年未満で辞めることになった。

今振り返るとどれだけ日々のメンバーへのチェックインや声かけ、その声のかけ方が大事かと考えさせられる。
今自身がマネジャーとして相手に接する際にも、相手の立場に立つことができるのもこういった経験のおかげかも知れない。

与えられた仕事ができるのは当然と思う人もいるかもしれないが、全員が同じようにできるのであれば誰も苦労するはずはない。
自分の「普通」や「当然」を相手へ押し付けるのは良くない。
人それぞれ違った価値観や考え方があるからこそ社会や企業が豊かになるのだから。






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