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「しょうがない」で自分を抑える

この間のお出かけといい、昨日の紙タバコが吸いたくなったことといい、なんとなく軽躁状態に傾いている気がします。
マニキュアも塗っては気に入らず除光液で落としてまた塗り直す、というのを繰り返しているし、どこかへ出かけたい欲も高まる一方。

そして気づいたのですが、わたしはうつの時の方がテーブルの上や棚にある物が、綺麗に並んでいないと余計ダメみたいで、リモコンの位置、ティッシュの位置、ゴミ箱の位置、全てを真っ直ぐに置きます。
それが今、ぐっちゃぐちゃ。出したものは出しっぱなし。パンツも脱ぎっぱなし。ランチョンマットの上にパンくずが少々。
普通は逆なのかもしれませんが、どうやらわたしはそうなるみたいです。
服も脱ぎっぱなしで転がっています。
そして声が大きくなり、早足。
こうしていつもと違うことを書き出してみると、やっぱり軽躁状態なんだろうな。

でも、ご機嫌ってことと何が違うんだろう。
楽しいね!って思うことにも一旦ブレーキをかけてみないとまた間違えてしまうかもしれないって少し不安になるのは、これからずっと付き合っていくことです。
ハッピーで間違えるなんて、去年の今頃はそんなこと思ったこともありませんでした。

もし、今働いていたら、やっぱり散々なことになっているのでしょうか。
だけど働きたい。これは罪悪感からではなく、単純に人と関わりたい。
・・・ほらこれだ。あんなに人と関わるのが怖いって言っていたのに。
感情なんて複雑で、自分のことが1番分からないよー。

「大人しく」しています。
おとなしくを漢字にすると「大人しく」。
大人って、おとなしくすることなのかい?

まぁいいや。次の通院で先生に言えばいい。あとは頼んだ、S先生!まるなげ〜。

前は「しょうがない」っていう言葉は、一種の諦めの言葉だと思っていました。
でも今は「しょうがない」にとても救われています。わたしの中で前向きな言葉になった。
もしかしたら、世の中のこと全てが「しょうがない」で片付けられるんじゃないの?って思う時もあります。
ポジにでもネガにでもなる、不思議な言葉だなー。

似た言葉で「しょうもない」がありますね。
まず何が違うかって、言う時の表情。
「しょうがない」←微笑みに近い。
「しょうもない」←無表情。
たった一文字違うだけで全然変わるから、そういうところが面白いんですよね。

言葉は強いって思います。
他人に対しての激しい愚痴、怒り。自然と言葉遣いも荒くなる。
汚い言葉を使うことで、ストレスを発散していた時もありました。
でも言葉は自分に返ってくるってやっと気づいたのが、双極性と診断されてから。
今までの発言の自己責任を一気に取らなければいけないような状況でした。
本当にそのまま丸々自分に返ってきた。自業自得?因果応報?・・・弱肉強食?いやこれは違った。

言霊ってよく言ったものですね。スピリチュアル的なものにアレルギーがある人もいらっしゃると思いますが、自制するための「言霊」。わたしはそう思っています。

褒め言葉はどんどん使いたいけどね!
良いなと思ったら、すぐに言っちゃう。どんなことでも。そこはこれからも、前のめりでいくつもりです。
人のいいところを見つけるのが得意って自分で思ってるんだけど、自信持っていいと思う。

noteでみなさんの記事をたくさん読んでは、この人のこういうところがいいな、好きだなって思う瞬間がたくさんあって、素敵なほんわかを頂いています。
ただ、文字だけのやりとりって顔が見えないからちょっと難しい。素直に良いなって思ったことを書いても、相手にとっては嫌な言葉かもしれないし。わたし心配性だし。

わたしはこれからも「しょうがない」と共に、暮らしていくんでしょうね。
ニコニコの「しょうがない」。
なんだーやっぱり良い言葉じゃん。

ということで、S先生、あとは任せた!