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忘却の功罪-カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』

ブッカー賞にノーベル文学賞と、錚々たる受賞歴を持つカズオ・イシグロ。その作品はいつもリアリズム的日常を描くようでいながら少しずつ現実からずれた位相に移行していき、深く人間の内面を照らす。その意味では本作は最初からある種のファンタジーである点で非現実的要素があることがわかりやすく、その分テーマもすぐ見えてくる。『忘れられた巨人』とタイトルにある通り、この作品では"忘却"が非常に大きなテーマとして扱われる。

人に過去を忘れさせる霧が満ちた国で、アクセルとベアトリスという人生も最終盤の老夫婦が息子を探す旅に出る物語。名目は息子探しではあるが、実際はこれは過去を探す旅だ。霧の影響で息子のことですら断片的にしか記憶がない老夫婦は、実際には息子という名の過去を、2人の共通の思い出や記憶を探していく。

それが鮮明になるのは旅に出てすぐ、島への渡し守である船頭と出会った時だ。船頭によればその島へ渡ったものは例え恋仲や夫婦であっても皆別々に別れて1人で過ごす。だが真の愛に固く結ばれたものであれば例外的に島でも2人で暮らせるという。その真の愛に結ばれた2人であるかどうかを問う質問が、「2人の一番大切な記憶は何か」というものだというのだ。それを聞いて以降のベアトリスは静かにではあるがある種の恐怖に取り憑かれる。必ず過去を取り戻さなければならないという強迫観念的な恐怖だ。忘却の霧に覆われて過去を思い出せない自分に、どうして一番大切な思い出を語ることができようか。その恐怖は彼女の心をもうひとつの霧のように覆い、その先の行動に影響していく。ここに明確にこの物語は息子以上に過去を探す物語となった。

そして物語の序盤ではそれは見えてこないが、読み進めていくうちにこの話は実はアーサー王伝説のその後を描いたものだということが見えてくる。アーサー王の統治の下平和な世が訪れ、王は既に亡くその騎士も既に老いた時代の物語。忘却の霧の正体が明らかになるにつれ、そのアーサー王がもたらした平和の欺瞞が滲み出てくる。ここにも"忘却"が深く関わってくる。

2人の共通の思い出や息子のことを忘れるのは不幸せだろうか?2人の間に流れた不和を忘れることは傷を癒す一助になるのだろうか?怨恨を忘れることは悲しみか?怨恨を忘却した果てに築かれた平和は偽物か?取り戻した記憶の先にあるものが戦や不和でしかないのであれば、忘却にも意味があるのでは...?忘却で失う思いもあれば、それにより癒える傷もある。憎しみを忘れることでのみ、もたらされる平和がある。過去に生きることが幸せか、今だけを見ることが幸せか。これは幻想譚の中で忘却の功罪を深く人生に問いかける物語。

アーサー王伝説を下敷きにしたファンタジーとリアリズム的純文学の融合であるこの物語は、『指輪物語』もそうだったように冒険が始まり物語が動き出すまでが盛り上がらない。はっきり言うとつまらない。かなり読み進めないとこの物語がアーサー王伝説のその先を描いてることすらわからない。が、一度冒険が始まると息を呑む幻想譚と人生の深みをのぞく文学性が花開き一気に読み進められる。その意味ではこの物語の序盤は登場人物たちの記憶のみならず、その物語の全容すらも記憶を妨げる忘却の霧の中に包まれている。その霧が少しずつ晴れていく謎解きのような一面もまた面白さだ。

ラストシーン、霧が晴れた後老夫婦の間に取り戻された記憶、思い出は2人に何を与え、何を失わせたのだろうか。いい記憶ばかりではない、孤独や苦しみの記憶をもすべて改めて受け止めたあの2人の関係に起きた変化はいったい何だったのだろうか。2人が渡ろうとした島は彼岸を表していることは明らかだ。では、あの愛を確かめ合うかのような会話の後のラストシーンは何を意味するのか。あれはハッピーエンドなのだろうか?読了後自分はまた忘却の霧に包まれてしまったような気分になった。最後まで、忘却の意味を、過去を背負うことの重みを、沈黙の中で考えさせられる物語。忘れるということは、もしかしたら赦すということと同義なのかもしれない。それは欺瞞なのだろうか...?


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