見出し画像

未完成の楽しさもあるはず

洗濯洗剤をボトルに詰め替えようとキャップを回したら、そこから勢いよく飛び出してきた小さなシャボン玉2つ。おそらく親子。
ポヨポヨと漂って、パチンと消えちゃいました。

シャボン玉とか線香花火って、あの儚さがいいですよね。好き。
特に夏の終わりの線香花火なんて、儚さ第一位だと思います。

小さい頃に遊んだことのある、消えないシャボン玉。駄菓子コーナーによく売ってたアレです。
今でもあるのかな。モノに触れない限りずーっとシャボンしてるんですよね。
わたしはそれを見ながら、消えないシャボン玉なんて夢のようだ!と思っていましたが、遊び慣れてくるとなかなか割れなくてしつこいなって若干の苛立ちを感じるようになり、それから遊ばなくなりました。

シャボン玉は割れるから良い。割れないなんて違和感しかない。

線香花火は限界までパチパチ膨らんで、あの盛り上がりの最高潮でポトンと地面に落ちますよね。
そして辺りが闇に包まれるあの感じ。
もうお遊びは終わりです、現実に帰りましょうと言われているようで儚い。

線香花火がバチバチしてる時はただの余興で、地面に落ちる瞬間が本領発揮だと思います。

外食する時、メニューを選んでいる時が1番の盛り上がりだと思うんですよ。
注文して料理が運ばれてきて、食べ始めたらもう後は終わりに向かうだけなのです。
完食した時の儚さ。あーぁ、食べ終わっちゃった。帰ろっか、と席を立った時なんて一種の地獄の始まりのように思えます。

美味しい思いしただろ?そろそろ戻ろうかここへって閻魔様に言われているよう。そして下される審判。

家でご飯だったら、そのあと洗い物をして片付けて、ピカピカになったキッチンを見ると、免罪符を頂いた気持ちになります。
ここまでやったのか?よし、まだここに来るのは早いようだなって閻魔様に言われているよう。

後半、閻魔様とのやり取りの話になってしまいましたが、この感覚、分かる人いると思うんですがどうでしょうか。
儚さって要するに現実逃避が終わった瞬間。そしてわたしは現実を地獄だと思っているんだなって気づきました。
そんなことないんだけどな。でも天国なんてないでしょ、とは思う。


わたしは作ったものを完成させることができないのです。
幼稚園の頃に描いていたスケッチブックを見てみると、全ページ未完成。小・中・高と美術の課題を完成させたこともほぼありません。未完成のものを提出。いつもそうでした。

描いている時、作っている時が1番楽しいですよね。完成させるとその時間が終わっちゃいますもん。それは儚いでしょ?わたしはゴールすると達成感より儚さを感じます。

陸上部の頃は練習がキツくて早くゴールしたかったけど。

いつかおばあちゃんになって、看取られる時には、完成したって思うのか儚いなって思うのか、どっちなんだろう。
せめて最後の最後には「完成したー!」って閻魔様とハイタッチしたい。