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こだわりのカフェが消費する「場所」

三連休の最終日、カフェ巡りが好きな妻に付き添ってカフェに行ってきた。自分自身は美味しいコーヒーは好きだけど、いいカフェを探して回るほどではなく、若い頃は静かで雰囲気のいいカフェでゆっくり読書も楽しんでいたことはあったけど、子供が生まれて以来それはそれで一人であまりゆっくりしてると落ち着かないこともあり、一人ではそういうカフェからは足が遠のいている。

今日行ったところは自宅から車で20分ほど。幹線道路からわずかに入って、閑静というよりは侘しいといった方がいいような地方都市の外れの住宅街とその隣に広がる広大な水田地帯の狭間に、溶け込んでいるようででも明らかに異質な上品さをもってそのカフェは立ち現れていた。白い壁に木の柱が組まれた、洋風のロッジのようなカフェ。少し床を高い位置に上げたその店内には階段を数段登って入っていく。中に入るとまずふわっとコーヒーの香りに包まれる。木製のカウンターキッチンにはマスター1人。店内のあらゆるスペースには大小の観葉植物が置かれ、雰囲気を壊さない静かな音楽が控えめな音量で流されている。こだわりのコーヒーを一杯一杯丁寧にドリップしていく人のよさそうなマスターと、小声でしかおしゃべりをしない静けさをわきまえた客層。高い天井では木の羽根を持った扇風機がゆっくりと回っている。まさに絵に描いたようなお洒落なこだわりのカフェ。

その中で他のカフェと違って何よりも目に付くのが窓に向かったカウンター席だった。通常の窓と比べて高さも1.5倍、幅は倍もあろうかという大きな窓が、目の前の水田の風景に向かって広がっている。明らかに眼前に広がる広大な田園風景を店の景色の一部として取り込むことを意識した作り。なるほど幹線道路からわざわざ少し中に入ったところに店を構えたわけがわかった。この田園風景を店のイメージの一部として使いたかったわけだ。その大きな窓に向かったカウンター席に座れば、四季折々の田園風景を眺めながら美味しいコーヒーを堪能できる。今年は記録的な小雪で風景は逆に剥き出しの土で寒々としているけれど、いつもの冬には雪に覆われた水田が白いモノトーンの中に眠っていることだろう。春になればトラクターにその土が柔らかく砕かれて引っくり返されていく様が、GW過ぎからは田植が終わったばかりの水面からちょこんと頭をのぞかせるまだ小さな苗達が見られるだろうし、夏にはその苗が大きくなって青々と伸び、まぶしい日差しの中風に揺れる様が、秋には黄金色の穂を実らせた稲が首を垂れるその姿が、そこからはよく見えるに違いない。このカフェは目の前の景色を店の商品価値として組み込むことで、美味しいコーヒーだけでなくその風景をも価値の一部として提供している。

このカフェの居心地のいい空間で美味しいコーヒーを堪能しながら、ジョン・アーリの論を思い出していた。

第一に、場所がしだいに、商品およびサービスの比較、評価、購入、使用のためのコンテクストを提供するような消費の中心地として再構築されてきているという点。第二に、ある意味で場所それじたいが---とりわけ視覚的に---消費されているという点。このとき特に重要なのが、訪問客および地元民にたいするさまざまな消費者サービスの供給である。

このカフェは、まさに上述したようなアーリの論を体現しているのではないだろうか。目の前に広がる田園風景を、カフェとしてその店自体が比較、評価、購入、使用のためのコンテクストとして働くよう再構築している。水田という本来は米を育てるための農業の仕事場に過ぎないその場所を、カフェに溶け込む田園風景として利用し、消費する。訪れる客は観光者としてのまなざしでその農業の現場であるはずの田園風景を眺める。目の前に広がる水田は観光客を受け入れることを前提とした観光園ではなく、通常のただ生産をするためだけの水田だ。それでもそこを訪れる客はその風景を観光のまなざしで消費する。

もしかして、そうした農業と観光という産業の二重化が、閉塞した新潟の農業と地域経済を活性化する鍵の一つなのかもしれないなと思った。片方はただ農業をしている。片方はカフェといったサービス業をしている。でも両者は非常に緩いつながりで利用し合い、お互いの価値を高めることができる。訪れる人が増えれば、農業もまたアピールし、販売する機会が増える。言うほど簡単ではないだろうし、これだけで今の閉塞感を打ち破れるわけではないだろうけど、一つの方策としては面白いのではないかなと感じた。

なおこちらのカフェ、風景や雰囲気だけでなくマスターが丁寧にドリップしてくれるコーヒーも非常に美味しかった。香りを立てて浅煎り~中煎りの豆を苦みをあまり出さないで抽出する入れ方は最近の流行なのか、苦みを強くすると消えてしまうような繊細な甘みや酸味がしっかり感じられて、コーヒーの果実味、ジューシーさが堪能できる美味しいコーヒーだった。田園風景を眺めつつこの魅力的なコーヒーで気持ちを落ち着けて、ゆっくりと流れる時を楽しむことは確かに贅沢な午後の過ごし方なのかもしれない。

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