フィギュアスケートへの想い
私はとにかくフィギュアスケートが大好きです。
8歳から13歳ごろまで習っていたこともありますが、本当に心の底からフィギュアスケートが大好きなのです。
そんな大好きな思いを心に秘めておくだけではもったいないと感じたので、【フィギュアスケートへの想い】として、筆者のフィギュアスケートへの想いを綴っていきます。
北京オリンピック男子シングルの試合が終わりました、今回も涙した。
選手の皆さんお疲れ様です、そしてありがとうございます!
私とフィギュアスケートの出会い
私がフィギュアスケートに出会ったのは、8歳くらいの時でした。
仲の良かった友人がスケート教室に通っていたため、一緒にスケートリンクに遊びに行ったのがきっかけです。
その時トリノオリンピックや浅田真央選手の影響もあり、世間はちょっとしたスケートブームでした。
初めて行ったときはとにかく楽しくて、私も一緒にスケート教室に通う!と親にお願いして、その数か月後に通い始めました。
スケート教室
大人数で受けるスケート教室はとても楽しかったです。
毎月テストのようなものがあり、それに合格すると上のクラスに行けるシステムになっていて、上級クラスを目指すために必死になって練習していました。
また年齢の違う人たちがスケート教室にいて、小学校の友達とは違う交流ができたので小学生のわたしにとって良い経験になりました。
そして教室に通い始めて半年ほどで上級クラスに入ることができました。
上級クラスではシングルジャンプやスピンの練習もあり、徐々に本格的にスケートの道へ進むことになります。
スケートクラブに所属
スケートに夢中になり、毎週末リンクに通い練習していました。
そこでスケートクラブの先生に声をかけられて、そのクラブに所属することになります。
スケート教室のレッスンとは異なり、個人レッスン、もしくはクラブの友人とグループでレッスンを行うようになります。
幸いスケート教室でシングルジャンプやスピンを習得できたため、ダブルジャンプに挑戦したり、クラブに入ってから一気に上達しました。
そして一通りジャンプが跳べるようになった後、一般滑走の営業時間に行う個人レッスンに加えて、平日の夜営業終わりに行うクラブの貸し切り練習に参加するようになりました。
初めての大会
スケートを初めて1年経ったくらいに、大会に出てみないか?と先生に聞かれて大会に出ることにします。
ちなみに大会に出るには、級が必要になります。(初級~8級まで)
級を取得するにはバッジテストと呼ばれる、テストに参加しなければなりません。
バッジテストでは基本的なスケート技術・ジャンプ・スピン・プログラムの演技を行い、テスト当日に合否が渡されます。
(バッジテストには競技とはまた違った緊張感があります。)
わたしはまだ級を持っていなかったので、その後すぐに初級のバッジテストを受けて合格し、大会にエントリーしました。
大会に出るにはプログラムも必要になります。
ちなみに私は初めてのプログラムということもあり、いくつか先生から曲を提案され、その中の1つ「ドンキホーテ」に決めました。
バレエを昔から習っていて、ドンキホーテが好きだったという理由が大きいです、そのプログラムで振付師さんにプログラムを作ってもらいました
大会までの準備期間はすごく短く半年もなかった気がします。
その間に練習・振付・衣装選びなどしていたので本当にあっという間に過ぎていきました。
そして迎える初めての大会、結果は25人中10位くらい?あまり記憶がありません。笑
6分間練習で跳んだすべてのアクセルを転び、親、先生をヒヤヒヤさせましたが、無事に本番では成功して、私は本番に強いんだとこの時に自負しました。笑
練習に打ち込む日々
初めての大会を終えてからより一層気合いを入れて練習に打ち込み、いつの間にかフィギュアスケートが自分の人生の中心になっていきました。
練習で転ぶと痛いし、冷たいし、怒られて辛いはずなのに、ジャンプが綺麗に跳べたらそれだけで苦しかったことを忘れてしまいます。
そんな風にフィギュアスケートってとっても中毒性があるんです。
その後も大会に出たり、合宿に参加させていただいたりととても有意義な練習生活を送りました。
リンクで練習しない日は陸上練習したり、起きている時間はずっとスケートについて考えていました。
フィギュアスケートとの別れ
クラブをやめることになったのは、中学生になり部活動が忙しくなり週3回の練習に通うのが難しくなったのが大きな要因です。
(私の中学は部活動入部が必須でした。)
家とスケートリンクが近いわけでもなかったため、交通費を含めて経済的負担もかなりあったと思います。
やめたくなかったけれども、やめざるを得ない状態になり、結果としてスケートをやめることになりました。
自然消滅のような感じでやめることになってしまったために、やりたい!と自分の意思も示せず、スケートから自ら離れました。
心から大好きなスケートから離れる日が来るなんてと内心思いつつ、とても辛かったです。
ですが今考えると両親には習らわせてくれたことに感謝しかありません。
フィギュアスケートを辞めてからは、抜け殻のような状態。
部活をしながらも頭のどこかで常にスケートについて考えて悲しくなる、そんな毎日でした。
見かねた両親がこれからは趣味としてスケートを楽しめるようにと、中学3年生の時にスケート靴をプレゼントしてくれました。
(すでにその時は昔の靴はサイズが合わず履けなかったため…)
今でもその靴を使って滑りに行っています、大切な宝物です。
そして部活を引退して以来、少しずつスケートリンクに行ったり、昔のスケートの友人に会ったりと失った時間を取り戻すようになりました。
フィギュアスケートとわたし
ちなみにやめてしまったことがショックで一時期はスケートを見ることも辛かったです、趣味としてスケートを楽しめるようになってからわたしは大のスケートファン、時々スケーターとして毎シーズンを楽しみに生きています。
いまは心からスケートが好き!と両親にいえるし、時間がある日は1日中スケートを見て楽しんでいます。
好きなこと貫けるってとっても幸せなことだなと日々感じています。
なんかフィギュアスケートと私について改めて書いてみると、ロミオとジュリエットみたいですね。笑
一度離れたこともあるからこそ、心から大好きなんだと思います。
そんなわけで私はフィギュアスケートに対して並々ならぬ思いがあります。
今回のオリンピックからも沢山の勇気と元気をもらっています、選手の皆さん本当にありがとうございます。
辛いときに何度も見て力をもらったり、心動かされたり、選手と一緒に涙したり、どんなときもスケートのプログラムと成長してきた感覚があります。
そんな素敵なプログラムを私の想いも少し交えながら、紹介していきたいと思います。
「フィギュアスケートは芸術だ」とは少し趣向を変え、筆者の想いも入れつつ「フィギュアスケートへの想い」を残していきます。
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