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こんばんは。 今朝は割と早い時間に起きられました。もう少しパッと布団から 抜け出せれば更に良いんだけど。 寒くなると辛くなりますが、焦らず徐々に体を慣らしていきたいです。 先日、両親が無事に祖母の納骨を済ませました。 これで年忌法要以外は一区切りとなりました。 納骨前夜に仏壇にお参りした際に、祖母のお骨に向けて今の気持ちを 伝えました。 『突き飛ばしてしまってごめんなさい』 『家を追い出してしまってごめんなさい』 祖母に届いたかどうかは分かりません。いつか自分があちら
こんにちは。 昨日の面談での疲れがあったのか、今朝は早めに起きられましたが、 朝食後しばらくしたら強い眠気に襲われました。 顔を洗い直してコーヒーを淹れて、何とか寝ずに耐えました(笑) 昨日は祖母のお骨別れのご回向を行いました。 ご信仰されている宗派によって、色々と異なる点はあるかと思いますが、 ご本山への納骨前に自宅や家族とのお別れの回向となります。 平日でしたので長男・次男は学校へ。 叔母と従姉妹が来てくれました。 短時間でしたがご住職に読経をしていただき、 みんな
こんばんは。 全国的に寒い12月の始まりですね。 急に真冬になると体調管理が難しくて困ります。 今日12月1日は祖母の誕生日です。 もちろん亡くなっていますので、 お祝いはできません。 仏壇にお参りをした際に祖母に 「お誕生日おめでとうございます」と 心の中でお祝いしました。 四十九日法要まであっという間に 過ぎ去ったような気がします。 『いつまでも泣いていたらダメよね』と 叔母が話してくれましたが、 何だか申し訳ない気持ちで一杯でした。 落ち着いてからは家族で少しずつ
こんばんは。 お通夜が無事に終わり、私たちは帰宅。 発達障害を持つ次男も騒ぐことなく 座ってくれて良かったです。 翌日の告別式も無事に出棺へ。 火葬場までは次男も連れて、最後のお別れに。 荼毘に付される直前、みんなで祖母の顔を見た後、 まるで祖母が呼んだかのように次男が1人で近寄り、 顔を覗き込みに行ったのが印象的でした。 きっと次男は祖母が亡くなったことも 理解できていないと思います。 「どうしてそんな中に入ってるのかな」と 感じていたんじゃないかと思います。 父が
こんばんは。 (この辺りの記憶は曖昧なのですが) 参列した親族全員のお焼香が済み、 読経を終えたご住職からお話がありました。 『三途の川を渡り終えたら、広い水面に浮かぶ 蓮の花の上に仏様が座っていらっしゃる。 先に旅立った祖父が蓮の葉の上で座り、 隣の席を空けて待っている。 もちろんそこは祖母の指定席で、 祖母はその席へ座りに行く。 久し振りに夫婦として再開し、 今頃は笑顔でこちらを温かく見守っている。 そんな情景を思い浮かべてください。 もうこの世で会う事は出来ない
こんばんは。 納棺前の和やかな時間を過ごした後、 お通夜の時刻になりました。 私たちも身支度を整えて斎場に向かい、 家族葬のため限られた人数でしたが 親族が集まりました。 お通夜が始まり、父が喪主ですので 両親が最前列で私たちはその後ろに。 ご住職の読経が始まり、順番にお焼香を 進めていきました。 叔母やいとこたちが泣いている中でも 涙を見せずにいる父の背中。 不謹慎な話ですが、祖母が亡くなった今、 次に我が家でお葬式をするとしたら 順番通りなら両親が亡くなった時になり
こんばんは。 仏間に布団を敷いて準備を整え、しばらくすると 葬儀社の方と両親、叔母たちが祖母とともに 自宅に帰ってきました。 玄関までの階段を数人で祖母を持ち上げて入り、 葬儀社の方が 『おかえりなさい』と 祖母に声を掛けてくれました。 宗派により異なる点は多いかと思います。 葬儀社の方から、綿棒のようなものにお水を浸けて、 『唇に当ててあげてください』とご説明があり 父から順番に行いました。自分の番が来た時、 自然と涙が流れ、亡くなった実感が出始め、 悲しみが込み上げて
こんばんは。 祖母の部屋にあった荷物の大半は もう使うことができず、かなりの量を 処分したと思います。 壁紙や天井、家具もヤニ汚れで茶色になり、 タバコと猫の匂いが染みついていました。 入院してから急激に悪化することはなく、 病状は落ち着いていたと思います。 ただ夏は越せないだろうと言われ、 父も覚悟を決めていたそうです。 基本的に両親が面会に行っていました。 私が面会に行ったのは、亡くなる少し前から だったと思います。 食事を摂れなくなり、痩せ細っていきました。 会話
こんばんは。 一時帰宅したお盆からしばらくして、 心筋梗塞の術後経過観察のために 祖母と両親が病院に行きました。 特に問題は無かったそうですが、 主治医からは次の診察予約の際、 「来れるなら来てください」と 言われたそうです。 後で聞かされたことですが、 もうその頃には肺がんにより 次の予約まで持たないのではないかと いうことだったようです。 年が明けてしばらくしてから 祖母は体調を崩して入院しました。 もう退院することはできない、 家に帰ってくることもできないだろうと
こんばんは。 脚の手術後、祖母はリハビリを嫌がりました。 ホーム内でも歩行器を使っていましたが 腕の筋力もどんどん落ちていき、 自分の体を支えられず歩行器でも 何度か転倒していたそうです。 亡くなる前年のお盆に一時帰宅しましたが、 その時は自力で立つことも歩くこともできず、 両親に抱えられながら玄関への階段を 上がってきました。 久し振りに見た祖母の顔。 ホーム入居前の強気な祖母の面影は無く、 一気に老けた気がしました。 仏壇に手を合わせるだけの短時間でした。 両親か
こんばんは。 両親が手続きを進めていき、 予想以上に早く希望するホームが見つかり、 とんとん拍子で入居日が決まりました。 費用は父と私で折半して負担することに。 正直少し辛い金額でしたが 実家住まいで家賃が不要ですし、 家庭崩壊寸前の状態から脱出できるなら、 妻や子どもたちを守るためにも 必要不可欠な出費でした。 入居前夜には祖母と父、叔母の親子3人で 食事に出掛けて行きました。 どんな雰囲気だったとか、どんな話をしたのか、 私は全く知りません。 翌日に祖母は入居し、そ
こんばんは。 今日は祖母の月命日。 今朝お墓参りに行って来ました。 自宅から徒歩で行ける距離なので、 リハビリを兼ねた散歩にちょうど良く、 休職中はできる範囲で 月命日のお参りを心掛けています。 簡単ですが掃除をしてお花を取り換える。 お線香に火を付けて手を合わせ、 今日も無事に目覚められたことに感謝する。 短時間のことですが心が洗われる気がします。 気の強い方だった祖母は認知症により とても攻撃的になりました。 お盆に来てくれた親戚のおじさんに 顔を見るなり怒鳴りだし
こんばんは。 2019年の夏、父方の祖母が肺がんのため 83歳で旅立ちました。 亡くなる少し前には心筋梗塞や大腸がん、 認知症も患いました。 入退院をしながらグループホームで お世話になっていました。 気が強いけれど優しくて いつもお洒落に気を遣い、 颯爽としていた祖母でした。 始めは同居する家族誰もが 認知症に気付きませんでした。 普段から気が強かっただけに、 判断が難しかったのかも知れません。 疑い始めた頃にはかなり進んでいました。 当時は認知症に対して知識が乏しく