わたしが作家になったわけ。藤沢あゆみプロフィール
こんにちは、藤沢あゆみです。
今回は、わたしの自己紹介をしてみたいと思います。
わたしの仕事をひとことで、わかりやすく伝えれば、作家です。
オンラインサロンを運営したり
コンサルティングを行ったりもしていますが
それらは全て、作家になったことによって、実現できていることだと思います。
2003年に初出版して、今年で17年目になりました。
人間、取り組んだ時間が一番長いものがそのひとのパーソナリティーを決めると思います。17年続けている文章を書くこと以上に続けているものはありませんので、文章を書くことが、わたしという人間を作っています。
書籍の中でも、実用書というジャンルの、恋愛、コミュニケーション、人間関係、自己実現、自己啓発などの分野の本を書いています。
わたしが、小説家ではなく、実用書の作家であるということは、物事の考え方が、物心ついたときにはまわりの友だちとは違っていて、そのことで喜ばれたという経験からです。
実は、小学生のときはお話しの本を書こうとして、自分で製本したりして何冊も手作りの本を作っています。
さて、そもそもなぜわたしが作家になり、どんな本よりも恋愛の本をたくさん書いているのか、今回はそんな話をします。
藤沢あゆみ、作家への道
わたしは、10人ひとがいれば9人は振り返るであろう奇病を持って生まれました。
血管腫といい、顔の左側が右側の倍に肥大してしかも赤い色がべったりついている、ホラーのキャラクターのような顔ですから、振り返られても無理はありません。
わたしはどうしたらそんな自分が人気者になれるのかと物心ついたときには考えていました。いまの言葉でいうと、高いセルフイメージを持っていたようです。
あるとき、転機が起こります。
わたしとすれ違った見知らぬ女の子が、わたしを指差し
「あ!」
といいました。
わたしは「また指差されるのかな、イヤだな」と思いました。
ですがそのあとに続く言葉は思いもしないものでした。
「服、かわいいね」
かわいいね……かわいいね……かわいいね……
わたしは何十回も頭の中でリピートしました。
そして自分の一生を決めたと言っても過言ではない気づきをここで得たのです。
どれほど顔が残念でも、他にいいところがあれば、ひとはそっちを見るんだ!
つまり、10人いたら9人に振り返られるとしても、顔以外のことで振り返るひとがそのうちのひとりくらいはいるかもしれないこと。常に、そんな状況をつくればいいのだと。
それこそが、わたしがのちに恋愛作家になるルーツだったと思います。
見た目であれ?と思われる前に、いや、思われたとしてもそこからいかに早くコミュニケーションに持ち込み好感を持たれるか……
わたしは子供の時からこれを研究してきました。
わたしは、自分をかなり客観的に見ていました。
何もしなければ、人気者になれないと自覚し、どうしたらかわいくなくても人気者になれるのか、みんなにとって嫌じゃないのか
具体的に研究し、自分のできる友だちに喜ばれそうなことをひとつづつやっていったのです。子どもの世界のことですから、似顔絵を描く、やさしくする、おしゃれをして身綺麗にする、などなどで、なんと当時から恋愛相談の手紙をもらい、今で言えば三営業日以内に、的確な回答を返していました。
自分がエッチをしたことがない頃から体を許すタイミングなどにビシバシ回答していたのです。
人気者になろうとした、というのも我ながらチャレンジャーですが、そこを目指さないと、いじめられっ子になる、残念な子が陰キャになるとドツボだと思い、陽キャ一択でした。
出会うなり好奇の目にさらされる経験は、恋愛で告白したり、振られたりするのと同様、怖いことです。
わたしはおとなになって恋愛するまでに
「目の前のひとにジャッジされる」ことの場数をかなり踏んでいたのです。
目の前のひとに指を指されるか、受け入れられ、友だちになってもらえるかの真剣勝負。それに比べたら恋愛はあなたでもいいというひとだけとすればいいのですから、子供時代の10人中9人に指を指されることに比べたらチョロいと言えます。
実は、このくだりをブログのプロフィールで読んでくれたNHKのディレクターさんから、Eテレの「ハートネットTV」の出演オファーをいただきました。
顔にダメージがある人間が恋愛の本を20冊以上書いているとなれば、なぜ?とその謎を知りたくもなりますよね。
最初から作家を目指したわけではなかった
そんなわたしですが、最初から作家になれると思ったわけではありません。
noteみたいなものはなく、自分の文章を見せる場所もなければ、コンサルティング業なんてものもありませんでした。
小学生の頃から絵本を作ったり、高校時代、家庭科の課題で作った絵本がある方のご好意で自費出版され、近所の本屋さんで販売されたりしましたが、そんなことが仕事になるとは思っていませんでした。
自分が好きなことの中で仕事になりそうなこと、それは洋服のデザイナーになることでした。
ここにも、自分のルーツが関係しています。
服がかわいかったら、おしゃれだったらひとはそれをみとめてくれる。物心ついたときそんな経験をしたわたしは、必然的に服が好きになったのです。
