カナダに骨を埋めた親戚のはなし

母方のおばあちゃんの妹に、みっちゃんという人がいた。私にとって、大叔母さんにあたる人だ。

みっちゃんは、私が生まれた頃には、すでにカナダに暮らしていた。

50歳を過ぎてから、カナダに移住して、20歳近くも年の離れたボーイフレンドを見つけて、数年前に亡くなるまで、30年以上をカナダのバンクーバーで過ごした。

記憶のなかでは、高校生のとき、一度だけみっちゃんに会ったことがある。夏休みに姉と母と3人で、みっちゃんを尋ねてバンクーバーに旅行で行ったのだ。

当時は海外旅行なんて、親のあとをついていくだけの私だったので、バンクーバーの町の記憶はダウンタウンとスタンレーパークくらいしかなく、公園で画家のお姉さんから小さな絵を買ったことと、からっと爽やかな気候がきもちのいい町だなと思ったことくらいしか覚えていない。

そのとき私たちは、みっちゃんと彼氏のドンちゃんの住むマンションに泊まらせてもらった。日本語と英語がまざったような、みっちゃんの独特の話し方が、わたしはすぐに気に入った。

おばあちゃんくらいの年なので、60歳くらい年上だと思うんだけど、みっちゃんはすごくチャーミングな人だった。

明るくて、よく笑って、ユーモアがあって、さばさばしていて、からっとした太陽のような人だと思った。ドンちゃんとも仲良くて、毎日楽しそうだった。

みっちゃんと過ごしたのはたったの数日だったし、何を話したとかは覚えていないのに、人の印象ってすごい。

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そんなみっちゃんの昔話を母から聞いたのは、
もっとずっと後になってからだったと思う。

みっちゃんは日本にいたころ、長い間、きっと数ヶ月とか数年ではなくて、けっこう長く、家族がいる人とつきあっていた。

そして、その大切な人が病気で亡くなってしまったとき、不倫相手だったみっちゃんは葬儀にもでられなかった。

そんなことがあって、しばらくしてから、旅行で訪れたカナダのバンクーバーを気に入って、移住した。第二の人生をはじめたかったのかもしれない。

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こんな話を姪の母が知っているくらいだから、
きっと家族みんな、少なからずのことは聞いていたんだろう。

それでも、わたしの中のみっちゃんのイメージは、高校生のときに会った時と変わらない。

50歳を過ぎてから、初めて暮らす外国のまちで、
新しい人生を自ら切り拓いたみっちゃん。
それって、なかなか真似できない、とても大胆で勇気のあることだと思う。

日本で真面目に会社員として働いてきたみっちゃんは、カナダでも旅行会社などで働いていたそうだが、老後は年金をカナダで受け取り、カナダに税をおさめて、最期はカナダの老人ホームで亡くなった。

そんな人生があるんだと、20代の半ばで人生に思いっきり迷走していた私は
感動というか、憧れに近い感情を抱いた。

私もどちらかというと、自分の心の向くまま動いてしまうところがあるけれど、それでも、みっちゃんのような大冒険をしたことはないし、いつだって守られている範囲でしか行動をしたことがない。

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「海の近くに住みたかった」と、一昨年の夏ふらっと湘南に越してきた古い知人が、仕事をやめ、沖縄に短期バイトをしに行ったと思ったら、もっとフィーリングが合うと感じたのだろう、湘南の家を早々に引き払って、沖縄に旅立ってしまった。

定職があるわけでも、子どもがいるわけでもない、自由な身だからこそ、さっと動けるものだとは思う。

それでも、すっかり現地に溶け込み、沖縄で友人たちと楽しそうに過ごす彼女は、写真越しにとってもいきいきとしていて、「あぁ、人はこんな風に、自分にとって心地のいい場所を見つけることができるものなんだな」と、なんだかものすごく感動してしまった。

旅するように暮らすのは、決して簡単ではないと思う。
それでも、旅したからこそ出会える景色はある。

友人の近況をインスタグラムで眺めながら、久しぶりにみっちゃんのことを考えた。


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