観察「距離感」

距離感。距離感って大事ですよね。
わたしはこれがうまく取れなくて、窮屈になります。
距離感とか空気感ってなに?
見えないものを駆使して、そんなに他人のために尽くさなきゃいけないの?
・・・そうです。残念ながら、そうなのです。
時々とても嫌になります。でも1人で生きていけるわけがないし、その見えないものが優しさに繋がるとするならば、せめて見ようと努力はしたい。

その距離感なのですが、自分のことを棚に上げさせて頂いて、周りを観察するといろんな距離感があって、面白いですよね。

先日、いつものように川沿いを散歩していると、道から一つ下がった土手沿いのテトラポッドの上に、熟年夫婦が2人座っていました。
その2人の距離。絶妙。なんとも絶妙。
ソーシャルディスタンスが取れるか取れないかのギリギリの距離。
わたしにはその距離が、2人の照れや気まずさ、そして冒険心を感じました。

「天気がいいから、たまには散歩でも行ってみる?」
「・・・うん。たまには」
「じゃあ行こうか」
「テトラポッドがあるけど、座って休憩する?」
「うん、しようか」
「・・・」
「・・・」

という会話を想像してしまう距離なわけです。
お父さんスマホいじってるし。お母さん静かに川を眺めてるし。
家に帰ってから、大学生の一人娘に、
「えっ!2人で散歩に行ってきたんだ。へー・・・」
と言われそう。
完全な妄想。楽しい。

そのまましばらく歩くと、同じく土手で今度は人が集まっているのです。
珍しい鳥でもいるのかと上から眺めてみると、どうやら小学生の男の子たちの野球のボールが、川に落ちてしまったようで。
グローブを持っている男の子4人が途方に暮れている周りに、おじいちゃんとおばあちゃんがわらわらと集まっているのです。

「うーん、手を伸ばしてもあと少しで届かないね」
「よし、枝を探して来よう、枝を」
「枝じゃダメよ、もっと遠くに行っちゃうわよ」
「いや、やってみよう。枝を探してくる」
「虫取り網みたいなものがあるといいんだけど・・・」

交わされるそのやりとり。男の子たちそっちのけで盛り上がっているのです。
面白そうなことやってるな!っていう雰囲気で、上からそれを見ているおじいちゃん達も多数。
どんどん集まってくるおじいちゃんとおばあちゃんに、戸惑いを感じている男の子達の表情。
こうやってグイグイくる近所の高齢の方々の距離感、嫌いじゃないです。
その後、ボールが取れたかどうかは分かりません。

自分の腕を伸ばして、グルッと回転させた範囲がパーソナルスペースでしたっけ。
そこに他人が入ると不快感を感じるんですよね。
じゃあタコのパーソナルスペースはけっこう広いな。

たまに近い人いません?彼氏か!って思うほどの近さ。
わたしの対処法は、逃げる。