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娘達の顔は私の顔を映す鏡

次女が生後8ヶ月になった。親バカ御免。かわいい。とにかくかわいい。何もしてもかわいいのだ。家が揺れるような大音声で、2時間泣き続けるのは勘弁してほしいけれど。
ずりばいを覚え、少しならひとりで座っていられるようになった。離乳食はほぼ軟飯でOK、喃語で日々何かしらしゃべっている。成長著しく、親としてはうれしい限りである。

次女の最大のかわいさは、笑顔だ。どんなに離乳食をぶちまけても、そのせいで部屋中が味噌汁の海になったとしても、私まで全身味噌汁まみれになったとしても、あの笑顔で見つめられると、一瞬で許してしまう。そして、私も笑顔になってしまう。

笑顔は伝染する。次女の写真を撮るのに笑顔がほしいときは、私がにーーっこり笑えばつられて笑ってくれる。

あるとき、ふと気がついた。私は次女に向けるのとおなじくらい、長女に笑いかけているだろうか。長女は日中保育園に通っているから24時間一緒の次女とは過ごす時間が違うけれど、それを差し引いても、長女に笑顔を向ける時間って、どれくらいあるだろうか。

朝の支度時間、夕方お迎えに行ってからの晩ごはん、お風呂、寝かしつけ、長女と一緒にいる大切な時間だ。それなのに、「はやく起きて、ごはん食べよう」、「テレビ消して、お風呂入るよ」、「8時だから、もう寝るよ」。こんな調子で指示するばっかりで、次女にするのとおなじように、長女ににーっこりすることなんて、ないかもしれない。

なぜだろうと考えてみた。思うに、長女には言葉が通じて、次女には通じない、からではないだろうか。言葉が通じるのは、楽だ。言えばわかって動いてくれるし、確実で、はやい。でも、喃語の次女相手ではそうはいかない。言葉が通じない代わりに、「私はあなたの味方ですよ。こわくないですよ。だから安心してね。」と伝えたくて、私は次女に笑顔を向ける。笑顔が、次女との唯一のコミュニケーションツールだからだ。その点、長女に対しては笑顔を向けなくとも、言葉という最高に便利なツールがすべてを解決してくれるから大丈夫、と、勝手に思っていた。でも、そんなわけはない。長女だって、自分に笑いかけてほしいに決まっている。

そういえば、最近の長女は少し元気がなかった。特に体調がわるいわけでもないし、ごはんも食べているけど、そうだ、笑顔が少なかった。私のせいだ。

今日長女のお迎えに行ったら、「ママ、どうしたの?気持ち悪いよ?」と言われるくらい、にっこり見つめてやろう。

笑顔は伝染する。娘達の顔は私の顔を映す鏡。娘達に笑っていてほしいなら、まず私が笑顔でいなくてはいけない。

8ヶ月の次女に、アラサーの私が教わったことだ。

#子どもに教えられたこと #子育て #姉妹ママ

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