仕事になることと同時に重要だったのは、有名人になれそうな仕事であるという点でした。
なぜなら、顔が残念な自分は将来結婚できないかもしれないと子供時代のわたしは思い、それでもドキュメンタリーに取り上げられるような有名人になればしあわせになれるかもと考えたのです。
具体的に言えば、母のつきそいでヘアサロンに行った時お店に置いてある、週刊誌で、面白い生き方をしている女性を特集した記事があり、これに乗れるようなひとになればしあわせかもと思ったのです。それには有名人になることが必要かなと。
わたしはデザイナーを志し、大阪のデザイン学校に入学しました。
デザイン画が得意だったわたしは、1年生のときから校内全体のファッションショーに出品する作品が選ばれたりして、学年2位の成績で奨励賞を受けますが
「わたしはここに留まるような人間ではない!東京に出なきゃ!」
鼻息荒く、パリに本校がある、東京にできたばかりのデザイン学校に入学しますが1年で学費が続かず、すごすご実家に戻りました。
実質上、デザイン学校中退ですからなんの社会経験もありません。
母がニットの教室を開いて近所のひとに教えていた関係で、わたしもニットデザイナーを志しました。
今ならインスタに写真をアップすると思いますが、デザイン画を20枚くらい書いて、それに色を塗り、実際に作った作品の写真も撮って、雑誌社に送りました。
数日経ったら、こちらから電話して
「数日前デザイン画を送ったものですが見ていただけましたでしょうか?」
と言います。アポが取れたら、作品をカートに入れて上京、その場で仕事をもらいました。
わたしはこの作戦を「リメンバーミー作戦」と呼んでいました。
かなり強引な手法ですが、こんな方法で仕事が取れていたなんていい時代ですね。
もともとは、高校時代、母がとっていたニット雑誌に、読者からの作品募集があり、わたしのデザイン、母が作品を作った取り上げられたことから味をしめ、これをあらゆる出版社に行えばいいのではないかと思ったのです。
そのほか、近所のひとのニットのオーダーをもらったり、糸メーカーからデザインの依頼をもらったり、ヘアサロンのチラシやポスターの作成を請け負ったりして食いつなぎました。
しかし、田舎ですぐにお得意さんのネタが切れ、企業デザイナーになります。
最終学歴デザイン学校中退ですが、その企業むけのファイルをわざわざ作り、暑苦しいトークでカバー、即戦力と思われる作戦で採用されました。
作家になる決意はドン底から
契約デザイナー、ニットデザイナー、そのほかに、アルバイトを行いました。
3つの仕事を掛け持ち一日3時間睡眠生活で、即死寸前で入院しました。
俳優の石原裕次郎さんが亡くなられた病気、動脈瘤になり、りゅうが心臓に近いところにあったため、息苦しくなり何度も倒れるようになって病院に行くと
「今すぐ手術しないと即死だよ!」と言われたのです。
当時、結婚を考えていましたが、彼が失踪。その上、アルバイトで稼いだ500万円を詐欺にあい、全財産を失い、仕事、恋愛、お金、健康を一気に失いました。
リアルが充実しているひとを「リア充」と言うなら、わたしの場合、人生に必要なものをすべて失った、当時の状況は「リア悲」とでもいいましょうか。
当時わたしは、あまりにもショックで放心状態になっていました。そんなわたしを見ていられなかったのでしょう。両親が誕生日にパソコンをプレゼントしてくれました。
当時のお金で40万円強。人生で一番高額なバースデープレゼントです。
合言葉は「ネットでキャッシュ!」プレッシャーは半端なく、わたしはこの中から仕事を作り出していかなければならないと思いました。
リアルがあまりにも悲惨なので、やったことがないこと、一番自分らしくないことをとネットに可能性を模索。
そのとき浮かんだ言葉が
「社会に顔があるひとになりたい」
でした。
わたしは自分の名前で仕事をできるひとになる決意をします。
といっても、最初に門をたたいたのは出会いサイトでした。
そこでわたしは恋愛相談掲示板を見つけます。
その掲示板で目立つ書き込みをしてサイトマスターさんから、商業サイトの暖簾分けしてもらおうと計画。
バカっぽいけど中身のあることを書くお水のお姉さんと自分をブランディングします。
毎日40件のおなやみに回答していました。
書き込みを始めて半年、コメンテーターとして知っていただけるようになり、恋愛相談サイトマスターのちに恋愛マニアのメンバーとなるひとにであいました、
そして誰も知らない自分たちに「恋愛マニア」と名付けメルマガの配信を始め、著者キャリアの第一歩を踏み出したのです。
長いプロフィールを読んでくださいまして、ありがとうございました。
実はひとつひとつのエピソードは、かなりドラマチックで、まだまだ語りきれません。
自分がいかにして今の自分になっているのか、幼少時代のことから少しずつnoteに書いていきたいと思います。
わたしはここにもいます。遊びに来てくださいね。
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