見出し画像

お薬を飲むことを、もう少し信じて欲しい

黒蜜さんのこの記事を読んで、わたしもいろいろ考えていたことがあります。

お薬との付き合い方、そして周りの人たちへの理解ってなかなか難しいことだと思うんですよね。

診断されてすぐの頃、同じ職場で信頼している人たちにカミングアウトしました。
みんな心配してくれて、とっても嬉しかったし、優しさが身に染みることもたくさんありました。

でも、服薬へのイメージはとても悪かった。

「薬飲まない方がいいよ」ってダイレクトに言われたこともあります。
依存症などを心配してくれての優しさだったとは思いますが、言われてとても落ち込んだことを覚えています。
辛いから病院に行って、症状を楽にするための服薬なのに、そこを否定されてしまうと心の逃げ場がなくなり、辛いままでこの生活を続けていかなければいけないのかって悲しくなったんですよね。

お薬にお願いすることもできず、辛いままこの生活を続けていかなければいけないのか。
しんどいことを隠しながら隠しながら、誤魔化しながら毎日過ごさなきゃいけないのか。
どこに助けて欲しいって言えばいいのか。
そもそも、助けを求めること自体が間違っているのか。

そして思い出したんです。
その人が前に「昔メンヘラと付き合ってて大変な目にあったんだよね」って言っていたこと。
(その人はとても心配性の、とても優しい人ですよ!)

わたしはなにを持ってメンヘラと呼ぶのか分かりませんし、その呼び方には悪意しか感じられないので、好きな言葉ではありません。
でも、もしメンヘラということが、精神疾患を持っている方たちのことを言うのなら、こんなに残酷な言葉はないと思っているし、よくその言葉をチョイスできるなって人間性を疑います。そしてその言葉が悪いイメージを持たせている原因の一つでもあるんじゃないかな。

お薬を飲まなくても済むのなら、飲みたくないです。
だけど自分を守る盾でもあるし、時にはお守りにもなります。飲まずとも持っているだけで、緊急時の綱渡りがガッチリした橋にもなるんです。

黒蜜さんもおっしゃっていたように、鎮痛剤や風邪薬となにが違うのか、わたしもずーっと思っています。

依存症なんて、周りがどうのこうの言うよりも、自分が一番怖さを感じていますよ。
だからきちんと病院に通うし、自分で判断せずに言われた通りの用法・容量を守っているのです(一度勝手に断薬してひどい目に合いましたが・・・)。

わたしは一人暮らしなので、もし何かあった時に発見が遅れて大事に至るかもしれない。でもそれは、精神疾患に限らず、一人暮らししている全ての人に当てはまることであって、そして胃腸薬や風邪薬、鎮痛剤だってみんな辛い時には飲みますよね。
バファリンの半分は優しさだよーって冗談で言うけど、そんなわけないじゃん。同じ薬。

女の子に限定されてしまうけど、生理痛で痛い痛いって言ってる子への鎮痛剤、自分が持っていたらすぐにあげますよね。一瞬で生まれるその連帯感を知っていますよね。
それは自分がその辛さを知っているからです。

痛みに対する想像力は、みんな経験者だから働きます。
ですが、精神疾患での辛さは、みんな経験したことがないからなかなか想像できない。
そしてテレビやニュースではネガティブなイメージしか流れない。
だってドラマで、失恋して自殺未遂をする女の子のシーンに、錠剤が落ちている時、ありますよね。薬=死、にしないで欲しい。

この辛さ分かってよ!なんてことは思いません。ただ、もう少し認めてあげてもいいんじゃないかなって思います。もう少し信じて欲しい。

死ぬために飲んでいるわけではなく、生きるために飲んでいるんです。
そんな当たり前のことを、堂々と言えないのが辛いところ。

綾瀬は○かとか石原○とみとか、かわいいウルルンってしている子たちがCMしてくんないかな。
おしゃれなオフィスで「辛い時にはラミクタール!甘くてみんなの味方だよ!」とか。
それか菅田○暉とか小○旬とか、シュッとしたメンズ達がリーゼ片手に「素直に俺に頼ってくれよな」とか。ビューネくんみたいに。

・・・いやこれはダメだな、依存症を誘発しかねないブラック過ぎるジョークでした。ごめんなさい。

そして、依存症も一つの症状だと思っています。
本人が弱いわけじゃない。誰も悪くない。
辛くて、しんどいんです。

何度もここに書いているけど、カウンセリングも含めて、もっと垣根が低くなればいいのにな。
わたしは抗不安薬、抗うつ剤、気分安定薬、睡眠導入剤、ついでに胃薬も飲んでるけど、くだらないことで涙流すほどバカ笑いするし、寝てる間によだれも垂らすし、ついついお菓子いっぱい買っちゃたりして、みんなと同じなんだよ。