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そのいらないレールをわたしに下さいよ

『生きてるっていいな』
『どこかへお出かけしたい』
『新しい服が欲しいな』
『どこかで美味しいもの食べたい』
『お金使いたい!』

これが今日のわたしでした。
1日中ソワソワ落ち着かず、頭の中はお花畑。見事にちょうちょも飛んでました。
躁状態、なのでしょうね。

お花畑の中でも土の中にある根っこの部分で「これじゃダメだ、落ち着かないと」って思っている自分もいるんです。今はまだ同時進行。ひどい時には根っこがない状態で花だけ咲きます。
嫌だな。冷静になろう。

『楽感的思考には判断ミスがつきもの』
わたしのiPhoneのメモに書いてありました。
海外ドラマだったかなんだったか、出どころはもう忘れてしまったのですが、気になった言葉をメモするのが好きなので、よくこういった文が残されています。
確か、悪者っぽい人が言っていた気がする。海外ドラマかな?

悪いヤツのセリフなのですが、わたしはちょっと共感するんですよね。
これは躁状態=楽感的思考ということを言っているのではなく、普段の生活の中で、そう思いながら動いていることが多いんです。
わたしの場合は極端にマイナスになりがちなのですが「まぁ大丈夫じゃない?」っていう余裕が持てません。
なので思い返してみると「大丈夫じゃない?」って言葉、ほとんど使ったことないですね。

まさに石橋を叩いて渡るタイプで、些細なことへの応用ができないから、最悪の事態を想定しながら行動しているんです。
それは何かきっかけがあったわけではなく、生まれながらに持った考えだと思います。子供の頃からそうでした。

算数の宿題で解けない問題が一問あって、泣きわめきながら大パニックになったことがあります。その時の焦った気持ちは、今でもくっきり覚えています。

ものすごく心配性なのも、最悪の事態を事前に防ぎたいからなのでしょう。
その割に防災グッズは中途半端な用意になっていますが。その線引きが自分でも分からん。

「間に合わない」「このままじゃひどいことになる」「どうしよう」
これです。1番よく考えていることは。
根底にあるので、躁状態になるとますますソコが突っ走るわけです。
爪楊枝でチョンと突かれただけなのに、アイスピックで心臓を突かれたように感じてしまい、その感覚は自分だけじゃなく、周りの人もそうだと錯覚します。

だからそうなる前に防ぎたい、自分に対しても周りに対しても。判断ミスをしたくない。不安でしょうがないから。
わたしがここまで考えているのに、なんでみんな呑気なの?!それがやがて攻撃性につながっていきます。

鬱の時の方が、周りはわたしを1番扱いやすいかもしれませんね。大人しくシュンとしてるし。

双極性障害は持って生まれたもの。そんな声を時々耳にしますが、わたしはそうなりやすい気質だったんだと思います。
つじつまが合っちゃうもんな。どう考えても。
たまにこういうこと考えないと、忘れちゃう。

男と女で人々を区別しようとするのが無理なのと同じで、楽観的、悲観的なんていうたった2つで区別することも不可能だと思うし、複雑に絡み合ってこそ、一個人ができあがっていると思うんですけどね。

わたしは中身が空っぽなだけに、自分はなんなんだという疑問がよくよぎるので、その正解を出すために、自分を何かに当てはめようとしているみたいです。
そんなことしても意味ないのに、わたしは女で悲観的で・・・という風に枠に収まりたいんだと思います。安心、のためなのかな。

敷かれたレールを生きていくのはもう嫌なんだ!、とイケメンが叫ぶシーンがよくありますが、わたしはむしろレールを敷いて欲しいよ。
男と女、楽観的悲観的、躁と鬱、健康不健康・・・。多々ある分岐点で神様にでもスイッチングしてもらって、自分が何者なのかレールの方向を教えて欲しい。

未来は自分の手で切り開くんだ!!なんて今誰かに言われたら、全力で後ろから膝カックンすると思います。
「うぉわ!」って崩れ落ちる様が思い浮かぶぜ。へへ。